インディペンデントなロックフェスティバルの現場報告8 それぞれのDIY オシリペンペンズ&にせんねんもんだい 10周年だよ全員集合!!!!!! 於・渋谷O-NEST 5月1日

breaststroking2010-05-03



顔から火が出るからめったに読み返さないニフティのころの日記。ロリポップhttp://lot49.lolipop.jp/mt/)に移転する直前の2004年7月のログには、自分史の記録(ライフログって言葉、あんまり好きじゃないんだ)として大切な記述がある。
http://homepage3.nifty.com/loom/loom1.htm

ただ書いておきたいのは、『目白雑録』(→amazon)が面白すぎたためにそれを止めることができないのだというここまで何行かに亘ってやり続けた金井文体の下手な模倣についてのエクスキューズと、土曜日のMARITIMEのライブでもらってきた、shibuya-Oのスケジュール冊子をめくっていて知った、先週O-NESTで行われた下のライブを見られなかったことへの後悔だ。


7/3 SAT ペンペンズ&あふりツアー2004
オシリペンペンズ/あふりらんぽ/にせんねんもんだい/マーブルシープ /俺はこんなもんじゃない


絶対良いライブだったと思う。文学とちがって、ヤバいバンドは名前で判ってしまう。ちなみににせんねんもんだいは来週末見に行く予定である(またしてもネスト)。


翌週のライブで初めて見たにせんねんの衝撃をつづる文章が切実で微苦笑する。group_inouも、このライブで初めて見ていることが判る。日記ではわりと淡々と書いているが、かなり衝撃を受けた。こんなあたらしいことが起こっていたのか、おれの知らない場所で!!といった衝撃である。このライブをきっかけにNEST通い、ヘンなライブ通いが本格的になった。以前も書いたが、磯部涼の『ヒーローはいつだって君をがっかりさせる』(太田出版)の2004年9月の刊行もそれを加速させた。そして極めつけが同年9月11日、12日に新木場夢の島マリーナで開催されたDIYフェスティバルRAW LIFE第一回だ。自分にとっては2004年の夏は、いろいろなことが一時に押し寄せて、頭と価値観がぐちゃぐちゃになったシーズンだったのだな(ここで安室奈美恵「太陽のSEASON」1995の前奏ユーロビートが、ゆっくりとフェードイン)。

そんな自分史と勝手に重ね合わされてもバンドからしたら迷惑だろうからレポートを書こう。(そしてフェードアウト)

5月1日、サンガツの二度目の自主企画(於・スーパーデラックス)、亀有では駅前で野外フェスがあったこの日。自分は亀有との掛け持ちに失敗してNESTに来た。CHAKKAMEN企画のこのフェス「亀有野外ミュージックフェスティバル」(2001〜。7回目)については、「亀有経済新聞」の記事が詳しい。
http://kameari.keizai.biz/headline/356/

別のところでは、雨天時はイトーヨーカドー内でやると書いてあったが、本当に地元密着なのが好感。都市型野外フェスというとふつうはこの前のKAIKOOのように、人気のない湾岸とかが多いが、駅前というのは異色で、地元の協力がなければ不可能だ。しかも鳴らされる音楽がハードコアとは!! 一面的なハードコア=反社会、ではないんですよね、ここでは。1月に行った小岩BUSHBASHに、亀戸ハードコア(http://www.kameido-hardcore.com/)など、東京東部のハードコアは面白い展開になっているのかもしれない。
ユーストはアーカイブがあるのかな。
http://www.ustream.tv/channel/%E4%BA%80%E6%9C%89%E9%87%8E%E5%A4%96%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%B9
出演は狂うクルー、TIALAほか全13バンド。
http://www6.ocn.ne.jp/~s-h-c/kameari2010.htm
ステージの様子。
http://aieaieaieaie.jugem.jp/?eid=87

で、ネスト。エレベーターの扉が開くなり、目に飛び込んでくる、「美人」と大きく描かれた暖簾。くぐると目に飛び込んでくるのは、美人レコード名物の物販。みんな口にしていたが、いつにも増して販売アイテム数が多い! 売り子さんも大勢いて、気合が入っている。スクリーンの下には、ペンペンズのメンバーとにせんねんで7人で撮った写真(きょう本編ラストでも出てきたのだけど、このペンペンズ4人目の人ってだれやねん)で作ったパネルも、お祭り気分を演出する。
http://ameblo.jp/black-sound/entry-10523430894.html

