ぼくたちの好きな冒頭13 / 三浦俊彦を読もう1 覆面作家サタミシュウを「追い詰めない」

中央研究室にいま、教官(傍点)たちのてんでに話す声とタバコの煙とが同じ濃度で充満していると仮定しよう。そう無理な仮定でもあるまい。中央研究室というからには、さしずめ研究科主任である安蛭武雄教授の研究室の通称であり、他の研究室のさしあたり一・五倍ほど広く、主任の他に常に事務助手と秘書が一人ずつ詰めていてパソコンを扱っているというほどの事実も付け加えられてほしい。中央研究室という唐突な専門用語に対する警戒心もこれで氷解しただろうか。玄城大学三号館七階の全フロアを占める「総合文化哲学科」の指令塔、管制塔と表現しておけば大過ないというわけなのだが。
エクリチュール元年」三浦俊彦エクリチュール元年』(海越出版、1998年)



SM小説家サタミシュウは2005年に、『野生時代』でデビューした。
現在までに角川書店から3冊の小説(『スモールワールド』『リモート』『おまえ次第』。最初の二冊は文庫化にあたって『私の奴隷になりなさい』『ご主人様と呼ばせてください』と改題)を刊行している。口コミでヒットした作家だそうで、3冊全てが現在、角川文庫で入手できる。

このサタミはいわゆる覆面小説家で、思わせぶりな著者紹介によると、その正体は<本名では多数の小説作品を発表済み>(amazonの著者紹介)で、<本名ではベストセラーを連発する>(http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%B5%A5%BF%A5%DF%A5%B7%A5%E5%A5%A6 はてなキーワードより。お恥ずかしいが著書が一冊も手元にないので孫引き御免)書き手であるとのこと。どうにかして知りたいとは思わないけれど、喉に小骨が引っかかったみたいになんとなく気にはなっていた。それである時、小谷野敦がブログで、サタミの正体を三浦俊彦と驚愕推理。

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内容はリンク先をご覧いただくとして、補足的なおれの見立てを書けば、ひとつは、三浦氏が大のスカトロ覗きビデオ好きであることは強い根拠となり得る。昨年刊行された『のぞき学言論』(三五館)は、ラブホテルの駐車場に垂れ下がってるぴらぴらみたいな働きをする序章をのぞき、400ページ以上に亘って、ほぼ全編がスカトロ覗きビデオの解説紹介という、07年最大の奇書であった。スカトロとSMはパッと見、遠そうだが、高レベルのSMプレイの世界には、排泄行為を媒介にしたものが不可避的に入ってくるだろう。

また、小谷野氏が書くように、女子大の教授という身分では、三浦名義で官能小説は出せないだろうということも、理由としては頷ける。

小説家三浦俊彦のファンであるおれは、この指摘を契機にしてサタミに興味を持ち、書店で立ち読み。本文の文体、巻末の著者インタビューなど流して読んだが、しかしどうもピンとこなかった。まともな文体、正調な組み立ての作品がほとんどない変態実験小説家の三浦俊彦と、プレイや被虐的な心理に変態性は感じられるにせよ、それを記述する文章はわりと平凡(http://npn.co.jp/article/detail/66530628/)なサタミシュウ。二者は自分のなかでダブるところがあんまりないのだった。変態つながりがあるにせよ、それは前者においては「どう書くか」における変態、後者においては「何を書くか」における変態であり、要は「変態ちがい」だという気がする(『のぞき学言論』は思いっきり後者における変態だが、評論なので形式上、仕方ない)。

しかし自分は小谷野氏の審美の眼に信を置く者でもあったから、どうとも判断つきかねる状態でまた一ヶ月が過ぎ、そして今度もまたウェブ上で、プロの書き手が、覆面作家の正体あばきをしているのを目撃する。AVライターの雨宮まみによる、「サタミ=石田衣良」説がおれの前に顕現した瞬間である。

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今回提出された雨宮氏説には、サタミの実作そのもの、またはそれがどうであるかというような、細密な検証、推論などを脇に打っちゃったままで、なにか雰囲気で万人を納得させてしまうような、強烈な説得力(と呼んでいいのか)がある。おれは石田氏の本をまるで読んでないにもかかわらず、「あ、そうか」と膝を打ちそうになって、寸止めした。いやいや、しかし、そんなもんですか。そんなもんだったらあんまりにも面白くないじゃないですか。三浦俊彦だったら、面白いじゃないですか、ねえ。

でも現実というのは、そう好事家ごのみにはできていない。そのことは、昨年末に話題にした、『週刊現代』が懸賞金プレゼントキャンペーンを実施して大いに盛り上げた、女子アナ官能小説「オン エア」の経験で、よく判った。

この小説はある芥川賞作家が、<芥川龍>という変名でエロ小説を書くから、作者を当ててね、という趣向だった。おれはさんざ妄想逞しくて、平野啓一郎だったら意外だしこの人のキャリアにとってもよく判らない面白みのある波紋を生むし、平野氏だろう、と大胆推理した(id:breaststroking:20071224#p3)。

