廃人と子どものポルカ1 いまさらエアプレイのすごさに驚く


正月で時間を持て余して、ネットワークオーディオシステムの研究。この日のために専門誌を、買い集めていたのだ。
たぶん、YouTubeをテレビで見るために買ったんだと思うが(追記:思い出した。パソコンの画面がテレビにそのまま映せると勘違いして買ったのだ。それがやっと実現したのか)、アップルTVは豚小屋時代からテレビの横に設置してあったが、引っ越してからはYouTubeの音やパソコンから飛ばした音楽を、テレビスピーカーからそのまんま出している状態なのでなんとかしたかった(引っ越し前はテレビにPC用のスピーカーをつないでいた)。

テレビにつけるアンプとスピーカーをオーディオ誌の中から選ぶ、その楽しい作業の中で、アップルのエアプレイの使い方にやっと気づいた。
アップルTVについては、便利だけど結局iTunesYouTubeがテレビで使えるだけの機械じゃないかと思っていたが、これにエアプレイが組み合わされば、何通りも面白い使い方ができる。というか、組み合わせて初めて力を発揮する。

音楽、写真、動画、なんでも手当たり次第にテレビに映したり、自分のところで一番しっかりしたオーディオで鳴らしたりできる。しかも、それらはローカルに保存されていなくてもいいのだ。スマートTVというのは、こういうことを言うんだな。

appleTVそのものやAirPlay対応のテレビなりオーディオ機器がちまたに増えれば、これからはどこに行ってもiPhoneひとつ持っていけば、おうちのリビングのように過ごせる。

このまえ自分は、ももクロの「ももいろクリスマス2013」を埼玉のU局で観ていたが(とつぜんまたミーハーでももクロに手を出したかと思われるか、そこまで思う人はいないか知らないが、この一年半くらいだけど、けっこう熱心に見ている。しかし、フェス以外で一度もチケットが取れたことがなく、毎回映画館やライブハウスのライブビューイングで見ている。3500円もするんだこれ。良い商売だな)、これが一時間しかやらなかった。しかし放送終了まぎわに「つづきはUstreamのオフィシャルアカウントで見られます」というようなテロップが出て、まさかと思ったが、高画質でその先を無料配信で見せてくれた。自分はこのときにはエアプレイのすごさに気づかない魯鈍状態だったので実現できなかったが、これなどは、iPadiPhoneでユーストを受けて、それをリビングのテレビに飛ばせば、大画面で見られるわけである。ももクロの太っ腹と、技術の進歩が合体して、感動的なものである。

ほかにも、プレゼンをやる人にもいいだろうし、ホームパーティでみんなで何か聴いたり見たりする人にもいいだろう。しかしなにより、エロというジャンルにいちばん良い。これは多くの男子に福音となるであろう(もうなってるか)。時代はまた一歩先に行った。特に、DMMなどのエアプレイ対応サービス(専用アプリがある)と組み合わせることで、完全に家中のローカルというローカルから妖しげなファイルは姿を消し、ここに霊界との交信のようなクラウドエロが実現し、夜ごと密室で完全犯罪を行うお父さんたちが今後、増加傾向を見せるだろう(同時に、先験的な地方のビジネスホテルのペイチャンネル用カード販売機はカンコドリが泣き、全国的な現象にまで広まってゆけば、さらによいだろう)。

しかしエアプレイという言葉はいろいろ見聞きしていたのに、なんで気が付かなかったんだ。機械は好きだけど本質的には機械音痴なんだろうなおれは。

2013年、わたしの最良の書籍10冊、そして通読できたらきっと最良だった10冊


テスト。


絶望 (光文社古典新訳文庫)

絶望 (光文社古典新訳文庫)