フロアは程よい混み具合。当日券も出ていた。
ペンペンズは冒頭でモタコが咽喉に指を突っ込んでゲロを二回吐いて景気づけて(彼なりの照れ隠しやスカム演出だと思うが、無くてもよいような。最前列、そこだけ空間が)、それから1時間、たっぷりと聴かせた。ゴリラを殴る曲や時が来た!など、興奮したが、終演後、喫煙スペースでかなりよく見てる感じの人曰く、PAがあまり良くなかったみたい。確かにギターが小さく、ボーカルばかりでかかったから、中林キララの三味線ギターに引っ張られてトランス空間に放り出されるというペンペンズの本領が発揮されにくかったように思う。

21時前ににせんねん。会場の後ろから、三人、縦列編成で、青い電飾を体に巻き、頭にはてっぺんに「10」と赤い立体がついた白の帽子、両端に2と9という形の飾りがついて、正面からは「2009」と見えるサングラスといった出で立ちでフロアを縦断する。いつぞや自主企画「それで想像するねじ」の初期のほうでも、段ボールを輪っかにして作ったキャタピラに入って、ぐるぐる芋虫のように突っ込んでくるという奇怪な登場をしたり、ほかにも鳥のコスプレをして練り歩きながら登場(http://lot49.lolipop.jp/mt/archives/2005/03/index.html)というのもあったし、O-NESTでの後ろからの登場はにせんねんらしいスタイル。

ステージに上がると、一曲目、いきなり高田さんは小さなシンセのまえに立つ。にせんねんの楽曲にしてはゆったりとしたテンポで在川さんがベースを鳴らし、曲が始まり、姫野さん(以下敬称略。モタコは最初から呼び捨て!)が控えめなドラムを載せて曲が始まると、高田は悠然と鍵盤をおさえ始めた! ファンクっぽいリズムとテンポに、アナログ風の音色のシンセが絡んで、エレクトロフュージョンバンド・にせんねんもんだいが誕生した。ギターを置いてシンセ…という流れは、『ZAZEN BOYS III』から、エレクトロファンクバンド的なアプローチへ寄って行ったZAZEN BOYSを思い出すし、ギター脱退という不測の事態からラップを捨て鍵盤に向かった、にせんねんとゆかりあるDIYの先達54-71や、ポストハードコアバンドnine days wonderからエレクトロフュージョンバンドへ変化した9dwも想起させる。にせんねんもんだいのメタモルフォーゼ!

聴きなれないこの曲は、この東阪ツアーで先行発売された『10周年記念スプリット』(2010)に入っている「appointoment」。ジャケットにはアーティスト名もタイトルも書かれていないで、両バンドのイラストが金粉で描かれている。ディスクを取り出すたび、この金粉が大量に剥げて床に落ちて、いまおれのパソコンの周りはきらきらしている。

eastern youth主催ライブの極東最前線記念盤『極東最前線2』(2008)に提供した「Efter god mad」も演奏。これはあまり聴いたことがない。高田が自分が弾いた曲をサンプリングしてつぎつぎ新しいフレーズを乗っけていって、曲が肉付けされていく。中国のお祭りみたいなイメージ。

「Fan」(『Fan』,2009)はこの日確かにやったが、30分の長尺バージョンではなく、10分ちょっとに再構成されていた。去年5月6日の新宿芸能花伝舎での「廃校フェス」で、にせんねんは学校の体育館ステージでこの曲だけを30分演奏したが(http://haikoufes.sblo.jp/article/29944403.html)、その時にはよく判らなかったこの曲の妙味(ストイックでインダストリアルな手触りの、とにかく速い曲に体と脳みそをシンクロさせてとにかく踊る)が判って汗をかきまくる。あとで物販で見ると、Fan10分ちょいバージョンは、『goA -FAN at Brudenell Social Club;Leeds,UK』(2009)という、イギリスリーズ公演での「Fan」1曲を収録したシングルにも入っていた。サイト曰く、<2009年7月に行われたヨーロッパツアーの中から UK,Leedsのライブ音源を販売いたします。ゴリゴリのダンスビートにLeeds人も圧巻。踊り狂い方におすすめ。>。「goA」という意味を物販の方に聞いたら、親切にメンバーのどなたかに聞きに行ってくださった。その方は小走りに戻ってくると、はにかみながら「意味はないそうです」と言った。

