2007年8月、佐藤寛子『Portrait』騒動始末、いや、中間報告


松本さゆきの顔がもう少し良かったら(#1)、2007年のグラビア界は変わっていただろう。

#1 唇がめくれ上がってて目がキツい顔じゃなかったら


「ポンパるならポンパるよ。おまえがどうしてもポンパりたいんならポンパるよ。よーし、ポンパれポンパれ。おれもポンパる」

 自分の行動から意味を剥奪すること。通念から身を翻すこと。世を統べる法に対して圧倒的に無関係な位置に至ること…。……
 ……叔父のアサッテとは畢竟、あらゆる通年、あらゆる凡庸を、たえず回避しつづけようとする目まぐるしい転身本能のことであった。


諏訪哲史『アサッテの人』講談社


人は、きっと迷いながらも確実に自分の道を選びとってるのでしょう。
私は、この撮影で、自分には何にも無いってことに気が付きました。
その、瞬間しかない。
どんなに苦しくても、愛しくても、許せなくても、楽しくても、その、“瞬間”しかない。
人はいつ死ぬかわからないし、死ぬ瞬間の前まで生きてる。
皆、なんだか、すごく一生懸命で、でも何も出来なくて、歯痒くてみじめで…コンプレックスなんてたくさんあって、思い通りにいかないことばっかりなんだけど、

でも、

それでも、

選んでる。


上に引いたのは強烈なカリスマ性を持つ自主映画監督に感化されて、多くの人から理解されるどころか見向きもされないようなカルト映画に身も心も捧げて打ち込んだあるインディー女優の手記、ではない。グラビアアイドル佐藤寛子のブログの文章である。

http://ameblo.jp/sato-hiroko/day-20070822.html

8月27日の写真集『Portrait』(ワニブックス)の発売を前に、佐藤寛子のブログが復活した。前身ブログ「佐藤寛子のひとりゴト」は自意識系の気があるというような批判や冷笑を浴びていたようだが自分は見ていない。自分の心の揺れをそのまま描出した不安定な文章は、グラビアについて語っているとは思えないような語り口だ。自分に陶酔して自己完結している感じがある。おれはグラビアについてはテキスト至上主義なのでこういうものはあまり読みません。

写真集『Portrait』の刊行は、佐藤寛子のグラビアを追ってきた自分らには、佐藤の文章同様、心が揺れまくる出来事となった。とにかく寝耳に水すぎた。なぜなら『Portrait』は佐藤寛子初めてのセミヌードの写真集だからだ。

衝撃のデビューからはや5年。
ほんの一握りの才能でしか生き残れない「グラビア」という世界で、ここまでトップを張り続けられる才能(アイドル)は稀有である。間違いなく。
青年マンガ誌で彼女が表紙&巻頭グラビアを飾る号は、昔と変わらず今もなお売れ続けているという噂だ。
でも、「グラビア・アイドル」をやり続ける彼女が、売れ続けているにもかかわらず挑むことを選んだこの夏。
………

自分らが8月9日、最初にセミヌードグラビアの報を聞いて衝撃を受けたのはなぜだったのか、それをよく説明している上の文章は、別にグラドルファンのブログから引っ張ってきたものではなくて、『週刊プレイボーイ』9月3日号の佐藤のグラビア、つまり『Portrait』からのカットを先行公開したグラビアに添えられた、編集者の文章である(原文はこまかく改行が入れられている)。人民の心のありようを代表して述べている名文だ。2007年のグラビアを振り返ったときに、川村ゆきえの復帰とか相澤仁美がみずからの体重をコントロールして肥大化して良化したとかいろいろあるだろうけれど、佐藤寛子のこの脈絡のない突発的なセミヌードは最重要事件として記憶されるだろう。

言うまでもなくグラビアアイドルでも女優でも、女性タレントが露出する時というのは人気の凋落がつねに原因のひとつとしてあり降下中の彼女たちは自分を切り売りして身軽になって再浮上しようとする術を持っている。反対に、人気の絶頂で脱ぐというのは滅多にない。最近ではかでなれおんがグラビアで人気がだいぶ出てきたときに、いきなり篠山紀信撮影でフルヌードを発表して話題になったが(『はだかのれおん(シノヤマキシン+かでなれおん) 』2004年、朝日出版社)、かでなはグラビアの天下を取るまでは行っていなかったし、夏目ナナ実妹という血が醸成するのか、何かやらかしそうな雰囲気を持ったキャラクタだったから、そこまでのインパクトではなかった。しかし今回はそれとは意味合いがちがう。ダルビッシュがヌードになったと思ったできちゃった婚するようなものだ(適当に書きましたいま)。

5年のキャリアを佐藤寛子は劇的な展開もなく、かなり平凡に乗りきって来た。浮き沈みの激しいグラビアでは珍しい、順風満帆なキャリアだった。おれは相澤仁美のことを書いたエントリで佐藤のグラビアを<マンネリ感もふくめて毎回きっちりと良い仕事をしているという安心と充実感を与える、中間小説的なグラビア>と書いたが、これは揶揄している訳ではなくて、毎年放っておいても二桁勝ってしまうベテランピッチャー(オリックスの星野のような)のような味わいと安定感が佐藤にはあった(反対に相澤は起伏に富んだ活動、グラビア表現をつづけている。佐藤のセミヌードが週刊誌に載ったのと同じとき、相澤は『Hot SPA!』にて、ペットボトルや、水が出ているホースや、トマトなどいろんなものを胸に挟みこむという不思議なグラビアをやっていた)。

だから今回の一件は、トップグラドルがなぜ?というおどろき以上に、佐藤が常日頃「ああまたこういうグラビアか」という印象を読者に与えながらも、しかしきっちりと彼らの気持ちを掴みつづけた「偉大なるマンネリ」のグラドルであるゆえの衝撃をおれらにもたらしたのだ。

ちなみに最初に先行カットを掲載したのは恐らく、8月9日発売の『フライデー』8/24・31号である(その翌週、『ポスト』でもパブが出た)。朝刊の広告で『佐藤寛子「生まれたままのワタシ」』の文字を発見した時点でまさかとは思ったが、『フライデー』の「スクープ公開!」「大自然の中ですべてを解き放った」という惹句が躍る「スペシャル袋とじカラー8P」は広告どおりの内容であり衝撃が走った。一体どうしてこんな展開に?と混乱しつつも9日夜、取るものもとりあえず集合し、丁寧に開封された袋とじを前に、侃々諤々のディスカッションとなった。近所の居酒屋で。

そこまで来て冒頭の物言いたげなブログに戻ってくる。なぜ人気グラドルはセミヌードになった?グラビアを通じての自己開発か?これは単なるゴシップのネタじゃない。一人のグラドルの生き方の問題だ。おれはそれを確認するために、8月25日、銀座福屋書店に行く(整理券を持って)。