ももクロ★オールスターズ2012

ももクロ★オールスターズ2012

爆乳少女 制服の中のふくらみ 鷹羽澪

爆乳少女 制服の中のふくらみ 鷹羽澪

なんで縦になっちゃうんだ。囲みも出ない。

わたしはほんとにCSSデザインがよくわからない。

言及ISBN/ASIN

日本の笑いは異常発展しているのだろうか? 国民の叔母・清水ミチコの『ババとロック』 in 日本武道館


「国民の叔母・清水ミチコの『ババとロック』 in 日本武道館」。

年末、大きなイベント施設といえば、賑やかなライブや何かで埋まっているのが当たり前だが、この日の武道館、何かの事情でおさえていたところがキャンセルを出したようで、「かわりに何かやりませんか?」といわれてこのイベントが実現したという。清水さんの積極的なファンではないが清水さんのことが好きだという人は少なくないだろう。自分もそうだ。この人は爬虫類顔なのがいい。爬虫類顔が好きだ。書いてなかったっけ。ともかく絶妙な塩梅のタレントさんである。しかしそれだけでは足を運ばない。去年の矢野顕子のさとがえるコンサートツアーのインパクトが大きかったからだ。50音順でマシンガンのようにやる応援物まねもすごかったが、最も敬愛するミュージシャンの矢野さんといっしょのステージで、「ひとつだけ」を連弾でやって、翌年(ことし)『矢野顕子忌野清志郎を歌う』が発売されるということもあり、清志郎とのデュエットバージョンで披露したその物まねは、神々しいものがあった。

だからまた足を運んだのだ。それに、年末にこういうものを見に行くというのが、大人の楽しみみたいで、良いでしょう? ロックフェスでワイワイやるのもいいけど(あとこういう企画はできるだけ見たいと思っているのだ。http://d.hatena.ne.jp/breaststroking/20080802#p1)。

スチャダラパーは、アウェー感を終始表明しながらもキッチリ仕事をしていたし、トラックもリリックも聴けば聴くほど面白い。マキタスポーツはバンド形式。テレビやラジオでやっているような、同一コードの曲を二曲同時にやる、というようなネタでくるのかと思ったら、それは最後の「愛しのエリー」と「乾杯」を合体させたものだけで、古典的なコミックバンド形式で大半をやっていた。グループ魂は十何年ぶりに見られた(たぶんその間、見ていないと思うが、自信がなくなってきた)。「今年は大沢樹生ふなっしーの一年でした」という発言と、皆川猿時の、「清水さんのラジオにピンで呼んでもらったら、あなた宮藤さんがいないと面白くないわね、と言われて落ち込んだ」という話が良かった。あと、MC中に延々ボケていく大喜利のような展開になるところもスリリング。曲のこと書いてないけど。ピックでなくてスリッパを投げるが、飛びすぎて危ない。松尾スズキは幕間に流れる映像で参加。幕間の演者のあせる気持ちを自己言及的に表現した、清水さんとの共作共演の曲とその映像で、こちらも器用でキッチリした仕事。黒柳徹子も幕間の映像で二度登場。清水が徹子の面白いエピソードを興味深く聴いていく、という構成で、「地震で溝に落ちた中国のパンダが立派だった話」「モールス信号を独特な方法でおぼえさせられた話」が絶品だった。夏にフリードミューンで見た瀬戸内寂聴の講話や、リー・ペリーのパフォーマンスを想起させるようなドライブ感あふれる熟年芸。

そして満員の観衆を前にグランドピアノでの弾き語りというシンプルな形式で、繊細に堂々と歌うトリの清水さん。だいたい、ものまねなのにグッとくる、というのがスゴイ。ものまねを一段低く見ているのではないが、感動させるものではないだろう。「ひこうき雲」もそうだけど、特に「ヨイトマケの歌」は、本家よりも歌い手のフリーク性というノイズがリムーヴされている分、純度のあるパフォーマンスとしてこっちのほうが訴えかけてくる気がする。真顔でとんでもないこと言ってますが。

で、だらだらと書いたがいちばん言いたかったのは、自分はお笑いが好きなんだ、それも通常のそれを逸脱するような、異常なパフォーマンスが好きなんだということだ。

この企画にはミュージシャンと交互で、レイザーラモンRG椿鬼奴森三中の黒沢かずこが芸を披露した。自分は舞台袖にちかい席で見ていたので、舞台転換中に、邪魔にならないように袖のあたりでやる彼らがかぶりつきで見られて眼福だった。

RGのあるあるネタは、大好きな「君は1000%」や「ワインレッド」のやつは聴けなかったが、「蝋人形の館」、そして「清水さんが大好きな曲をやります」という曲紹介(大嘘)でやった「田園」を、一万人のまえで歌い上げるのを目撃できた。

自身が大好きな曲に乗せて、これからあるあるを言うと宣言し、歌が始まるとこれから言うよ、言うよ、と歌いながら延々あるあるを言わず、さいごの一瞬でしょうもないあるあるを言って、やってやったという表情で去って行くというこのネタは、はたしてネタなのだろうか? ネタはネタだろうとして、では芸と呼ぶのだろうか?

