ryuto taonと抱擁家族、次回ライブは12月8日(水)

ノッてろよー。超ノッてろよー。
向井秀徳『厚岸のおかず』(イーストプレス)より、連続殺人鬼TOSATSUマンに殺害された男たちの間ではやっていた言葉


歌詞は決めず、出たとこ勝負。ラップトップ演奏もライブ演奏だから二度と同じことはできない。
そうやって、作ってはぶっ壊し、作ってはぶっ壊しして、その中から立ち現れてくるものを記録する。
完成を見ない不断のスクラップアンドビルド作業、それがryuto taonと抱擁家族(http://www.myspace.com/hoyokazoku)の活動スタイルである。
どこに向かっているのか、そして外から見てカッコいいのかカッコ悪いのか? そこも、よく判らない。ただ、マイペースにヘンなことをやっている自覚はある。

では自己変革を繰り返す(しんどいからあんまり繰り返したくないがそうせざるを得ない形式を持つ)rtと抱擁家族は非オヤジ的で、ホリエモン的なバンドなのか? 否である。

『君がオヤジ』で、思考停止を拒絶するのとおなじ強い姿勢で、著者にNOを言われているのが、時間対効率が悪い娯楽、あるいは情報メディアである。そこで挙げられているのが「小説」だ(思考停止してしまうのとしては、テレビや懐メロカラオケが挙げられている)。

 僕は小説を読むメリットは、あまりない気がする。
 思考をただ埋めるには、役立つかもしれないが……あれは長すぎる。
 小説に書いてある、最も重要なメッセージにたどり着くのに、延々ページをめくり続けなくてはならない。その間の風景描写や、キャラクターの心情の移り変わりがあまりに退屈で……正直うんざりする。行間を読んで楽しめるほど、僕は気が長くない。
 小説を読むなとは言わないし、役立つ部分があるのも認めるけれど。
 時間対効果が薄すぎはしないだろうか?
 読書にかける時間と、結果として得られる情報の価値が、僕の実感では釣り合っていないのだ。


(深呼吸一回)だいぶ長くなってきた。ここで声音をちょっと変えよう……、効率重視の功利主義なんてクソくらえ! 私どもは生きてる実感がほしい。舌の上がキラキラするような幸せを味わいたい。rtと抱擁家族のストイックで大変しんどいスタジオ練習を飽かず繰り返しているのも、ナボコフやV.ウルフや小島信夫の読みにくい小説をちんたらちんたらと時間をかけて読んでいくのも、「乗ってろよ〜!」と叫びながら九十九里に向かう、按摩学校の学生と変わらない価値観でやってるだけなのだ。

かちゃくちゃは今月、名古屋の愛知淑徳大学で開催された、ナボコフ協会の研究発表会で、東京大学の博士を修了し、日本学術振興会の特別研究員である秋草俊一郎氏(http://jglobal.jst.go.jp/public/20090422/200901011740112023)の発表『「カスビームの床屋」再訪』を聴いた(http://vnjapan.org/main/news.html)。

カスビームの床屋というのは、ナボコフの『ロリータ』で、小児性愛者のハンバート・ハンバートがたまたま訪れた床屋のことで、登場するのはほんの1ページくらい。ストーリーの本筋にはまったく絡まないし、多くの読者はそんな人物が出てきたことさえ、この長めの小説を読み終えたときには忘れてしまっているだろう。ただ、ナボコフはこの人物が登場する場面にふかく愛着を持っており、執筆にこの場面だけで1ヶ月をかけたと書いている。また、哲学者のリチャード・ローティが、その名もずばり「カスビームの床屋」なるナボコフ論を書いていることでも知られている(http://booklog.kinokuniya.co.jp/kato/archives/2010/01/post_181.html)。

秋草氏の発表は床屋の死んだ息子に実在の人物のモデルがいるのでは? という仮説のもとに、息子の探索を行う。床屋のくだりは一瞬。ヒントはテキストのなかにしかない。息子は野球選手だった。30年前に死んでいる…など。若島正を想起させる、明晰でディテクティブな手法で、当時の新聞記事などを検証しながら床屋の息子を追い詰めていく。注目の探索行の結末は……、なかなか感動的なむすびで発表は終了したが、テキストの細部を読むことの楽しさをカスビームの床屋のくだりは、そして『ロリータ』という小説は教えてくれるし、読みというのは際限なく深めていくことができるものだということを、秋草氏や、若島氏の手法は教えてくれる。もちろん、大半の小説には立ち止まって吟味すべき細部は存在しない。複線がどうこうとか、会話がリアルで、とか、心理描写が巧みで、とか、そういうのは、あるけれど。が、だからこそ、傑物に出会ってみたいと思うのであって、自分は時間対効果なんてことも考えずに、実生活の役にも立たない小説読みというものをするのである。

村上隆の芸大博士論文「美術における『意味の無意味の意味』をめぐって」を文字っていえば、「無為の無意味の意味」というようなものがryuto taonと抱擁家族の追及しているものである。無意識を掘ったら何が出てくるか、何度も時間をかけて、繰り返してみる。それ自体に生産性は何もないが、私どもにとってそれは生の確認作業、調節作業のようなものです。私どもはそれを約3年間、やってきた。ガウディの建築や郵便配達夫シュヴァルのお城みたいに、完成することはない構築作業、その最新版の更新作業をガッチャンガッチャンとやってみたい。2010年12月のrtと抱擁家族をぜひご覧ください(出演は1番手だから6時半だ!ギャー!)。

『高架下のユース season.18』
高円寺クラブミッションズ(http://www.live-missions.com/
12月8日(水)
OPEN 18:00 START 18:30
前売り1,500円 当日2,000円
鳥を見た/ソニックアタックブラスター/morran/血刃了/ryuto taonと抱擁家族