ヘンな文章が好きだ・番外編「千葉のジャガーさん」
て有名なひとなんですか?『スタジオボイス』の動画サイト特集(特集監修の宇川直宏の誠実な仕事ぶりに打たれる)で宇川氏が対談している。
大変な富裕な実業家であるのに、奇抜な格好をして自身で出演、作曲、うた、撮影、編集を行った映像コンテンツを制作、そしてそれのみで満足するのでなく、実業で得た財を投入して千葉テレビの深夜の番組枠を自腹で購入、その映像を局に放送させる(「HELLO JAGUAR」)という仕事で知られている巨大スケールの奇才の人である。夜露死苦現代詩の世界である。
対談では宇川氏がジャガーさんを、共有サイトの先駆としてリスペクトしていて興味深い(追記:サイトがあった http://homepage3.nifty.com/jaguar-star/)
きれぎれ文学考察5 サタミシュウ始末/覆面作家サタミシュウを「追い詰める」
このまえ(といってももう先月のことだ)、有楽町の三省堂書店、新刊コーナーを覗いていたら、サタミシュウフェアが展開されていた。新刊が刊行されたのだ(『はやくいって』角川文庫)。前フリしてからだいぶ経ってしまった。サタミシュウ解決篇を書いておこう。
覆面SM小説家サタミシュウの正体をめぐる言説について簡単に振り返っておくと、まずid:amanomurakumoさんやその他の方が唱えている重松清説が、多数を占めているようだ。そのほか、小谷野敦氏による三浦俊彦説、あとライターの雨宮まみ氏(http://www.webdice.jp/dice/detail/1119/)による石田依良説(推理というよりもっとラフな書き方だったので、ここで挙げるのは適当でないかもしれないが)とか、いろいろ出ている。ただ、またこれという決定的なものは出ていないようだ。
自分も重松清かな〜と思って、以前サタミシュウのエントリを書いた(id:breaststroking:20081016#p1)。舞台はそれから数日たった、去年の11月のある日。都内のある駅から徒歩5分、焼きトンの名店で、おれと年上の友人、SさんとMさんのは三人は、ビールを飲みながら談笑していた。
本だの映画だのの話をしているうちに、話題はやがてなぜかサタミシュウのほうへ。
そこでおれはサタミについてのエントリーを書いたあと、amanomurakumoさんからいただいたコメントと、それが導くリンクの話を二人にした。重松説とそれに付随するamanomurakumoさんの説明に、説得力を感じていたのだ。
id:amanomurakumo:20070520
テーブルにメモを出して、そこに大きく「SHIGEMATSU」「SATAMI」と書きながらおれは二人に説明をはじめた。
「つまりね、むにゃむにゃむにゃ…(重松とサタミをアルファベットで記述して、両方に共通するアルファベットを消してしまうと、あとにはAとGとEだけが残って、それはつまり重松氏の代表作である『エイジ』だよ、という、amanomurakumoさんの上記エントリで読める内容を二人に縷々説明)」
すると向かいのSさんが、おれは納得しきらん、という表情をした。
「でもそれかちゃくちゃ君、ちょっとおかしいだろ、三字だけ残るのおかしくない?