まず、このネタをどう受け止めたらよいか、その受け身の取り方を観客が知らないと、成立しないということがある。この時代の日本でないと出てこない芸ではないか。高度かどうかは知らないが、フクザツな文脈があって、ギリギリのところで成立している芸であり、その緊張感もたまらないが、そういう芸を生み出し、許容する、日本文化がすばらしいと思うのだ。

まず、聴衆やカメラのまえで、延々とカラオケを歌うということ。これは芸ではないだろう。テレビでやった場合は、ここで共演者や司会者がザワつく。「あるあるやるゆうたのにカラオケかい!?」というリアクションだ。今田がここにいれば、「あるあるはよ言えや!」とガヤガヤすることだろう。そしてこのときの今田のうれしそうな顔は、youtubeでぜひ、見てください。さらに、この男はAメロBメロを歌いきって、サビに入るのだが、ここでも結論(=あるある)を言わない。なお一層、激しくしっとりと歌い上げる。ここでもスタジオは盛り上がる。観客席というより、ひな壇とMC席が。みんな知っているのだ。この男があるあるをなかなか言ってくれないということを。そしてワンコーラス悠々と歌い切る、その刹那に、ふっと放たれたあるあるをスタジオは突然に聞くだろう。しかし、満を持して放たれたそれは、しょうもないあるあるだ。これだけ待たせたのに、このあるあるなのか?!(ためしにyoutubeを見たら止まらなくなったが、「棚卸し」あるあるで「棚卸しはしんどい」と言っていた) 2013年、アホッターにはじまり猪瀬都知事辞任にきわまる、過剰なバッシングがはびこる現代日本で(猪瀬氏の辞任は当然です!わたしのようなものまで発言に気を遣う社会)、これだけ危険な場面は、他にないではないか? 芸ではない、ネタだかも判らないものにこれだけ時間を費やして、このあるある?! しかしRGは困惑と笑いという観客、共演者からの祝祭を浴びて、満面の笑みで退場するのだ。為末大が競技者としてもトレーダーとしても栄華を誇っていたあのころ、華麗に無数のハードルを飛び越えていったように、RGは2分だか1分半だかの時間のなかで、あらゆるテレビのお約束を笑顔で飛び越えていくのだ。そしてそこには、司会者や共演者たちの、「視聴者のみなさん、この芸はこう見るんですよ」、という温かいサポートがある。思えば上島竜平の芸も、世界のナベアツも、右から来たものを左へ受け流すの歌も、読みとき方、笑い方を視聴者にレクチャーする、送り手の姿があった。これを「内輪の笑い」「笑いの押し売り」として批判するのもいいだろう。しかし、たとえばすぐれた現代アートは、たえず鑑賞者に向けて作品を解釈して伝える言説がないと、成立しない。これは学芸員やキュレーターがやったり、批評家がやったりするが、アートの場合には自作プレゼンテーションというのがある。村上隆のことが好きなのはこの部分の仕組みと自分の努力について説明する文章や発言が明快かつアジテーショナルだからだが、では、先鋭で難解なのかクズなのか判別不明なRGやその他のネタに、自作解説などという場はあるだろうか? ないし、そんなことしたら白けちゃう(ここで大滝詠一が亡くなったというメールが友達から届くが、乗っているのでつづけます)。だから今田耕司やライト東野がいつもスタジオでやっていたのは、日本文化を支える仕事だったということなのです。

椿鬼奴は、八代亜紀のよく知らない曲をそれらしく歌うというネタ、RGとのバービーボーイズ「目を閉じておいでよ」など、大満足のステージ。でもこれもそうだ。八代亜紀がどういう人で、杏子とKONTAがどんな声で、、、ということが判っていないと、面白くない。でもそれは、物まねだから当たり前だ。いや、ちがうんだ。鬼奴という人がどういう人となりの人か、テレビでどのような需要のされ方をしているか、そこまで要素が増えてくるんだ。わかりますか。

この日の出演者は、一組を除いて、すべて事前にアナウンスされていた。では当日半ばシークレット気味に出演したのはだれか? MAXの三人だった。怒濤のヒットメドレー(というほどやってないけど)に載せて歌い踊る。なんとも加齢感が味わい深い。三人それぞれに加齢度が異なっているし、加齢がエロさになっている人、ならなかった人、ステージ三人三色、人生を思うひととき。で、最後にやってくれた。椿鬼奴をむかえての「タカタ」である。

