せいこうナイトの80年代地下文化講義的豆情報、アナーキストとしての一楽儀光はパフォーマーとしての一楽儀光と貨幣の裏表のような関係である、不意打ち的パフォーマンス時のChim↑Pomは観客のリアクションも面白い


六本木スーパーデラックスで「せいこうナイト with ADX」(http://precog-jp.net/2008/07/_with_adx.html)。一時間おくれで着く予定が、花火だの人身事故だの(余談だが7月30日の夜は凄惨だった。19:04、戸塚駅で一件。横須賀線ストップ。20:17に復旧するも23:19には隣の東戸塚駅でもう一件。さらには23:26、京浜東北線与野駅でダメ押しの三件目。クールで無機的な数字の並びの向こう側から、死者の悲鳴が聞こえる気さえして沈鬱)でまたちょっと遅れて、焦ってたからか親会社の再度の倒産で不安立ち込める中、寡黙に営業する青山ブックセンターの健気なたたずまい、眼球に写しとくの忘れました。

ABCが親会社が変っても変らずがんばっていくのか、それとも六本木の真ん中にぼーんとブックオフができちゃうのかはおれには判らんが(営業は続行されるそうだ。http://d.hatena.ne.jp/nununununu/20080801)、銀座(〜2008)や渋谷の旭屋書店も、渋谷や神田のブックファーストも、四ツ谷文鳥堂書店(〜2005。http://d.hatena.ne.jp/breaststroking/20051114#p2)も飯田橋文鳥堂(〜2007)も、書肆アクセス(〜2007)も、みーんな無くなってしまった。通い慣れた、好きな場所がつぎつぎと無くなっていくのは、悲しい(筒井康隆残像に口紅を』単行本版腰巻きコピー、参考にしました、あといま読んでる坪内祐三『東京』に露骨に影響されていることも指摘しておくに如くはないでしょう)。

で、せいこうナイト。このイベントは制作がprecog(http://precog-jp.net/)。<いとうせいこうが今一番見せたいパフォーマーと、桜井圭介が企画する「吾妻橋ダンスクロッシング」の精鋭が入り乱れる狂乱の一夜!>とイベント惹句にあるように、呼んでいるパフォーマー吾妻橋ダンスクロッシング界隈の人中心で、せいこうナイトというよか桜井ナイトじゃないかとちょっと意地悪く思ったが、最前かぶりつきで見る康本雅子の小品は楽しかったし(小道具として四足のパイプいすと、野口晴哉『風邪の効用』ちくま文庫を使用)、鬼ヶ島のコントは学園祭っぽい出し物だったし、至近距離で見る五月女ケイ子は意外なほどかわいらしかったし(MEGUMI森三中系統だがそれらより器量よし。ボクデスとのコラボでライブペインティングを披露。その作品はいとうさん仕切りでその場で競売にかけられ、7000円で落札された。ボクデスは二度目だがこんども面白いとは思えず)、「衰弱」をテーマにしたといういとうさんの新ユニット「JUST A ROBBER」(http://www.cinra.net/interview/2008/07/15/220140.php)はマイスティースの金澤さんとアイゴン會田茂一(http://www.aidagon.com/)とのシンプルな3ピースで2008年夏のスーデラにこの上なくマッチしていたし(いとうさんのウィスパー寸前の消え入りそうなボーカルがグッとくる)、前半のパフォーマンス部門が終了して会場を逍遥していたら一隅に奥泉光を発見してそのしなやかで強固な友情に完全な第三者(おれ)が勝手にジンときたし、DJタイムでの高木完の容貌を確認しつついとうさんと並んで立つ様打ち眺めつつ「ナイロン100%本も出たし、いとうさんもフェスや音楽イベント出まくってるし、タイニィパンクスもそろそろ…」と架空のインタビューを頭ン中でおっぱじめてみたりもしたし、なかなか見所が多かったのだ。ちなみに前半終了時に(だれも来ねぇから)図らずも社を代表するかたちでいとうさんに挨拶した際、冒頭の疑問について尋ねてみたら、いとうさんと桜井氏は「ピテカンのころから」の仲なのだそうだ。たしかに洒脱であたらし物好きでワッサワサしたお祭りが好きな感じが、いとうさんと吾妻橋って似てますね。つかそれってマルキリ「80年代的」ってことだよな。

