東京堂は世界一、あるいは高校野球の女子マネージャーがドラッカーを読んでどうこうなるという本を小説として不出来だし安易なマーケティング本だとして貶す書評家(永江朗氏)にキャリアの限界を感じるの巻(コミュニケーションをめぐる四題、に、書くはずだった文章)


文章は時々書いているが書き上がるところまでいかなくてほとんど携帯やパソコンのハードディスクに眠ってる(iPhoneを買って、Evernoteを使い始め、フリック入力に習熟してからは、外で書く能率が上がった)。このエントリでは、1月に書いたものを載せます。出てくる新刊の書名がすこし古いのはそのためです。12月末の気分で読んでください。


* * *


愛読しているLimited Express(has gone?)のJJさんのブログで、渋谷タワーレコードの1階が、主張や個性が消失して残念である、というようなエントリがあった。

http://limited-ex.jugem.jp/?eid=664

気が付いたらタワレコ渋谷は変わっていた。右手ではほとんど専門店のようにDVDコーナーが拡大しつづけ、奥にはよく判らないナップスターの配信コーナーみたいなのが、バーカウンターみたいにでーんと展開され(追記:2010年3月に行ったらそれもなくなり、催事スペースとなったのか、東方神起の写真展みたいなのをやっていた。もうCD屋でもなんでもない。ただ、皮肉なことに、ものすごく賑わっていた)、左側入り口すぐのスペースもいつからか雑誌売場となり、まんなかに健気にがんばっていたCDコーナーも整理されてかなりアイテム数が減った。それはつまり、メジャーものの割合が増えたことを意味する。何をどんな考えで売っていくのか方向性を見失った状態に、渋谷タワー1階はあるように見える。

一方で、自分がけっこう好きな池袋タワーがある。面積は大したことないけれども、インディコーナーのポップがすばらしく詳細で、目配りもよく、この区画はとても狭いけれども、小さな学校のように活用させてもらっている。there is a light that never goues outの総集編的アルバムや、3cm toursのDVDなど、歴史を踏まえた情報性の高いポップに惹かれて購入したことも多い(ポストハードコアだけじゃないよ)。しかし、たまたまやってきてその惨状におどろいたとんからさんからわざわざ携帯メールが届くくらい、いつも閑古鳥が鳴いている。

タワーがしっかりしてくれないと困る。文化の屋台骨なのだから、という話はいくらでもできるけれど面白い話にはならないので、時は年末、場所は神保町・東京堂書店に移る。

自分はいまの場所に引っ越してきて、以前のように足繁くは東京堂に通わなくなってしまった。近所の書店でことが済むとはちっとも思ってないし、週に何度もブックファーストジュンク堂やリブロやABCに通っていたって、東京堂書店の軒をくぐって、あの新刊平台を観察していなければなし得ない出会いや発見があることは、体験的に判っている。でもなかなか時間が作れない。神保町は19時で95%閉まっちゃうし(前出のお店は22時〜23時!)。そうやってモヤモヤとやっているうちに、東京堂の顔役である佐野店長も取締役になって、1階でお顔を目にすることもなくなってしまった。

http://www.navi-bura.com/special/0808dokusyo_tokyodo.html

やっぱりお店も、顔役が店先からいなくなると変わっていくものなのかな。そんなことを考えながら、ことしの買い納めということで東京堂へ。

山形浩生メールマガジン『週刊ビジスタニュース』12月24日配信号(http://www.sbcr.jp/bisista/mail/)で賞賛したのを見て(http://www.sbcr.jp/bisista/mail/art.asp?newsid=3397)、服部正也『ルワンダ銀行総裁日記 増補版』(中公新書)が読みたくなった。しかし、ジュンク堂の本店に行っても売り切れてるの。これはこれで反射神経のよい熱心でしずかな(ここ重要)読者がいることを喜んだけれど、いつまで買えねえのも癪だから、東京堂で探すことにした。新書は二階。しかし不案内だし荷物で肩も凝ってるから、まっすぐにレジへ行って店員さんに聞く。これは一つの、スレッカラシの面倒くさい客が発する、お店への挑戦状でもあるの。