フルサイズで4人(MAX3人の鬼奴)でやるのは初めてだそうだ。それより「タカタ」を知っていますか?
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1307/23/news089.html
夏ごろはやったが、自分はツイッターでちょっと目にしてPVを見たくらい。どれくらい話題になったかも知らなかった。鬼奴がテレビで積極的に紹介して、ときどき4人でやるようになったらしい。


芸術でいえば「コンテキスト」「文脈」というものが、笑いでいうと「ツッコミどころ」ということになるんだろう。見ている人のツッコミをどれだけ呼ぶかが、ウェブマーケティングのキモであるとは中川淳一郎が折に触れて著書で書いている(ゆえに高級車のブランディングなどをウェブで成功させるのは難しいと中川さんは言う)。笑いもいっしょで、ネタは単独では存在しない。見ている人のツッコミや笑いがないとネタにはならない。この傾向はますます強くなっている。

最後に、黒沢かずこだが、来年は午年ということで、間近で四つん這いのおしりが見られて良かった。

http://trendpress.net/entame/kurosawa_yase.html


清水さんは開会宣言で、笑いには緊張と弛緩がある、という落語家の有名なことばを引用した。彼女の物まね芸は、まさに短時間に緊張と弛緩がめくるめく交代する、高度な芸だ。このような複雑高度な芸に対して、一見RG、黒沢さん、鬼奴さんがやったのは、窮余の一策、巧みな話芸やひねったネタなどがない、裸一貫から振り絞った浅い芸として見る向きもあるだろう。しかし自分には、このフクザツでしょうもない日本が生み出した、コンテキストをたくさんしょった独自の笑い、それも、とても大衆的な笑いとして楽しく見た。そして無意識にそれらをキュレーションした清水さんもすごい。

生きていたスーフリナイトはあした開催、あるゲストDJの趣向を直前にお知らせ


 色の領野であるV4だけに、あるいは動きの領野であるMT野だけに小さな損傷のある症例を見ると、このことがもっとも顕著にわかります。たとえば、左右のV4が両方とも損傷されると、皮質性色盲(大脳性色盲)と呼ばれるシンドロームになります。皮質性色盲の患者は、世界がモノクロ・フィルムのような灰色の濃淡に見えますが、新聞を読む、人の顔を認識する、あるいは動きの方向を見るといったことについては、何も問題がありません。これに対してMT野が損傷されると、患者は本を読んだり色を見たりすることはできますが、ものがどっちの方向に動いているか、どれくらい速く動いているかがわからなくなります。
 この問題をかかえていたチューリヒ在住のある女性は、怖くて道路を渡れませんでした。車が動いているように見えず、まるでディスコのストロボライトがあたっているような静止像のつながりに見えたからです。
V・S・ラマチャンドラン『脳のなかの幽霊、ふたたび』山下篤子訳、角川文庫


引越しをするので部屋を片付けていると、いろいろなものが出てくる。埋もれていたラマチャンドラン教授の本をちょっと読む(基本図書ですが、未読です!)。曰く、脳味噌は、1000億個のニューロンでできている。ニューロンは<ほかのニューロンと、1000個から1万個くらいの結合部で結びついており、シナプスと呼ばれるこの部位で、たがいに情報をやりとしてい>る。

それでも私は、私たちの豊かな精神活動が―あらゆる感情も情動も、思考も野心も、色恋も宗教心も、……脳のなかにある微小なゼリーの活動にすぎないという事実に驚嘆せずにはいられません。それ以外には何もないのです。
前掲書


あすに迫った「生きていたスーフリナイト」は、DJの音楽を聴きながら、酒を飲み、陽気に話をしたり、あまり知り合いがいないのでしなかったりするイベントですが、これを脳味噌と脳味噌が集まる大集会だと思うと、やっぱり不思議です。脳味噌にはなぜ音楽が心地よいのか、なぜクラシックやらインダストリアルやらノイズミュージックやらと音楽の好みが分かれるのか、そしてしょっちゅう酒を飲みたがるのか、謎は尽きない。

その謎には残念ながら本イベントを通じては答えは得られないと思うが、ある脳味噌(DJの)が選り好んだ音楽を、本人らのパーソナリティと引き寄せて味わったり、分析してみたりしたらまた面白いのではないでしょうか。

