大衆決断の切り抜き帖3

 西村賢太が描く北町貫多の物語は、このように様々な落差をちりばめることによって、読者を小説スパイラルの中に強引にひきずりこむのでした。
「おい、ぼく、明日岐阜に行ってくるからね」(「瘡瘢旅行」)
 という台詞における「おい」と「ぼく」の間の、歯触りの落差。そして間をとりもつかのように存在する「岐阜」という地名の、絶妙な曖昧さ。また、「ワンピ」、「太モモ」、「絶景ポジション」といった軽い言葉と、「聊頼」、「突兀」、「牢籠」といった古風な表現の、落差。そしてふとしたきっかけで極端から極端へと変わる、貫多の態度の落差。
酒井順子「解説」西村賢太『廃疾かかえて』新潮文庫


酒井氏、悠々と、バランスのよい解説。きょう読み終えた阿保順子『認知症の人々が創造する世界』(岩波現代文庫)というのも、大変よかった。新しい世界が広がった。来週末は、ニコファーレといった場所へ、行ってみたい。おなじ来週末には、本棚が一本来るので、また本読みや本屋がよいを一生懸命やりたい。このところ、地デジにしたらスピーカーが動かなくなるし、旧いレコーダーの中身をDVDに焼かないといけなくなったし、iPhoneに挿して使っているお気に入りのカナルイヤフォンがなかで断線したのか、ぶちぶち言うようになったし、変更してもいないAPPLE IDが突然、使えなくなるし、エアコンのリモコンは探したって見つからないから注文をしたけれど、まだ来ないし(もう一年近くエアコンを動かしていない。さすがに今夏は死を予感する)、初めてエアコンの掃除というのを業者さんに頼んだけれど、一度延期させてもらったらだいぶ先になってしまったし、原発の状況が気になるけれど『週刊文春』『フライデー』を購読し、ツイッターをこまめに見ても、まるで伝わってこないから、この夏は何も片付かないし、金井美恵子じゃないけれど、やたら疲れる。