グラビアアイドルという百魔5・優木まおみ、アーキテクチャとの闘い


●ことし好きだったグラビアアイドル

おととしくらいまでならいくらでも言えたと思うが、何しろ森下千里の乳首ぽろりをきっかけにアイドルグラビアというものが崩壊してしまった後なので(id:breaststroking:20050103)、一向に熱くなれないし、そもそもあまり熱心に追いかけてもいないのだ。もちろん、森下悠里の活躍はこまかくフォローしているが、これだって惰性である。森下は写真集『月刊森下悠里 nuida!』(新潮社)で見せたセミヌードは面白く見たが、ほかのグラビアはすべて金太郎飴状態だった。これは作り手と森下の計算ミスのせいで、何のことかといえば、彼らは読者の精液を最期の一滴まで絞り出させる、そんなグラビアづくりのことしか頭にないのだ。グラビアはセルDVDとはちがう。森下の表現はガチンコすぎて遊びがない。グラビアアイドルが、ミスグラビアというかセクシーグラビアの体現者としての自意識をもって、エロの化身みたいになると、男にとって「どうだエロいだろ参ったか」的な威圧感のある被写体になってしまって、そうなるとあとは延々不幸なマンネリがつづくだけだ(ただオヤジ受けは上がって、『経済界』とかに連載をもてるようになるから悪いことだけではないが... http://www.keizaikai.co.jp/new-maga.html)。

森下はまさにそれで、グラビア不況下にありながら、グラビアディーヴァというか、グラビア界の女神としての自分をつよく意識しているところがあって、むしろそこから出てきた活動が一般のグラビア活動よりも面白かった。中森明夫や、電通とかの若いギラギラしたクリエイターらと、草の根的にチームを組んで制作・配布した"フリーグラビアマガジン"『GO-GAI』(4月創刊 http://g.my-stage.jp/pc/index.html)は、グラビアアイドルが主体的につくるグラビア、しかも既成のつまらなくなった青年雑誌ではなく、自前でスタートさせたフリーペーパーというのが面白かった。もっと言えば、グラビア専門のフリーペーパーというコンセプトが過激だったし、森下みずから、発刊日(4月8日)に渋谷の交差点でゲリラ配布したというのも、時代をはべらかしている感じがして痛快だった。

http://today-yuuri.cocolog-nifty.com/yuuri/2009/04/400-9e8e.html
http://today-yuuri.cocolog-nifty.com/yuuri/2009/04/post-5be9.html
http://today-yuuri.cocolog-nifty.com/yuuri/2009/04/17-d493.html

グラビアより面白い現実があちこちに散乱している状態で、予定調和の状態で静止したまんまのグラビアを面白がれというのも、無理な話なのだ。現実が意欲的で刺激的なグラビアを追い越してしまった。

写真集やDVDが売れなくなって、事務所がグラビアからモデルをじっくり育てようとしなくなったことが、業界的にはたぶん大きいのだろうけれど、いまやグラビアのほうが現実より保守だし、中途半端なのだ。小向美奈子のストリップ興業や、眞鍋かをり小倉優子らが在籍した芸能事務所の脱税逮捕、熊田曜子の女性向けメディアへの越境なども、グラビア崩壊をつよく感じさせる。平和なグラビア世界は内側から瓦解した。また、佐々木希杉本有美など、おお
よそ2007年くらいまでのアイドルグラビア界ではあり得なかった容姿のグラビアアイドルが天下を取っている状況もグラビアの世界のよくない変化として写る。加藤夏希が付き合ってたマネージャーに大金を持ち逃げされたのもショックなニュースだった... 私情が入ってきたのでもどすが、読者がアイドルグラビアに求めているものは確実に変質してきている。ぽよぽよした肉の感じ志向(http://blog.excite.co.jp/noda/421403/)から、心の安息を得られるような擬似彼女志向に移っているのだろうか、後者に興味がないからよく判らない。