そんな積極的に愉しみを見出す(みなさんの)脳味噌に、お愉しみをもうひとつ与えたいと思います。明日は、ゲストDJのうちの一人、若島正先生 a.k.a.DJ乱視読者から、とっておきのプレゼントがあります。タイムテーブルを見て、若島先生がハイライトの20時台であること、先生だけDJタイムが長いこと、お気づきの方、いらっしゃいましたか。若島先生のDJは「映画と音楽」というお題でお届けします。しかも当日、先生のDJタイムのテキストとして、選曲リスト&DJ乱視読者による解説文が載った、「映画と音楽」をお配りします。もちろん、「生きていたスーフリナイト」のための書き下ろしです。

冒頭の文章をちょっと、引用します。

生まれて初めてのDJ体験ということで、いろんなテーマを考えた末、「映画と音楽」というごく普通のお題で揃えてみることにした。ここで選んだ映画は、イントロのものを除いて、すべてわたしが圧倒的な暇を持て余していた大学生のときに観たものばかりである。……
若島正「映画と音楽」


みなさん、ぜひ、楽しい夕べにご参集ください。

◎生きていたスーフリナイト
●日程/ 2013年7月20日(土)
●時間/ 17時〜21時30分
●場所/ BAR SAZANAMI(渋谷区円山町5-3 萩原ビルB1階/03-6657-3870)
●お代/ DOOR 1500円(1ドリンク込み)
○DJ / DJ BIG LOVE(スーフリナイト)、横文字三郎(スーフリナイト)、地球宇宙、そして我ら(スーフリナイト)、かちゃくちゃ(スーフリナイト/大衆決断)、ryuto taon
○LIVE/ ryuto taonと抱擁家族
○Special Guest DJ/ 若島正 a.k.a. DJ乱視読者、長谷正人 a.k.a. DJ 敗者たちの想像力、柳下毅一郎

■生きていたスーフリナイト タイムテーブル

1700 -1730 DJ Big Love
1730 -1800 ryuto taon
1810 -1835 ryuto taonと抱擁家族(LIVE)
1835 - 1905 長谷正人 a.k.a. DJ 敗者たちの想像力
1905 - 1935 柳下毅一郎
1935 - 2005 横文字三郎
2005 - 2045 若島正 a.k.a. DJ 乱視読者
2045 - 2115 かちゃくちゃ
2115 - 2130 地球宇宙、そして我ら


※サザナミへのアクセスですが、同じ建物の同じ階にある、アシッドパンダカフェのページを紹介させてください。※生きていたスーフリナイトとは関係ありません。すみません。
http://www.acidpanda.com/p/blog-page_4367.html

109の左横、道玄坂の、右側の歩道を上ってください。モスバーガーファミリーマートセブンイレブン、交番、カレーうどんのせんきちがあり、その先にカフェドクリエがあります。その地下です。

※前回も書きましたが、バーサザナミは25人から30人でいっぱいになる会場です。場合によっては、当日、非常に窮屈になるかもしれませんし、もしかしたら入れない、ということもあるかもしれません。その際は、どうかご了承ください(バーなので、予約はとっておりません)。しかし、入退場は自由です。万一きゅうくつさを感じられたときは、出たり入ったりしてみながら、楽しんでください。恐れ入ります。

「生きていたスーフリナイト」告知第二弾。追加ゲスト、タイムテーブル発表


とってもいい目をしているが、おつむが足りない若者がいた。完璧な人間などいない。若者の名はフレディ・フォーリー。タンカースリーという名の上司と口論していた。
ラファティ『第四の館』柳下毅一郎訳、国書刊行会

夢見がちな新聞記者フレディ・フォーリーは、自分がつかんだ特ダネのことで上司と揉めている。政府のある要職者と、500年前のマムルーク朝の政治家が、同一人物ではないか?というのが、その内容。その根拠は、顔と名前が似ているから。のっけから電波をゆんゆんと飛ばすようなこの推理、しかしどうやらイイ線を行っていた。調査をつづけていくフォーリーと、それを邪魔せんとするエックスメンみたいな電波的超能力者集団・収穫者(ハーヴェスター)たちとの戦いが、始まる!