インダストリアルなパーカッションのサンプリングの上から、点を抑えるような財川のベースと高田のギターが乗り、ギターはその場でサンプリング、ループされ、さらに高田は怪獣のうめきのようなギターに着手。その間姫野はハットを叩きまくる。その状態が数分つづいて、いっそうストイックに、ダイナミックに展開していくにせんねん屈指のミニマル曲「想像する ねじ」(『ろくおん』,2006および『デスティネーショントーキョー』,2008所収)。このあたり、BPMの高いハードなミニマルの応酬に、一心不乱に踊っている人がちらほらいた。今日のハイライト。

このあたりの本編の曲順、演奏曲はあまり記憶していない。抜けがあると思う。良いライブだったのにすぐに思い出せなくなるのは、いつも悲しい。本編ラストは、ニューオーダーピーター・フックのベースみたいに抒情的な音色、メロディを高田が鳴らす未発表曲(おれが気づいてないだけか…?)。これが、妙ににせんねんらしからぬ「いい曲」で面白かった。今もってなんの曲か判らないが、ノイズ、オルタナプログレのおいしいところをつまんでミニマル曲に仕立てるにせんねんの作風に、あたらしい広がりが期待できる曲。

ここで一旦ハケるも、アンコールの求めのなか、再登場したのはにせんねん+ペンペンズ。10周年を祝って、ケーキが出てきて、高田と中林キララでケーキに入刀、ほかはクラッカー発射。先着でケーキを客に配るということと、あと2曲やるというアナウンスが高田から。退出ぎわにケーキの上で口に指を突っ込む真似をする不必要に茶目っけのあるモタコ。

アンコールは二曲だったが。一つ目は『とり』(2005)の1曲目に入っている、ドラムカウントのあとに不思議でムズムズするようなカッコいいコードが始まって、転調しつづけ、途中でブレイクする曲。海外流通のトリねじ合体盤によると、この曲は「Kyuukohan」というらしい。で、ここに来てやっと気づく。そうか、ペンペンズ同様、きょうは10年を振り返る集大成的なセットリストになっているのか!(遅い)

最後は、ユーモラスなミニマルの後ろに、リバーブかけたノイっぽいひょろひょろしたギターソロが延々つづき、だが次第に勇壮で山脈のようなダイナミズムを獲得するに至る「ミラーボール」(『デスティネーショントーキョー』,2008所収。2007の『ミラーボール』が初出? CD見つからない)。曲がはじまるとフロアのミラーボールも点灯、回転! 音源ではギターが後ろめで、あまりはじけていないので、久しぶりにライブで聴くと新鮮。カッコいい!

10分前後の曲をつぎつぎ繰り出してくるこの日のライブは、いつもとまるでちがっていた。ワンマン級、あるいは、ワンマン以上。だいたい1時間以上演奏するにせんねんもんだいなんて、ほとんど見た記憶がない!
終演して、にせんねん、ずっとついて行きたいし、のらりくらりと二十年はやってくれそうだという期待を感じながらバーフロアへ。

ライブが終わった後のネストのバーフロアで、ぼーっとしながら見つめるのは、友人らの集いや、バンドと関係者のコミュニケーション。傍観者の視点で見るだけで中には入れないけれど、ライブ後のリラックスしたムードが手伝っての温もりと親密さがあって、嫌いではない。スクリーンに映されたのはルネ・○ルーのアニメーション「○ァンタスティック・プラネット」。初めて見たけど面白いね。ぼんやり見つめながら思ったのは、派手ではないが、確実に活動をつづけてきたにせんねんと、そのユニークさ。

にせんねんは音源にあまり恵まれていないという意見がある。ライブに近づけたものか、スタジオ録音としての精度を重視したものか、毎回ミックスが大きく変わる、初期のものは聴きやすくないなど。自分もそう思う。だが、にせんねんが重視したのは音源そのものよりも、活動と雰囲気なのではないかと思う。

