熊谷朋哉さんへの質問


熊谷さんはじめまして。かちゃくちゃと申します。写真集楽しく拝読させていただきました。写真のみならず、言葉を寄せた関係者の選出も、シビれるものがありました。

まず前置きになりますが、ぼくがお訊きしたかったのは、『YMO×SUKITA』の造本そのもののことなので、鋤田さんやYMO、中島さん、熊谷さんの<名誉>を汚すつもりはありませんし、まして書物をめぐる<ガチな質問>と回答をやりとりすること自体が<ケンカ>になってしまうとしたら、本意ではありませんし、残念だと思っています。

タワーレコードの『イントキシケイト』でのどなたかの書評でも引用されていましたが、鋤田さんの「あとがき」に<20世紀を彩った紙の文化の良さを、ギリギリまで追求できたのではないか>という言葉がありました。鋤田さんも単に作品を提供するだけでなく、デザイナーや編者の方と本作りに一緒になって取り組まれたのだと思います。

その上での疑問は、豪華本として出すのか、気軽に読める、カジュアルで雑誌的な味わいのある本作りにするのか、どちらを目指したのか、端的に伝わってこなかったということです。

本体の、さわり心地は良いものの、ザラついた味わいを受ける印刷、薄い紙の選び方は後者であるように見えます。ザラついた印刷が記憶のフィルターのようになって、当時の華やぎや雰囲気を伝えてきて、モノクロと相まって、効果を上げていると思います。

ただ、カジュアルで紙の感覚を前面に出す本作りなのであれば、段ボールケース(適切な呼び方が浮かばず、こう呼ばせてください!)は要らないと思いました。ケースがあることで、豪華本としてのアートブックなのか、どっちつかずになってしまったと思いました。ケース自体にそれほどグッとくる印象は持てませんでした。素材自体の問題もありますし、シールをカッターで切ってしまわないと開封できないのも芸術的演出として効果があるのか、伝わってきませんでした(豪華本ならカッターを入れる体裁にはならなかったと思いますが)。鋤田さんの発言に添うならば、アメコミのようにガッと掴んでパラパラと気に入ったところをめくっていく、箱なし、本体がむき出しの体裁のほうが、趣旨に合っていたと思ったのです。とかく箱入りアートブックを有り難がってしまう貧乏性な風潮もありますから、そのほうが気持がよかった。

造本の方向性というのは、いくらくらいの本を作るのか、どのような本作りをするのかなど、いろいろあるのかと思いますが、今回、ケースが申し訳のように付いてきたように見えたために、過激なコンセプトの足かせや言い訳になっているように感じてしまいました。

ということで、紙の文化にこだわるというコンセプトに対して、本作りの方向性をどのようなプロセスで決めていったのか、興味がありました。本体最後の延々とつづく白ページの狙い(ケースのサイズとの調整のため?)、傷みやすい紙質、カラーの少なさは、方向性やコンセプトの設定のなかで出てきた問題だと思いますので、ここで意見するものではありません。