…『第四の館』、こういう話でよかったでしょうか? 多分きっとだいぶちがう。何しろまだ初めの方を読んでるんだおれは。それは措いて、冒頭に引用したのは、本編二ページ目の文章だが、こういうそらとぼけたようで愛らしい、しかしどこか剣呑な印象を与える文章が、小説の始まりの方で、野ウサギの走りのようにとつぜん飛び出してくると、これはもう間違いない、という気になって、黙ってギュッと付箋を貼る。おれはね!

ぼくはセバスチャンなのだ、あるいは、セバスチャンがぼくなのだ。あるいは、おそらくぼくたち二人は、ぼくたちも知らない何者かなのであろう。
ナボコフ『セバスチャン・ナイトの真実の生涯』富士川義之訳、講談社文芸文庫

セバスチャン・ナイトの意味ありげな書き終わり。未だにその真意も含意も読み解けぬままに、気がつけば年だけとって、ふと気づく。<とってもいい目をしているが、おつむが足りない>フレディ・フォーリーとは、わたしどもスーフリのことではないか? そっと周りを見回して、自分と知人を引き比べてみる。何がとは断定できないが、何かが決定的にズレている。<とってもいい目をしているが、おつむが足りない>元若者がグロウインアップして、ずいぶん他とちがってしまっていた。歩くスピードも、重きを置く価値も、落ち着きのなさも、他人との距離の取り方も、あるべき人生双六の現在位置情報も…! しかしそのように辿られてきた生き方の生き直しが、軌道の修正が、この段階で、できるというのだろうか? しかも、手に負えないことに、わたしどもスーフリは、そんな自分自身のことが、実はけっこう、嫌いでは、ない。というかむしろ、病的に、好きだ!

卒塔婆のように積ん読本がぽこぽこと立っている、ワンルームの散らかった豚小屋を主な舞台とする、神経戦的人間悲喜劇を生きてて生きて生きてきたあまねくスーフリたちと、そうでもない人たちに、「生きていたスーフリナイト」をお届けしよう。

今回は二人のゲストDJをお迎えします。

映像論、テレビ論、映画論など広い分野で健筆を揮う、社会学者の長谷正人先生。近ごろはTwitter小林信彦のコラム的な面白さを湛えていて、わたしどもの生活にちょっぴり潤いを与えている。憂いを帯びた困り顔が、ちょっぴりウディ・アレンに似ていると、誰でも聞きたがっているくせにちょっと聞きにくいことを、当日先生に伝えてみようか。

そしてナボコフ研究と翻訳、海外文学、詰め将棋、チェスプロブレム、さらに古きよき歌謡曲(というか古いポップス)など多分野において超然とした存在感を放つ、京都大学若島正先生。かちゃくちゃにとって、そして少なくないその道のスーフリたちにとって、この十何年か、若島先生はキョーレツな文化イコンである。そして、ナンパものやインチキものに口腔の奥で舌打ちするたぐいの読書人種にとって、灯台守みたいな存在でもある。

お二人とも、生きていたスーフリナイトで、人生初DJをご披露いただきます。

そしてもう一人、追加ゲストを発表しましょう。奇書『第四の館』を訳出した、特殊翻訳家柳下毅一郎さんを、第三のゲストとしてお迎えします。

柳下さんに初めて出ていただいたのは四年前のスーフリナイトで、人生初DJを披露していただいた。Joy Divisionの、不穏だがどこかかわいらしい(アレ、どっかで聞いたような形容!)スティーヴ・モリスのドラムループが印象的な、Atrocity Exhibitionで始まったそのDJは、同年四月に亡くなったばかりの作家バラードの追悼選曲だった。曲目は、柳下さんのブログで見られます。サバサバとした、しかし気持ちのこもったDJでした。

http://garth.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/vol4-75c1-1.html

これは実は長谷先生と若島先生にも共通していえることなのだが、柳下さんはいつも物する文章(キス我慢ムービーのメルマガhttp://www.targma.jp/yanashita/?p=1617 、イカしてる)やたたずまいは怜悧でクールであるが、同時にとても優しい。

話が変わるようだけど、世にネブミストたちが横行している。ネブミストとはだれか? たえず物や人に対して面白いか扱うに接するに益するかの価値判断をして、そこで分析した印象をもとに対象と近接する人種のことだ。先月、特に名はヒスがT氏が飲み屋でその話を切り出し、数分のうちにわたしどもは、ワイノワイノとたくさんのネブミスト気質の文化人の名前を挙げたのだった。

気がつけば、世はネブミストの跋扈する冷たい時代になっている。そしてそのことは、ミニブログを中心にした情報発信社会の到来とおそらく無縁ではない、が、ここではそこには踏み込まない。

