グラビアアイドルという百魔4 森下悠里、ボディスーツと対自核(上)

思い出したくないから忘れることにするよ
思い出す必要は無いから すっかり忘れてしまった
どうでもいいから 思い出なんて
どうでもいいから 記憶なんて

ナンバーガール「性的少女」『NUM HEAVYMETALLIC』(2002)

『ここで消えろ(ディサピアー・ヒア)』

ブレット・イーストン・エリス著 中江昌彦訳『レス・ザン・ゼロ』(中公文庫,1992)より、
ハイウェイ沿いの屋外広告に書かれた広告コピー。
しかし車中から看板を見上げた主人公はこのとき心理的に不安定な状態にあり、
誤って視認した可能性も否定できない。

雨宮まみさんが先月、ブログで女性の整形のことを書いていた(http://d.hatena.ne.jp/mamiamamiya/20080328)。あと、一昨日自分は、ポツドールの「顔よ」という、顔の美醜をめぐるすさまじい傑作を本多劇場で見てきた。森下悠里の出現と彼女への惑溺をきっかけに、男からみた整形というものを自分はつらつら考えていたから、ここで考えをまとめてみたい。

以下に記すのはエッセイめいたSFです。いろんな意味でSFだから、それはフィクションということである。二次創作みたいなもんである。


っていうかまったく、お母さんはなんか豊胸手術、について、毎日調べてて、あたしは見んふりしてるけれど、でも胸、うそもののなんかいれておっきい胸にするんやって、信じられへん、だいたいそれって何のためによ? って何のためにか仕事のために?(中略)テレビでみたし写真もみたけど、手術ざっくり切るのやで。ぐっぐっておしこんでいくのやで。いたいのやで。お母さんはなんもわかってない。

川上未映子「乳と卵」『乳と卵』(文藝春秋,2008)

これから森下悠里の話をします(以後、チェルフィッチュをまねた抑揚と動きで)。彼女は巨乳グラビアアイドルなんですけど、そもそも注目を浴びるきっかけになったのは2006年のグッドウィルのテレビCMだったはずです。こないだ100号のアニバーサリースペシャルが出た新潮社の月刊シリーズのつぎは彼女だというし(注:書いてるときはまだ出てなかった)、篠山紀信にも気に入られて「digi+ kishin」にも登場しました。写真集はムックときちんとしたやつを合わせて、これまで二冊しか出ていないけれど(その理由を本人はつぎのサイトで説明している  http://celeb.cocolog-nifty.com/interview/2007/11/post_1176.html)、DVDは毎月(「毎月のように」ではなく、本当に毎月出ているのである)出ているし、極めてエキスペリメンタルな歌謡CDも出している。雑誌グラビアもしょっちゅう出てますし、深夜ドラマや深夜バラエティにもちょこちょこ出ている。何よりファンサービスが良くて、イベントでは過激な衣装をじゃんじゃん着るし、ブログではタダで毎日しっかりした露出の写真を載せている。そう、忘れてはいけないのはブログで、1日20万アクセスあるそうです(あとで単行本『本日の森下悠里』のオビ文を見たら、<1時間7万アクセス!>とあった)。あと、『goo 2007年 年間検索キーワード女性有名人ランキング』で、第6位にランキングされたそうです。そういう人です。

森下悠里は2005年7月ごろ
(参考:http://itopix.jp/2008_03/yuuri_morishita/index.shtml  http://today-yuuri.cocolog-nifty.com/yuuri/2005/07/index.html)、突然出現したグラビアアイドルである。突然出現?あらゆるグラビアアイドルは、突然出現するものではないのか?なめくじみたいにだんだん出現してくる人とか、いるんですか?いないですよね? まあそうだけど聞いてください。2005年後半以前に森下がデビューしていなかったということではない。赤城麻衣子という名前でレースクイーンをやっていた。けれど赤城麻衣子は、2004年後半〜2005年前半にかけてのある時、業界から忽然と姿を消す。それからしばらく経ち、まったく異なる芸名、プロフィール、―そしてここが重要なのだが―完全に異なる身体をもって、「赤城麻衣子」と呼ばれていた女性は、「森下悠里」として再デビューをする。


整形しないかぎりムリだよ。
オサムくん、整形しなよ。

ポツドール「顔よ」劇中のある科白(2008)