「すみません、中公新書の、ルワンダのやつ、ありますか?」
「はい、お待ち下さい」

男性、30代くらいの店員さんは、言うなりすーっと右手奥の新書コーナーへ消えていった。この迷いのない後ろ姿には、感心するまえに、「大丈夫か?」と思ったね。書名も著者名もおぼえてない客のムチャ振りに、即答なんて、できるのかしら。

そうしたらものの15秒とかからず、一冊の深緑の新書を持って店員さんは戻ってきて、おれは感動してしまった。しかもそれだけじゃない。会計をするときに、もらったお釣りとレシートを、サイフにしまい終わらないうちから「ありがとうございました!」って言って、あとずっとこっちがあたふたとサイフを片づけるのをだまって見ている店員がいるでしょう。あれはおれなんか酷く焦らされる。タクシーでもよくある。荷物がめちゃくちゃあるのに、お金を払うか払わないかのところですぐ後部座席ドアをあける運転手。身軽な時は良いんだけど、こっちはまず荷物を手繰り寄せるのに必死なんで、早く出ろオーラ出すなよとプレッシャーを感じる。いずれの場合も、こっちはお客さんなのになんでアセアセしなきゃいけないんだ、と不満を感じる。しかしこの東京堂の店員さんは、おれが不器用に小銭とレシートをしまい終えて、サイフもしっかりカバンにいれ、しかもカバンの持ち手をつかんだところ、そこまでの動きが完了したのを確認して初めて、「ありがとうございました」を発し、カバーにつつんだ本を差し出したのである。この呼吸におれはシビれた。

うれしい気持ちで一階へ。しかしおれはまだ、探している本があったの。新刊平台を一周し、店内をまわってみるが、見つからなかった。だからまたレジへ行く。今度は若い女性である。

「すみません、内田裕也の、モブ・ノリオが書いてる本は...」

最後まで言い切らないうちに女性の表情がシャンとなった。「はい、お待ち下さい」というなり、レジを片方の女のひとに預けて、まっすぐに向かった先は、東京堂名物の新刊の平台...ではなくて、反対の、文庫コーナーの方だった。おいおい、そっちに何があるんだ?、と一瞬思った自分を恥じたい。彼女は迷いなく、そこにいた女性責任者まですーっと歩いて行くと何か伝えた。するとこんどは、伝令を受けた責任者が、引き絞ってから放つ矢のように平台へ取って返してくる。平台のあるところまでピンポイントで向かうと、おれが見逃していたところから、街頭の書籍をピックアップして、もどってきた。この間30秒くらいか。早い、そして迷いがない。センターに抜けそうな打球を横っ飛びでショートが捕えたところからはじまる6→4→3のダブルプレーのように、無駄のない鮮やかな連携をおれは見た。分担とコミュニケーションが徹底していなければこうはならない。

話はまだまだ終わらない。会計の際は、さがしてもらった『JOHNNY TOO BAD 内田裕也』(文藝春秋)をふくめ、10冊ちかく本を買い込んだから、レジカウンター上のスペースが、買った本でいっぱいになってしまった。つまり、お金を払うときに小銭を置くプレート、あれを置く隙間がなくなってしまった。もしや、デスクに積み上げられた、おれが買った本の上にプレートを載せたりはせんよな...と一瞬でも思ったおれ。その時のおれをおれは恥じたい(しつこい)。店員さんは逡巡することなく、自ら両手でプレートをしかと持ち、おれが手を伸ばして払うのにいちばんやり易いポジションまで持っていくと、皿を地上に着陸させることなく、本の山の上空で固定した。おれは空中に突如出現したジブリの城的なものに捧げものを提出する心持ちでお金を払った!

お客の要望にあらゆるサインを読み取って気づいて、相手に余計なエネルギーを使わせることなく、できるだけ気持ちよくお金を使ってもらう。接客の本、ビジネスの本、専門家の講座など、あらゆるところでみんな簡単に言うけれども、できているお店なんかほっとんどない。おれは神保町は東京堂書店でプロフェッショナルの仕事を見たから、年末も楽しく本を読んで越せた。