そんな2008年夏の西麻布の空気感に淀みと一瞬の緊張をもたらしたのが、23時40分からのChim↑Pom(ダイスのインタビュー見つけたhttp://www.webdice.jp/dice/detail/563/ あ、恵比寿NADiffの個展、見逃した…)のパフォーマンスだ。この日の出演は直前にアナウンスされたのだが、おれはこれが楽しみで大江戸線の終電も気にせず待機していた。Chim↑Pom内では虐められっ子役で、タトゥーなどもメンバーに無理やり入れられている水野俊紀と、明らかにエリイ(http://www.studiovoice.jp/blog/erii/)ではない女性がステージに上がり、イスに腰掛けると、水野はおもむろにズボンとパンツをおろす。そう、あの「」を(←タイトルが見つけられない自分、その不甲斐なさに悶絶し自己懲罰的に晒し上げ・空欄そのままというスタイルにて)なんとステージ上・ナマで実演するのである。いとうさんの終演後のMCによると、女性は水野氏のリアル彼女。確かに愛がなければできない(てか、愛があったってふつーはできない)衆目注視のパフォーマンス。

『ゴースト ニューヨークの幻』で有名な「Unchained Melody」をBGMに、悠々と仮性包茎に、長いストローの先端をくわえ込ます水野氏。ストローがちゃんと刺さったところで、股間に顔をちかづけながら、サインペンで袋のところに顔を描く彼女。今回のストローは、彼女との共演ということで、吸い口が二股に分かれた、リゾート感あふれる、お花などのデコレーションがついたトロピカルなやつでした。あとは彼女と密着して背中に手を回したりしつつ、曲のリズム抑揚にあわせてストローでチンコに空気を送り込み、ふぐりに描かれた顔がいろいろな表情を浮かべる、というのを延々アップで画面に映す、それだけだ!

タイムテーブルではChim↑PomのDJ(そう、DJとしての出演とアナウンスされていたのだ)は23時40分〜24時00分の20分間だったが、パフォーマンスは「Unchained Melody」が終わるとともに、ストローを客席に放り、彼女を抱きすくめてチューを強要するところで終了したから、実質5分くらいか。会場は前半がおわったところでけっこうお客さんは帰っちゃったから、ほどよい空き具合。しかも残留者にはこのようなパフォーマンスに耐性のあるスレッカラシな人たち(褒めているのですよ勿論)が多かったから、最初はどよめきが起きたものの、あとは応援・遊覧ムードで好意的な視線や拍手など随時おくっていた(ふぐりに)。

飛ぶ鳥を落とし走るネズミを剥製にする勢いの、ゼロ年代を代表する決断主義的なパフォーマンスユニット・Chim↑Pomであるが(何いってんだか判んない)、ここで話は飛びます。6月24日、SHIBUYA O-EASTで行われたZAZEN BOYS渋さ知らズのライブで、2バンドの間をつなぐ流れでドラびでおこと一楽儀光が出演し、しばらくはいつも通り、とはいっても大会場で、権利的にそれほど危なくない作品―公務員カラ出張とかブッシュのやつとか―を演奏していたのだが、緞帳の向こうの渋さ知らズが何かしら準備に手間取ったらしく、演奏時間が延びる伸びる。やってる途中で一楽さんのパソコンが不調になったみたいで、映像がちぐはぐになり、一楽さんもあっぷあっぷだったが、次第に持ち直して、危なくない範囲で手持ちのネタ全部出し的な状況となり、ブルーマンデーに合わせてマツケンサンバが行われる定番のあれが飛び出して、さあきちっと締まったと思ったら、まだもう少しやってくれと横から依頼が来たようで、覚悟を決めたか一楽さん、どこでやっても評判が最低、というような紹介をしつつ、新作を披露。これがほんとうに酷い内容で、先に紹介したChim↑Pomの「」に、KRAFTWERKの「」(←クソ、この手の記述にはディテールが大事だというのに思い出せない。曲はたしか、「Robot」だったと思う。うん、きっとそう)をおっかぶせるという、どんな発想してんだって内容。ただでさえ画面にはおっかぶさってるものが大映しになっているというのにさらにこのクラフトワークが絶妙のおっかぶせで、かわいらしい顔が描かれた包茎のふぐりのふくらんだりしぼんだりと完璧に同期しているのが見事。しかもドラびでおというシステム上、どうしても避けられないことだが、ふぐりの動きが執拗に反復される。記憶が確かじゃないが、映像の順序でいうと、まず出だしのところで顔が描いてあるふぐりが大映しで出てきて、それからちょっとしてから、水野氏の全身が映されるという流れだったと思う。ここで面白いのは観客の反応(特にZAZENファンの若い男女の)。映像の順序がそれだから、まさかこんなメジャーな会場で、たとえ何かハプニングがあったとしたってそれは全部予想できる範囲でしょ、おどろきもしないわ、という気持ちを、意識してはいないにせよ、無意識下に持っていた観客は、自分の目が見ているものが何であるか(どアップのふぐり)、目の前で何が映っているのか(どアップのふぐり)、にわかに判断できず、信じられず、相当混乱状態のすえの無反応状態とでも呼ぶべきものに陥っていた。EASTの大画面でまさか下半身を露出した男のあまり元気のない生殖器大映しになるなんて、しかも仮性包茎でストローをくわえ込んでいるなんて(顔も描いてあるなんて)、そんな状況のシミュレーションは、観客の脳味噌にはない訳だ。だからふぐりをふぐりと認定しない。脳が避けている。ふぐりがもう、どう考えてもこれはふぐりだ、という解釈の逃げ場のない状況にまで追い込まれて、初めて、「あそこに映っているのはふぐりだ。ストローをつうじて呼気を送り込まれ、収縮することでペンで描かれた顔が笑ったりしているように見えるふぐりだ」と、遅れて判断結果がアウトプットされる訳だ。そのプロセスが面白い。もちろん、おれも含めてだけど。