そんな冬の時代にあって健闘している人もいる。相澤仁美佐藤寛子、そして『サイゾー』でグラドルとしての高い誇りとつよい自意識を見せた辰巳奈都子ら、かつて時代を支えたエース級が不気味な沈黙状態に入り、正統派グラビアアイドルとして時代を引っ張っているのは原幹恵、一歩ひいたところから優木まおみ川村ゆきえ、正統かは疑問だが森下悠里、グラビア外の拉致事件などで2008年話題をつくった仲村みう(9月ごろグラビア引退を発表し、どの雑誌にも「ラストグラビア」が掲載されていたが、さっき本屋に行ったら、まだ載っている雑誌があったので)といった状況だったろうか。しかしいずれにしろ新鮮味がない。

そのなかで今年良い仕事をしたと思うグラドルを挙げれば、手島優。個人的な好みだが(個人的な好みから出立しないグラビア感想文があるだろうか?)、切れ長で二重の目、とんがった唇、おっぱいと、売れるグラドルの萌え要素がスレンダーな肢体、小顔のなかにこれでもかと詰め込まれていて、この幕の内的な詰め込まれ方はファンタジーですらあり、森下悠里が切り開いた「サイボーググラビアアイドル」の文脈の上で注目しているが、この人はSっぽい要素満載なのに、誌面から、そしてテレビ画面から、不幸そうな色気がいつも充溢しているところが良い。仮に整形だったとして、サイボーグ化も、やむにやまれず、断りきらず、いつの間にかやってしまった、というようなこっちの想像を膨らませてくれるところも好きだ。こういった色気というのは、空気感といってもよいけれど、サイボーグ技術がいくら進んでも、人工的には身につけられないもので、グラドルには何より必要な武器である(まあ改造人間の悲哀といえば言えるが、ことば遊びにすぎるか)。

そして青島あきな。アイドルグラビアが、アイドルグラビアとしての自分に、まだなんの疑問も、危機感も持っていなかったころ。まだ草食巨大恐竜が、外敵や環境変化もなく、のうのうと草をはんでいられたころの、言い換えれば野田さんがサンズじゃなくて、キャブだったころの、牧歌的な空気を思い出させてくれる、懐かしい巨乳グラビアアイドル。声がかすれ気味で、やたら明るいのも往年のMEGUMIらを思い出させてくれるようで嬉しいし、宮崎出身だからキャッチフレーズが「マンゴーおっぱい」というのも、すがすがしくて好きだ(http://shin.s-ence.org/archives/2009/11/27427.html)。これからもがんばってください!(←学生のときにおれが握手会でアイドルにかけていた言葉)

あとはどんどん本格派の貫禄を身につけている小泉麻耶、いま出てる『SPA!』でグラビアン大賞選ばれていた護あさな(『GO-GAI』第三号ほしい)は気になる(追記:次原かなちゃんも、入れさせてください! ギャルなのに人なつこそうで巨乳、という、青年誌読者に打ってつけの特性を持ち、一年をつうじての安定した登板が光った)。しかし真剣には追っていないし、ここで取り上げたい人は別にいて、優木まおみです。


優木まおみのユニークさ、グラドルと語学番組


優木まおみがグラビアアイドルになったのはいつごろだったか。この奇妙な問いはどういう意味でしょうか。通常、グラビアアイドルは、タレントとしてのキャリアを始めるときすでにグラビアアイドルとしている。グラビアアイドルとは、アーケードゲーム戦場の絆」でジオン軍から始める場合でいえば、「ザクII」であり、キャリアの出発点の肩書きであることがほとんどだ。そこからテレビタレントになったり、AV女優になったりする、スタート地点だ。
しかし優木の出発点はそこではなかった。女優か、バラエティタレントか、番組アシスタントか、そんなものだったはずだ。大きく括ると、「知的美人タレント」として優木は売り出されていた。しかしどの仕事でも、あまりパッとはしなかった。好事家はチェックしていたけれど、天下をとる様子はなかった。

その「知的美人タレント」(ただしあまり売れてない)が、ある時、急に立ち位置を変えたものだから、知っていた人はみんなびっくりした。wikipediaで見ると、転回点は2007年の前半あたりだったようだ。1980年生まれの彼女は、とつぜん青年誌のグラビアを飾るようになる。大卒(東京学芸大)の知的な水着のおねえさんとして。不思議な印象だった。無理に水着にされてかわいそう、と思いながら読者(おれ)は興奮した。思えばこの、「急にグラドルにさせられて、かわいそう」「やりたくもない仕事で、不本意そう」という哀れみが、読者の気持ちを高ぶらせたのだろう。うまいことをやる。