で、そのネブミストの対極にいるのがハンダニスト、ということでよかったか(ちがうな、でも、適語が見当たらない)。ハンダニストはその場その場で相手を値踏みしない。人と対等に付き合って、結果的に相手を伸ばすのがハンダニスト。高速演算コンピュータのようにそのときどきで相手の印象を計測して、そこで出てきた価値判断の元に付き合うのがネブミスト。

わたしどもスーフリは、無数の偉大なハンダニストたちの創作と生き方に、たえず影響を受けてきた(もちろん、ネブミストたちの創作からも、強い刺激を受けているんだけど)。生きていたスーフリナイトは、跋扈するネブミストたちへの、ハンダニストたちからのカウンターパンチでもある、のかな??

おれなんか余計なこと言いました? とにかく、今回はハンダニスト界から、暗闇のなかの光のような文系グレートスリーをお招きし、にぎやかな夕べをみなさんにお楽しみいただきます!

■生きていたスーフリナイト タイムテーブル

1700 -1730 DJ Big Love
1730 -1800 ryuto taon
1810 -1835 ryuto taonと抱擁家族(LIVE)
1835 - 1905 長谷正人 a.k.a. DJ 敗者たちの想像力
1905 - 1935 柳下毅一郎
1935 - 2005 横文字三郎
2005 - 2045 若島正 a.k.a. DJ 乱視読者
2045 - 2115 かちゃくちゃ
2115 - 2130 地球宇宙、そして我ら

◎生きていたスーフリナイト
●日程/ 2013年7月20日(土)
●時間/ 17時〜21時30分
●場所/ BAR SAZANAMI(渋谷区円山町5-3 萩原ビルB1階/03-6657-3870)
●お代/ DOOR 1500円
○DJ / DJ BIG LOVE(スーフリナイト)、横文字三郎(スーフリナイト)、地球宇宙、そして我ら(スーフリナイト)、かちゃくちゃ(スーフリナイト/大衆決断)、ryuto taon
○LIVE/ ryuto taonと抱擁家族
○Special Guest DJ/ 若島正 a.k.a. DJ乱視読者、長谷正人 a.k.a. DJ 敗者たちの想像力、柳下毅一郎

※最後に、会場のことでご注意があります。バーサザナミは25人から30人でいっぱいになる会場です。場合によっては、当日、非常に窮屈になるかもしれませんし、もしかしたら入れない、ということもあるかもしれません。その際は、どうかご了承ください(バーなので、予約はとっておりません)。

しかし、入退場は自由です。同じ階には、ファンキーコタで有名な、アシッドパンダカフェもありますし、周辺にはたくさん飲食店があります。出たり入ったりしてみながら、楽しんでください。もちろんぜんぜん誰も来なかったら、杞憂ですが。

■次回の直前告知では、あるゲストDJのご自身の提案による、大変面白い趣向をちょっとお知らせしたいと思います。

グラビアアイドルという百魔7 7.7、グラビア史の転回点を目撃して

日曜グラビア史学研究者を自認する者としては(えへん!)、今年春先からの森下悠里のエンジンかかってきた感じと、その流れからの昨晩7月7日の「有吉反省会」での彼女の発言は記録に残しとかないといけない。今晩の「しゃべくりセブン」も楽しみである。ちなみに、8日16時現在で、ウィキペディアの森下の項目には、反省会での発言についてつぎのように紹介されている。

2013年7月7日放送の日本テレビ有吉反省会』にて、身体にメスを入れてはいないものの自らプチ整形(目の下のクマ取り、鼻の頭へのヒアルロン注射、歯の矯正)していた事をカミングアウト。更にデビュー当時の倹約な振る舞いも「庶民的な発言をする様に(事務所サイドから)言われていた」事を告白した[21]。

チンケなステマサイトの小遣い稼ぎでほしのあき熊田曜子ら、一時代をになった人たちが無残に退場した2012年12月。グラビアアイドルとして一流である前に、人間として、一般タレントとしてあんたたちはどうなんだという苦い幻滅をわれわれは味わった。