だったらシゲマツキヨシを構成するアルファベットでサタミシュウがぜんぶ消消えなきゃダメでしょ。ちゃんとアナグラムになってないと」
それは尤もな指摘で、自分もほろ酔いながらまだある程度の明晰さは残っている状態だったので、説明をむにゃむにゃ言っているあいだ、急激に自身がなくなっていくのを感じていたのだ。
「でもでも、だからね、残ってもいいんですよ。『エイジ』は重松清の代表作でしょう?だから、AGEが残るようになってるんだし、SIGEMATSUとAGEでちゃんと
消えるからいいんですよ」
自分でも言っていて苦しくなるのを感じるが、Sさんの表情は変わらない。広義の文学の信徒であり高潔の人であるSさんは、おれの発言を聞き終わると言った。
「作家のメンタリティを考えると自らの特定の作品を、さも代表作であるかのように扱って、ペンネームを作成するとはにわかには考えられない」
Sさんは雑誌の編集者で、上記コメントは、決然とした口調にある美しさを感じたためにその場でメモったので100%ママというか、ガチ。小さい声だけれども決然とした調子で、おれはもう、ぐうの音も出ず、SIGEMATSU説を畳んでしまった。
そしたらその時、おれのメモを見ながら、ずっと黙っていたMさんが口を開いた。
「これ、松久淳で消えなくね?」
瞬間、あっとなったおれ。Sさんもぴんと来たみたいで、やってみよう、やってみようということになる。
周りのテーブルから見たらその情景はたぶん、新種のこっくりさんみたいだったろう(しかも三人の
おじさんが愉しむニュータイプの)。
メモの下半分に「MATSUHISA ATUSHI」と書く。ここからSATAMISHUという名前に出てくるアルファベット、AとHとIとMとSとTとUを消すと、、、
「残らない。なんも残らないぞ」「ぜんぶ消えた、これだよこれ」
文字数でいえば完全に一致しているわけではないものの、世にもうつくしいアナグラムをサタミシュウとマツヒサアツシは構成しているのだった。
興奮したおれはすぐ携帯で「松久淳 サタミシュウ」で検索。わずかながら引っかかったサイト群から、この説をとっているブログを探すと、ひとつだけ見つかった。それがたぶん、以下のブログだったはずだ(時間が経っちゃってるのであいまい)。
http://d.hatena.ne.jp/likeaswimmingangel/20080918#
サタミシュウの最初の文庫本三冊の表紙を飾っている、異能の変態AV女優大沢佑香(http://blog.livedoor.jp/oosawa_yuuka/)の発言を、書き手の方が人づてに聞いたものだそう。
これはもう、ほとんどクロだろ。おれらそう思った。
……と、いうのがおれが伝えたかった話のあらまし、というか全容なのだが、その後こんなことがあったよ、という補足をします。
松久氏は、俳優の大泉洋との対談連載を『an・an』でやっていた。それをまとめたのが『男のミカタ』(マガジンハウス)である。
2月に出たこの本の何箇所かで氏は自身のエロさを、女性誌らしくカジュアルかつフランクに語っている。そのなかで、以下のことばは重要なあるニュアンスを持ってはしないか。
大泉 松久さんにとって、「AVファンとして」というのは重くのしかかっているわけだ。
松久 そうなんだよね。それで考えたんだけど完璧にオレの好きなAVを作りあげたあとに、「僕の名前を消してください」と言うのが一番いいんじゃないか、と。
ただそうすると、制作会社としては、オレとコラボレーションする意味がなくなるけど(笑)。」(「やってみたい仕事」)
上記は、松久氏がAVをつくる依頼をあるところから持ち込まれた、という話のなかでのもの。また、引用はしないが別箇所には低周波のマッサージ機を、松久氏がかばんから取り出して説明するというくだりがあり、これも「サタミ=松久」説を頭にいれて読むと、別種の感興が起こる。やっぱり一行だけ引用しよう。
これをあててドックンドックンやってると痛みを一瞬忘れるわけ。(「カバンがブルブル」)
いかがでしょう。松久どうでしょう(言ってみたかった)。
理想のAVを撮るためにはいろいろあるけれど、小説なら一人で妄想なり実体験なりから書けるし出してももらえる。
たぶん松久氏にとって、サタミシュウとは、自分のパブリックイメージ(なんとなくいい人、女性の気持ちのわかる作家)を捨てて、やりたいこと(エロ)がやれる、最高の息抜きの場所なのだろう。そういう意味では、重松氏には公的抑圧とか、あるべきパブリックイメージみたいなものはあまりない気がする。
最後にひとつだけ。『ブルータス』2009年3月1日号には、前述『男のミカタ』の広告が載っている。二人の並んでいる写真のとなりに、大きく書かれたキャッチコピーを紹介しよう。
「もう隠すことはありません!」
惹句とはいえ、皮肉なことばではないか。
短編集ですが・・・・
1つ1つの短篇がリンクするようでいてテイストが異なった味わい深い作品
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懐かしい!