優木のキャリアシフトが何によるもので、彼女がそれをどう受け止めていたかは、興味があるが知らない。ただ結果からいえばこの路線修正は成功した。彼女は人気者になった。これをグラビア界のUターン現象と呼ぼう。Uターンの先で彼女はさまざまなテレビに出演しているが、ここで取り上げたいのはNHK教育テレビの「英語が伝わる!100のツボ」(NHK教育、2008年3月31日〜9月25日、2009年9月28日〜。wikipediaより) である。

http://mainichi.jp/enta/geinou/graph/200801/31/

NHK教育の外国語学習番組(http://www.nhk.or.jp/gogaku/)をみると、芸人、バラエティタレント、アイドル、お天気お姉さんなど、各分野の人がアシスタントとして出ているが、このなかで、グラビアアイドルは毎シーズン、きっちり一定議席数(2〜3)を確保してくる、定番のトライブとなっている。改編前には、つぎはだれが出てくるか、ちょっとした話題にもなる。

なぜ語学にグラドルか? 語学を学びたいけれど使えない視聴者が感情移入する対象として、語学ができてはダメで、素人で、視聴者と一緒にプログレスしていける人。あるいは、極端に上達が早くてはダメで、見ている視聴者がやる気になって、飽きずにつづけてくれるような人...そんなハードな人選、あるのかよ、というところだが、グラビアアイドルをはめこんでみると、なんと見事これら全てをクリアしているのである(男性目線の場合だけど)。最初にそれに気づいたディレクターか作家のひと、「エウレカ!」を唱えたと思う。かくしてグラドルは語学番組に進出した。当時はバラエティへの進出も今ほど進んではないなかった。

では語学番組にグラビアアイドルが起用され始めたのはいつごろだろう。以下のサイトがまとまっている。
http://allabout.co.jp/entertainment/idol/closeup/CU20070222A/
曰く、2001年のフランス語講座井川遥を嚆矢とするそうだ。確かにだいぶ話題になった記憶がある。ああ、ロシア語の小林恵美も良かったよな、仲根かすみも出てた、うんうん。ここには出ていないが、個人的にはイタリア語講座に出ていた佐藤康恵が思い出深い。ウェブでは97年からと98年からの二説あるが、2年間、ジローラモの相方をつとめ、ジローブレイクのきっかけも作った。グラドルではなくてモデル出身のタレントだが、あの清涼感は忘れがたい。CDも買ったもんな。イタリア語には、板谷由夏もその後だったか、出ていたので、美形女性タレント出演の走りだったのかもしれない。彼女たちの出演は、その流れをゼロ年代のグラドル時代のために準備したと言えるかもしれない。

こうした大河(ドラマじゃないよ)のようなETV語学番組における女性タレントの歴史の現在地点に、優木まおみはいる。大卒という要素を買われたのだろうけれど、これで水着をバリバリやっていなかったら声はかかったろうか。厳しかったろう。

そこで話は少しもどるが、人気グラドルの一つの必要条件として、「哀れみをさそう」というのがあり、手島優や優木はそれで成功している節があると書いた。たとえ笑顔でもうっすら不幸そう、何をやっても周りから強いられている感じなど、好き放題言っているようだが、グラビアはほんとうに男の都合にあわせた世界なので、そんなにめちゃくちゃ言ってる訳でもない。それで、その「哀れみ史観」のパースペクティブに100パーセント乗っかって作られているのが先述の「英語が伝わる!100のツボ」なのである。それをかねてより一度ご説明したいと思っていたので、この流れで話す。