そして、二年半のグラビア界からの遁走の果てに、やはり若干の加齢感伴って帰還した相澤仁美。でもその間、阿部真里・旧名矢吹春奈と異なり、芸能界から去ったわけではなく、なんだかわからんが限りなく一般人に近い芸能人としてブログは続けていたようだ。でもそんなこと言ったら、そもそも彼女が初めて映像メディア通じて男どもの視界に飛び込んできたのは、インディーズのナンパ疑似セックス素人ビデオなのだった(fc2をさまようがよい)。

ホントとウソとがめまぐるしく反転しきらびやかに明滅するグラビア界。死んでしまった吉村秀樹の言葉を借りれば、<何がどうなってるんだ!?>である。森下の行く末からは本式に目が離せなくなった※1。何しろリアルヘルタースケルター、退陣を迫られた総理大臣のような、強気で、カラ元気で、しかし何かありそうなその目つきと、裏腹に自信あり気な所作は、見るものの不安と好奇を誘う、格好の見世物である。さあ今夜のしゃべくりセブンまでに、家に帰らなくては。こんなもの身内や友達に録画してなんて、頼めないからな!


※1もちろん、六日深夜の「ゴッドタン」の、岸明日香のおっぱいからも目がはなせななったが。「景気付けにおっぱい見せてもらえ!」は同番組でも最も好きなコーナーだからな! 日曜グラビア史学者は決してキス我慢派であってはならんのだ。なんだか楽しいですね。

「生きていたスーフリナイト」開催

スーフリナイトは生きていた! 7月20日(土)、四年ぶり五度目のスーフリナイトをお届けする。騒がしい夏の渋谷、道玄坂の地下で、大人のバカ騒ぎをお送りする。

我々は自分らしい人生を積み重ねているだろうか? はんぶん流されながらここまで来て、多少満足であったり、不本意な点もあったりするが、人生の濁流はアンコントローラブル、それをふまえての自分、ということで、よろしかったでしょうか?

まさにそのような来し方を80年続けてきた作家・小林信彦は、卓抜した小説論『小説世界のロビンソン』(新潮文庫品切れ→『面白い小説を見つけるために』光文社知恵の森文庫も品切れ)において、自身にとって理想の小説を、<登場人物とともに長い人生を生きたと実感できるような小説>だと言っている。それをまねて言えば、「生きていたスーフリナイト」で繰り広げられるDJは、「その人自身の人生が浮かび上がって、せり上がってくるようなDJ」に他ならない(あまりまねられてないし、他の出演者に確認してないけど、きっと他ならない)。

だからそれぞれの人生というものを楽曲のレイヤーを通して透かし見ていただける、そんなゲストをお呼びした!
まずは西から、DJ 乱視読者こと、若島正氏。日本を代表する英米文学者・翻訳者にして、ナボコフ研究と詰め将棋の第一人者。ちなみに今回のブッキングはゴールデン街の将棋バー「一歩」にて行われた。はるばるスーフリのために、京都から駆けつけてくださいます。
そして東からは、DJ 敗者たちの想像力こと長谷正人氏。社会学者にしてメディア論、映画論など、広範なジャンルで健筆を振るい、昨年は読ませる山田太一論『敗者たちの想像力』(岩波書店)で読書家を唸らせた博覧強記。
全く分野も地域も異なるお二人ですが、学外の仕事もしながら立派な教育者であるところ、充溢するなんともいえない人間的魅力とユーモアなど、共通点が多い。お二人とも初めてのDJとなり、今後またお知らせしたい趣向もあります。
つとめて軽妙洒脱を装いつつもわりとアップアップなDJを楽しみながら、先生方の、そしてスーフリレジデントDJ たちの来し方の厚みとうねりを、小高い丘に上がって悠然と見晴るかすような体験を、味わいに来てください。…というか、けっこうオカシな企画だと、思う!

◎生きていたスーフリナイト
●日程/ 2013年7月20日(土)
●時間/ 17時〜21時30分
●場所/ BAR SAZANAMI(渋谷区円山町5-3 萩原ビルB1階/03-6657-3870)
●お代/ DOOR 1500円
○DJ / DJ BIG LOVE(スーフリナイト)、横文字三郎(スーフリナイト)、地球宇宙、そして我ら(スーフリナイト)、かちゃくちゃ(スーフリナイト/大衆決断)、ryuto taon
○LIVE/ ryuto taonと抱擁家族
○Special Guest DJ/ 若島正 a.k.a DJ乱視読者、長谷正人 a.k.a DJ 敗者たちの想像力 and more guest TBA.

とりあえず最初の告知。タイムテーブルほかは追って!