でこのライブを見て思ったのだが、既発の一連のDVDは著作権や肖像権やいろいろなものを侵害したという理由で絶版にし、ライブで使用する映像に関しても自主的に規制をかけている様子だった一楽さん、実はけっこうキツいところに追い込まれているんじゃないか。というのも、この日見た作品は、明確にだれか特定の有名人をおちょくったネタものがあんまりなかったからだ。ブッシュはまさか海を越えて一楽さんを訴えてはこないだろうし、公務員カラ出張も固有名を持った特定人物を批判したものでもない。この日、演奏時間が延びるなかで、一楽さんが客からリクエストを求めた場面があった。おれはそこで「アホアホマン」と叫び、ほかのだれかは「ジャニーズ」とか「エイベックス」とか叫んだ。それに対して、いずれも権利的に演奏できない、という主旨のことを一楽さんは苦笑まじりに言っていた(「ジャニーズ」や「エイベックス」という作品が実際にあるのかおれは知らない)。

打開策としては当事者から文句を言われない映像ネタを取り上げるということで、冷静に見てみれば、チムポムも、あと黒人がお座敷芸や農作業をやる天久聖一が監督したDVDもこの日使っていたのだが、そういうのは一楽さんの窮余の一策ということなのだろう。だがこういうのは、いま無闇に流行っているバカ映像、アホ画像を集めたものの類と変らず、言ってしまえば「見たまんま」であり、批判性とか情報量とかが圧倒的に足りないのだ。やっぱり元からミニマル的な快楽があった「1919」をさらに刻んで反復しつつ、おどれるドラムをナマで入れるといった音楽的再解釈、そしてカタルシスが発生する瞬間にアホアホマン姿の教授の映像をインサートしたり、ラストに「い・け・な・い ルージュマジック」のチューのシーンを持ってきたりといった、愛あるいたずら、リスペクトが、作品に批評性みたいなものを加えていたと思うが(例のマツケンも、基本的には面白映像の域なのだが、トラックが松平や腰元連中のダンスと、バーナード・サムナーのボーカルがマツケンの口の動きとそれぞれ完璧に一致しているところがすばらしいし、何より音楽がブルーマンデーというのがマツケンの爆発しているキッチュさ、だれもが慣れきってしまったこの異常さを、逆照射しているようで批評を感じる)、面白映像がドラムにあわせて行ったり来たりしても、メディアアート造って魂入れず、というか、一楽さんがだれよりも一番痛感しているところなのだろうけれど、今後がやや心配。

脱線したが書いておきたかったことが書けてヨカッタ。帰りは汗ダッラダラかきながら六本木通りを歩いて渋谷まで。SDXの階段上がってi-podのスイッチ点けたら、いとうさんの「SOLEDESM」が爆音でかかって、おいこれ出来すぎてらと暗い一人笑いを笑うも、i-podのシャッフル機能における反機械的アルゴリズム、言わば機械のなかに住み込みで稼動している精霊的アニミズム作用と申しましょうか、神秘主義的な解釈に基づき、その存在をわたし信じてますのでコンビニで追加のビールを買って、シャッフル状態のアイポッドをアーティスト検索に切り替えて、ナンバーガール「mini grammer」〜「drunken hearted」と、深夜の酔い街千鳥足散歩に彩り添える・我的定番ナンバーでズブズブと攻めまくりつつふかく落ち込んでいくこと(/沈降していくこと)への躊躇いはその瞬間、ひとつも発生したりはしませんでした(#)。


#うだるような路上の暑さと耳に注入される音楽に、避ける術も無く酒量いや増していく終盤、ふと紛れ込んだ<落ち込んで>、もしくは<沈降して>という曰くありげな文字群は、だまされたと思ってひらがなに開いてみれば(「おちこんで」、「ちんこうして」)即座に、本文のコアたる男性生殖器のモチーフの変奏としての姿を露わにすること必定なのですよ。