しかしその正体は、『週刊現代』誌面での公式発表のまえに、『日刊サイゾー』のすっぱ抜き(http://www.cyzo.com/2007/12/post_224.html)により、柳美里と判明。『週刊現代』にも自分にも、あんまり面白くない顛末となった。ちなみに平野氏はその間もまじめな創作活動を展開し、晩夏に『決壊』上下巻となって、自分のペースで良作を世に問い続ける、社会性を持った純文学作家(だとはおれまるで思わないけど)として名をまた高くした。よかったですね。

つまり、現代における覆面小説家はたいがいが覆面を外して素顔を晒してみても、「ああやっぱりそう」、「それって全然意外性なくね?」などというような今日的・醒めたリアクションしか獲得できない。そう仮定しよう。で、この現象を、AVメーカーMUTEKIhttp://www.mutekimuteki.com/)が自社が送り出す芸能人第二弾として、タレント吉野公佳の名前を8月、大きく発表し、その際、自社のウェブ上で「現役芸能人専門AVメーカー」と華々しく謳っていたが、それからしばらくして、このタイトルが実はAVではなく、セックスを擬した場面もたまにある、主として上半身ヌード主体のイメージビデオであることがスポーツ新聞かなにかで報じられ、ウェブでの告知を見て期待でぱっつんぱっつんになっていたものだから、急に冷や水ぶっかけられておれもう何がなんだか判らない、という呆然としたファン(中核メンバーは29歳〜36歳くらい)が、ふらふらの態でふたたびMUTEKIのサイトを覗いてみると、昨日かおととい、確かにそこにあったはずの「現役芸能人専門AVメーカー」というコピーは、「AV」が抜けて、「現役芸能人専門メーカー」という、なにを言っているのかよくわからない文句になっていた、また、AVという文字も真ん中にIが入って「AIV」、つまり、「アダルトイメージビデオ」に変わっていた、という、現代におけるタヌキの化けたやつのような、ウソのような本当のような、へなへなとへたりこんでしまうような脱力する(おれが)実話をいつまでも忘れないで頭に刻んでおき、怒りに根ざした闘志を持ち続けていくためにも、「MUTEKI現象」とここでは仮に、呼ぼう。

だいたい三浦氏は、<本名ではベストセラーを連発する>小説家ではない。芥川賞には「これは餡パンではない」、「蜜林レース」あと「エクリチュール元年」で三度候補になっているけれど(http://homepage1.nifty.com/naokiaward/akutagawa/kogun/kogun111MT.htm)、これらはいずれも94年から95年にかけて発表された短編で、河出書房新社の『文藝』から出たさいしょの二作は、この書肆が、藤沢周赤坂真理阿部和重鈴木清剛らの著書を続けざまに刊行して、ひと括りにJ文学というジャンルを打ち出し、国内のポップな文学(もしくは文学的な意匠を持った読み物小説)を本格開拓していくほんの少し前の時期の作品だから、当時をリアルタイムで眺めてはいないが、これらはそう大した話題にはならなかったはずだ(以下、小谷野氏も指摘しているが、ここでのベストセラーを、創作に限らず、論理学本にまで広げれば、この分野では、ベストセラー作家と呼んでいいのかもしれない。しかしそれではちょっと、苦しい感じがしないか)。

小林信彦と伯仲する(http://homepage1.nifty.com/naokiaward/akutagawa/kogun/kogun74KN.htm)、2年間で三度の芥川賞ノミネートはしかし、三浦氏を受賞へ押し上げることにはならず。それ以降、氏と創作とのホットな関係はクールダウンしていったようで(当世珍しい、ほとんど自己言及しない人なので、そこに何らかの断念や文学界への侮蔑があったかは興味深いけれど、おれ知らん)、やがて氏は、それまでの軌道を修正させていき、いつしか小説よりもサプリメントや論理学の人になっていく。それがこの10年のこと。

サタミに話を戻すが、もしこの覆面作家がほんとうに石田氏なのであれば、本当に石田衣良という人は、気が狂いそうになるくらい私どもの既成概念を裏切らず、予定調和の人で、その無害さは、もうホラーである。これほど次なる動きが止まって見えて、何を考えどう言うかがこちらの頭に浮かんでくるような人間がいていいのか。だいたい自分はサタミの文章も石田氏のも<読まずに語>(by田中康夫)っているから、いつまでも実地のテキスト検証に踏み込んでいけず、そこがこのイッタンモメンのような文章の不毛さの根幹なのだが、「サタミ=石田」であるならば、いや、そんな推論が禍々しいある力強さ、真相の予兆を孕んでいるのであれば、もうその時点でおれは、余計な手数を取るようなことも止めて、今すぐ風呂に入って今日はもう寝る。


#この文章は、本式の検証文ではないのと、自分がサタミの存在をきちんと知ったのが今年に入ってからであるため、2005年以後のサタミの正体を推理する言説とは、縁がない。さらっと探した範囲では、以下の推理が見つかった。

id:amanomurakumo:20050428#p1 

重松清説。小谷野氏が参照して首をひねったのも、こちらのブログエントリか。対談での、重松氏による示唆的な発言というのが気になる。が、氏は官能小説らしいものも書いているけれど、私見では、SMの世界が、判って書ける人ではないという気がする。