サイボーググラドルは是か非か、そしてサイボーグ・フェティシズムという謎

森下悠里についての文章を書いてしばらくしたら、森下が身体に改造を重ねたサイボーググラドルである可能性を批判的に検証するサイトに遭遇した。記憶や印象に頼るのでなく史料を重んじる姿勢、そしてサイボーグ排斥への情熱が、天然のおっぱいをこよなく愛する精神から来るというところに、冗談でなく感動を覚えた。そして「やっぱり偽物か〜」と思いながらも、あんまり森下悠里への情熱と評価が変わっていない自分にすこし戸惑った。どうやらおれは、うすうす感じていたが、そのグラビアアイドルがサイボーグかそうでないかに、ほとんどこだわりがない男らしい。それどころか、あろうことか、おわんかあるいはパンパンに張ったゴムボールのように、不自然に嘘くさく隆起した偽乳に、フェティシズムのようなものさえ感じてしまう男らしい。

そんなことを考えていたら、新田五郎さんがおれの文章を引用しながらサイボーググラドルについて考察しているのを見かけた。アイドルグラビアは多かれ少なかれ全てがサイボーグなのだという、勇気づけられるような内容だった。そういう考え方もある。どうやら「サイボーググラビアアイドルは是か非か」という問題設定は、アクチュアルで突き詰めていったら面白そうだ。

相澤仁美佐藤和沙山崎真実など、無加工な、ありのままの(そして多少自己管理がゆるんだような)身体の健康美、エロティックさというものがある。一方で「嘘だろうこれは」というくらいに出るとこが出て引っ込むとこが引っ込んだ、サイボーググラドル、またはサイボーグ風の完璧を感じさせるグラドル(具体的には新名美波とか。改造はしていないだろうがバランスと総合力が完璧SGILL)がいる。そしておれはそのどちらもが好きなのだと思った。この多様性がグラビアの面白さではないか?

でも謎が謎として残る。偽乳に感じるフェティシズムとはいかなるものだろう?ハリや形といった形状上の問題だろうか、それともパメラ・アンダーソン的な洋モノに対し、無意識下に原体験的オブセッションがあるのだろうか?(そういえば以前真実一郎さんが「洋ピンがなぜ日本で衰退していったか」という問題を語っていて興味深かった)自我の形成期に転校を繰り返したとか幼少期に片親が家を省みなかったとかの問題だろうか?(フィクションです)だれかそれとなく教えてください。そして、天然と人工を等しく趣味判断の問題に帰してしまうような人間が(ウェブ上の戯言とはいえ)グラビアを云々していいものだろうか??