カップリンググラビアとは何か?

コンビニで1.『EX大衆』、2.『週刊ヤングマガジン』買う。オークションで落とした3.『坂本龍一 80年代の映像作品集』が届く。

1は佐藤寛子ほしのあきカップリングという、1982年の「い・け・な・いルージュマジック」における忌野清志郎坂本龍一の共演を彷彿とさせる高インパクトのグラビアが表紙巻頭を飾る。つっても二人が最後のページでちゅーしているというようなことはないが。巨乳という大共通項はあるものの、二人の年齢差やキャラクタのちがいもあってか、リラックスしてのびのび競演しているという感じである。お揃いのビキニというのもありそうで珍しい(後記:別にめずらしくない。なんでそう思ったんすかね)。

カップリンググラビア(以下「CG」)はこんにち珍しいものではない。飽和してる。それだけに玉石混淆だ。というか、大抵失敗に終わる。理由は二つある。

『ヤング・チャンピオン』は、熊田曜子×夏川純、熊田×安田美沙子というような組み合わせのカップリングを執拗に掲載し続けているが、一度も客寄せパンダ以上のものになった試しがない。こういった一つの事務所内での抱き合わせ露出といった、事務所の下心と媒体の山ッ気から端発したCGは決してうまくいかない。見る方にもそういう安直な意図は透けて見えるものだ。写真に緊張感が全くない。ゆるい。

もう一つは、グラビア撮影がそもそも、カメラがモデルの一瞬一瞬を切り取って、その膨大なフィルムの中から最高の一瞬を選択し、掲載していくという、河原でドジョウすくいのフォームで砂金を探すような作業であるという点。
通常、編集子や写真家は、モデルのポーズや表情など総合的に見てこれだという一枚を選び抜く。しかし被写体が二人いる場合、撮る側もどっちに集中したものか迷いが生まれるだろうし、選ぶ際にも片方が良くてももう片方が…ということになってしまう。CGを掲載するということは、妥協と無縁でいることが不可能なのである。

そういう意味でおれはCGには否定的だ。しかし、今後面白いものが出てくるとしたら、CGからだろうな、という気はしている。上記二点を考慮した内容であれば、通常のピンのグラビアに出せないような化学反応は起こる可能性があるからだ。今回の『EX大衆』のような、オールスターゲーム的お祭り騒ぎも、CGならではである。

ちなみにおれがいちばん好きなCGは、2004年(いや、去年だっけか?)だったと思うけれど、『sabra』に掲載された、川村ゆきえ×磯山さやかのエキスペリメンタルなそっくりさんグラビア。あれは面白かった。インタビューも、写真から感ぜられる二人の空気感も、たいへん良かった。しかしこのCGの良さは、やや異端ではあるのだが。

2はめずらしい優木まおみの巻頭グラビア。憂いのある目つきと半開きの唇が恐らくこのグラビアの要諦なのだが、それに加えてグラビアに添えてある文章で編集子が煽っているように、インテリ+エロという要素はありそうでめずらしく、そこに見る方はグッとくるのかもしらん。イイ仕事!

3は2004年発売の、85年の筑波万博での「TV WAR」、アデリーペンギン、NEO GEOのビーコンシアターでのライブなどを収録した6枚組DVDボックスだが、何より見たくて仕方なかったのが5枚目のメディアバーンライブ(1986)。先日の内輪のクラブイベントで、自分の番の出だしでライブ版の「GT」をかけたが、それ以来見たくてたまらなくなって落札した。坂本氏のアルバムでも『未来派野郎』『MEDIA BAHN LIVE』はいちばん好きなアルバムである。

ざっと見たが、とにかくエネルギッシュ。坂本龍一は当時、美しくたおやかな東洋人である自分に自己愛を持ちながらも、頑健な身体を備えた外国人になりたかったんだろうな。ぱっと想起するのは三島由紀夫のこと。三島を担当した辣腕文芸編集者である父・坂本一亀を媒介にせずとも、このころの坂本氏は一足飛びに三島につながっていく。