●「英語が伝わる!!100のツボ」のアーキテクチャ


まずそんなに良い視聴者ではないので、いま放送されているシリーズは、たぶん去年のやつの再放送だと思うのだが、そこは自信がありません。この番組、優木が出演するパートで彼女と共演するのは、英語の先生と、ネイティヴの発音を教えてくれるハーフのお兄さんの二人だが、先生は草間弥生みたいな女の先生(西蔭浩子)で、ネイティヴの人はどこかお猿さんぽい隙ッ歯のハーフの人(サイラス・望・セスナ)で、ちょっと絵面が面白い。だが特筆したいのは状況設定で、三人は日本家屋の屋根の上に腰かけている舞台設定になっている。なぜ屋根の上かというと、いつも番組の前半はドラマパートになっていて、それに沿って例文の学習を後半で優木らがやるのだが、ドラマの舞台になっているのが屋根の下の家のなかだからである(と思う)。初回を見ていないので判らないが、草間と隙ッ歯の人のメルヘンチックな衣装をみると、彼らはファンタジーの国から来た、フェアリー的な役どころなの、かもしれない(ただし優木だけ普通のおしゃれ服)。まあ、語学番組なのに屋根の上にいるというのが特殊な訳です。

で、ここが大事だが、何しろ屋根の上なので、正面から三人を映すときのカメラアングルは、いつも微妙に下から、仰角で見上げる感じなのである。わたしはこれを言いたいためにつらつら書いてきた。そして自分が確認しているかぎり、中央の優木は毎週衣装がちがうくせに、いつもきまってかなりミニのスカート、ないしワンピースを着用して、すらりとした美客をを斜めに流すようなモデル座りをしているのである。そのため優木が出演するあいだ、引きの絵になるときはかならず、カメラは優木のミニスカートから先の世界を、若干ではあるが見上げようとする角度で映すことになる。

教育番組は人がものを学ぶ番組だから、エロくあってはならない。「ゴッドタン」のエロ暗記企画みたいに、誘惑があっては勉強もはかどらない。その建前を意識しつつ、この「英語が伝わる!100のツボ」はあえてエロを画面に忍び込ませる。ただ、もしこの番組の隠しているようで大手を振って歩くような全開のエロについて、識者がこの番組はエロくてけしからん、なんてことを言った日には、あなたはどんな目で番組を見ているのですか? と返す刀に突っ込みを受ける可能性が高いから、正面からは非常に糾弾しづらいわけだ、このつくりは。若干スカートを見上げる角度なのは、屋根の上にいる設定だからで、何もおかしことはない、と返されるのがオチなのである。正面批判できないのが「フェアリー的な人たちが屋根の上で」という設定なのである。参った。そして、エロくないはずのものがエロい、というのは、制服ものや女教師ものなど、この国独自のコスプレ文化創成以来つづく、エロ演出における鉄板だ。「英語が伝わる!100のツボ」は、そこを巧妙に利用した高度なお色気番組と化している(ように見えるのだわたしには)。

エロを指摘する識者とそれを理屈でかわす制作者の攻防、というのは自分の妄想だが、もう一つの物理的な攻防がこの番組のなかで、常に行われていることを指摘したい。それは仰角気味のカメラアイと、ミニスカート(あるいはワンピース)の裾から先にはそれを侵入させまいと、裾の三角形の上を抑え込むように、窮屈に添えられた優木の両の手との無言の闘いである。あるいは、ある回では裾の部分より手前、ひざ小僧の上でガッチリ手を組んで、カテナチオばりに徹底防御を図る姿勢もみられた。このように毎週、熾烈極める戦いがつづき、本来それとはなんの関係もないはずの男性視聴者は、語学をまなびたいだけなのに、誘拐された奴隷のように闘いに巻き込まれ、カメラアイに荷担させられ、屋根の上で足をお姉さん風に片側に曲げて、その上に手を添える優木が気になって、まったく語学に集中できない(だが、この鉄の防御も緩む瞬間が、毎回まれにある。それは優木が先生とのやりとりの最中、ジェスチャーを加わるところで、かつ引きのショットとなる場面。そして、さいご、「ごきげんよう!」の手振り・あいさつとともに、引きのショットになる場面である。これら、守りが手薄となる瞬間においては、いっそう勉強に身が入らない!)。

何重にも倒錯した「英語が伝わる!100のツボ」だが、その基底にあり見逃せないのは、優木という、芸能界で運命に翻弄され、何をやってもどこか不本意なことになる彼女の魅力が、十全に発揮されているということだ。偶然か計算付くか、佐藤康恵から10年、NHK教育は長期に亘る壮大な実験の末に、テレビ史の片隅に、おそろしい達成を刻んでしまった(ここまで書いて思ったが、これはすべて、年末の浮かれ気分からくる、個人的な妄想だろうか??)。