ところでSFにおけるサイボーグやアンドロイドとはどんなものだろう。こまかくはいろいろあるだろうが、おれのイメージを聞いてください。外見は人間と寸分変わらない。しかし脳味噌や心臓を持っていない。機械だからな。かわりに、頭の後ろにあるジャックからICチップを埋め込めば、いくらボディが破壊されても大丈夫で、チップを別のボディに移してしまえば人格は再生される。ボディは乗り換え可能なビークル(乗り物)であり、ウェアラブル(着脱可能)なスーツのようなものに過ぎない。サイバーパンクが起源になるのか、ディックがもっと前におなじようなことを書いていたか、そこらへんは分からないが、そういう感じです。

以前から森下をおれはサイボーググラドルと何の気なしに呼称していたけれど、赤木麻衣子のディテールを知っておれは震えた。これは言葉の本当の意味におけるサイボーグじゃないか。トータルリコールであり、電気羊の世界じゃないか?

熱心なファンを抱えながら、あるときシーンから忽然と姿を消した器量の良いレースクイーン。それからほどなくして、その面影を宿しながら、顔、おっぱい、まるでちがうパーツを実装して、別なるシーンに突如出現した巨乳グラビアアイドル。そのたたずまいは、より困難な戦場に投入された人型最終決戦兵器……あるいは萌え要素を満載した最終兵器彼女……。

森下の「赤城麻衣子」としての過去は、おそらく―というのは彼女のチップの内容を見てみないと断言できないからだが―抹消されているはずだ。ラボにおける身体改造期間中、チップのデータ改変によって、赤城麻衣子だったころの記憶は抹消、もしくは書き換えられていることだろう。

しかし、これをサイボーグの悲しみと呼ばずになんと言おう(ここで、おなじみbjorkの”ALL IS FULL OF LOVE”のPVがフラッシュバックする…)、メモリーをデリートしても消えきらない、現今のサイバネティクス理論では説明できない現象が彼女(チップ)に起こる。改造前の生身の「赤城麻衣子」と森下悠里があこがれる有名人は、共通して川原亜矢子安室奈美恵なのだ…。研究所に人生を翻弄される機械人形がチップのどこかに封じ込めた消去不能な霊的共通自我…そういえば改造後のサイボーグの整った顔の造作は、どこか川原に似た雰囲気をたたえていはしないか。これはラボが彼女に見せた、唯一の慈悲の精神の表れか、それともこれすらも、科学の時代を嗤う超自然的存在がもたらした眼閃の奇蹟(”Eye Flash Miracle”)なのか。


わたしのことを思い出してほしい ときどきは

アラスター・グレイ著 高橋和久訳『哀れなるものたち』(早川書房,2008)より、
フランケンシュタイン、ベラ・バクスターが、
夫であるアーチボルド・マッキャンドレスが自費出版した、
ベラをめぐる伝記『スコットランドの一公衆衛生官の
若き日を彩るいくつかの挿話』のおわりに書き添えたと思われる一文。
しかし、アーチボルドの死後、この記録に眼を通した
彼の妻を名乗るヴィクトリア・マッキャンドレスは、
この伝記がまったくの虚構に基づいたフィクションであると告発している。

筆が走るままにここまで書いて、おれは森下悠里を人体解剖でもするように醒めた目と落ち着いた手つきで取り扱っているように見えるし実際そうだ。しかしそう思っているおれの頭のなかはどうかと言うと、―客観的にいって興味深い相反だと思うのだが―おれは森下悠里のことが好きで仕方がない。こんなに夢中になったグラビアアイドルは、2000年〜2001年の眞鍋かをり、2006年〜2007年の相澤仁美くらいだ。いや、森下への熱情は、上述したような森下固有の複雑性があるゆえに、前者二人よりも強いかもしれない。

後半では森下をトバ口に、静止画、動画、リアル、という、三つのメディアにおける「男性が見た整形ギャル」についての考えを、自身の経験に即して記述してみたい。そこで自分の森下への困難な愛が、よりくっきりした輪郭をもって、描出されることと思うからである(以下、つづく)。


■主な参考サイト:
「本日の森下悠里http://today-yuuri.cocolog-nifty.com/yuuri/
「偽乳を撲滅したい」 http://members.at.infoseek.co.jp/photo88/nisechichi.html
♯森下について書いた大半は、ここで機知に富んだ言葉遣いで漏らさず記述されている。考えも一緒だ。だけどまあ、自分の言葉でソーカツしておきたかったんだ。
「美?巨乳な森下悠里レースクイーンだった頃のお話」 http://togiushi.10.dtiblog.com/blog-entry-1623.html