「増殖する感謝さんたちと顕在化する感謝型社会への違和、そして分析」のために

まず、/自分が/笑顔になること。/その笑顔が、/まわりに/伝わるといいな…

いつも一年後の/自分を想像しています。/こんな風に/なれたらって思い続けると、/叶う気がして。


この、女の子が発したとおもわれる、ちょっとポエミーな、でも力強い信条の表明というか、メッセージは何であろうか。ビジネス雑誌の特集に出てくる「人間力を磨くことに一生懸命な若者」のインタビューでも、「成功の法則」的なものについて書かれた単行本でのサクセス談でもない。広告です。AKBの、缶コーヒー「ワンダモーニングショット」(アサヒ飲料株式会社)の広告コピーです。ちなみに一つ目が大島優子さんの、二つ目が渡辺麻友さんバージョンのクリエイティブです。JRの駅や車内の、いたるところでこの春、目にする。

AKBは、アイドルです。アイドルの肉声風広告コピーで、こういうものは、異質です(これが、実際に彼女たちが発したことばかどうかは愚問ですし、論旨にとってはどちらでもよいので立ち入りません)。だいたいがアイドルというものは、歌もおどりもそこそこ上手で、かわいければ良いのではないのか? 彼女たちは何をこんなに、一生懸命なのか? 何をどうしたいというのか? でもどうやら、世の中にはそう感じない人が多くいるようだ。それは社会のせいか、AKBというアイドルグループの性質(総選挙イベント、トップチームから研究生までのピラミッドシステム、劇場のお客さん?人からの叩き上げの歴史)のせいか。両方です。性質ということばをもっと意地悪くいうと、システム、マーケティングということばに置き換えられる。

こういうものが蔓延する(幅をきかせる)社会を、「感謝型社会」と呼ぶことにした。このことばは、もうありますか。ググってないので判りません。あったらちょっと、カッコ悪い。

さっきの問いは、どちらとも正解だと思う。より正確にいえば、そういう社会になったから、そういうタレント集団が出てきたということです。流行りだから。追って述べたいが、EXILEもこういうマーケティングです。彼らを見ていると、がんじがらめで気の毒に思う。自分たちの色が出せない。「あんな<なり>で、実は仲間思い、家族思い、スタッフ思いのいいやつなんだよね〜」という言説に、がんじがらめ。いつからアイドルやアーティストが、社会の規範にならなければならなくなったのか。なぜEXILEに、いわゆるワルいやつがいないのか。やだなあ、怖いなあ、みょ〜に変だなあ。だからこれを、考えていかないといけない。余談だが、自分が去年の大晦日の深夜にテレビで『つけまつける』のCMを見てからきゃりーぱみゅぱみゅのファンになっ(て、インストアやクアトロでのワンマンに行っ)たのは、これと無関係ではない。中田ヤスタカが書くきゃりぱみゅの歌詞はあんまり意味がない。そしてきゃりぱみゅは若者の規範として気張らない。だからすがすがしい。逆に言うと、みんなこの重力に苦しんでいる。もっとよくないのは、「そんな重力なんか、最初からないよ?」という顔をしながら苦しんでいる点が、深刻で気持ち悪い(山本英生『ホムンクルス』の、トレパネーションをした人間の目から見える人物像!)。


で、社会のせいだとして、なぜそうなったか。去年、ドラッカーブームがあったのをおぼえていますか。AKBの前田敦子さんが主演した「もしドラ」という映画もあった。ビジネス書が映画に! そしてここにもあの国民的アイドルが! つくづく相性のよさを思わずにはいられない、のちに述べる感謝型社会とAKBの。

なぜドラッカーがブームになったか。マネジメントという発想が重要だという話になったからだ。なぜなったか。「不景気」「デフレ」「少子化」「即戦力」「終身雇用制の崩壊」「転職ブーム」「社内失業」「三年でやめる若者」、、、というようなものが前景化してきたからだ。「もう成長しない日本」(浅羽通明)という時代になって、ダマシダマシ、企業が自分自身をきりまわしていくことが、できなくなった。そんな時代に、先を見据えた設備投資をしたり、人間を増やしたりということは、以前なら当たり前だったけれど、いよいよできなくなってきた。そこで、では、いま抱えている人材を最大限よりよい人間に作り替えていこう、という発想ができてきた。企業が人間をあそばせておくことができなくなった、「社員全員が即戦力!」という時代に突入した。

小林信彦氏や後藤明生(や古山高麗雄もそうかな、あんまり読んでない)の純文学的傾向のつよい作品を読むと、日の当らない、ちょっとアウトサイダーな戦中戦後世代の勤め人とでも呼ぶべき人が出てきて、彼らが小説になんともいえない厚みを与えている。そういう人たちも当時はなんとか生きていけた。しかしもうダメです。組織にいるかぎり、人はつねに、「即戦力」でなければいけないのだから。余剰やあそびはないのだ。見よ、ここ数日の、パナソニックソニー、シャープといった技術立国日本を代表する大手企業の赤字決算、人員削減のニュースを。輸出型製造業だから? そうですか。

企業や社会が悲鳴を上げ、その苦境を脱するためにドラッカーのマネジメントが再発見された。それ自体にNOは唱えない。社会のなかで人が成長するとき、そこには共通するパターンや経験がある。心の持ちようも大事。でも、「もしドラ」がすごく売れたときに、国民全体がマネジメントに興味をもつ社会とは、ちょっと異常ではないかと思った。そしてもう一つは、成長や成功の法則、ルールみたいなものがあったとして、それをうわべだけなぞる連中に不快感をもった。

そういう人たちを「感謝さん」と呼び、そういう人たちがたくさんいる社会を「感謝型社会」と呼ぶことにした。ここを起点にすると、さっきのAKBやEXILEであったり、ワンピースブームであったり、速水健朗さんの『ラーメンと愛国』(講談社現代新書)で活写される現代のラーメン屋さんであったり、ある種のブラック企業の方法論だったり、いろいろな事象が見やすくなると考える。その背景にあるのは先ほどの、「不況に端を発するマネジメントブーム」であるのだが、それだけの生易しいものではなくて、相互監視的ムラ社会システムであったり、炎上型社会であったり、携帯ゲーム会社であったり、東京電力であったり、日々存在感を増してくる自己啓発カルチャーであったりするのだと思う。結論は「超利他的社会はウロボロス的に転回して超利己的社会になる」という話。テーマソングは後藤真希さんの「やる気!IT'S EASY」(2002)、キーワードは、「目標」「夢」「成長」「笑顔」「感謝」「感動」などとなろう。まずは問題意識と所見を表した次第。