退屈な日常を、ちょっとしたひと手間ふた手間や、遊び心でもって楽しい、しのぎやすい空間に変える。にせんねんもんだいがバンド活動で実践してきたのはそういう考えだ。女の子がやるDIYの面白さをずっと見せてもらった。同様に音源も、ミックスがどうとか、ライブの熱を再現しているかどうかというよりも、パッケージそのもののかわいらしさであったり、どんな狭いライブハウスであろうがお構いなしに、できる限りどどどどっと網羅的に並べる、美人レコードの物販であったりがある。にせんねんの物販への取り組み方は、幼稚園のころにみんなよくやっていた、お店屋さんごっこの感覚にちかいのではなないか。過去にはTシャツだけでなく、バッグや下着なんかも作って売っていたりしたこともあったし、『不定期刊行にせんねんもんだい』という気合の入ったZINEも断続的に刊行して、物販のみで売っている。手作り感覚と、手作りのものを友達とかお客さんに買ってもらう感覚。加えて、なんでも楽しみにしてしまう前向きな感覚。そういうものが、にせんねんもんだいなのである。音楽とおなじくらい、アティチュードを大切にするバンドなのだ。

今日にしても、7人の写真パネルや入り口の暖簾、ケーキの配布などは、あったらいいけど、なくてもいいものだ。通常は手間がかかる、演奏が良ければいい、という理由で、そういうものは実施されない。ただ、そこでちょっとひと手間かければ、パーティーはもっと楽しく、自分たち色になる。それにみんなでやれば、手間は手間でなく、楽しみになる。

にせんねんの活動は、DIYがなんで楽しいの?と聞かれた時の(不幸にしてまだ聞かれたことはないが…)格好の事例になっている。もちろん、DIYなバンドは、ライブ演奏がパワフルで、音楽に向かい合う姿勢が純粋で、一生懸命だから面白い、というのもある。だが、先月25日に下北Threeで見たLimited Express(has gone?)の企画(対バンに、京都のベテランバンドConvex Level)は、演奏の緊密さ、自在さ、ユカリさんのテンションの高さ、それに引っ張られたバンドの熱などありながら、ガラガラで、それだけでは足りないのだとも思う。もちろん、あの企画は通常の企画で、今回のお祭り企画とくらべるのは筋違いだし、JJさんが友人らとやっている「eetee」というパーティは、ずっと趣きがちがうのだと思うが。
DIYとは遊び心。自分ですべてコントロールできる楽しさ。華美ではない。質素だが、それと矛盾しない豊かさ。

ちなみに、この日、スプリットCD購入の特典として渡されたのは、7人の顔がプリントされた、キットカットだった。
DIYって面白い。ピース。

※以下、いろいろ貼った先の、つぎの記事もよろしくお願いします。


2008年、ロンドンでの「想像する ねじ」


2009年、パリでのFANの終盤2分半。


2008年ロンドンでのミラーボール。


ヘンな文章が好きだ10 N森さんの「ゆらゆらゆら帝国帝国」


ブックオフの100円棚に棲息し、野外フェスで按摩師をつとめ、血族と労働の問題に頭をかかえる。そんな生きづらさを抱えた不遇で運のないN森さんがA知から東京に越してきたのが7月。以来、病気がちな彼女は、東京と親密な関係を取り結ぶべく、さまざまに奔走しているが、如何せん不器用で体調も優れないから、その苦闘は一向に実を結ばない。生活は滑り出しそうにない。自分は付かず離れず、彼女のSTRUGGLEを見守っていた(いや、正直にいえば見守るというより、観察ということばが自分に正直だろう)。

失意と混乱のなかにある彼女が、不意にあるSNSに掲載した文章が以下の「ゆらゆらゆら帝国帝国」と題された文章である。小説とも、実際の人物観察手記とも判断のつかないスタイルは相変わらずで、不気味であるが、ユーモアがある。彼女がへいぜい書くものよりも、主題となる人生の焦慮というべきものが剥き出しになっていて、完璧な短編とは言えないが、小島信夫西村賢太の影響を感じさせる佳作とおれは真顔で言おう。黒いピュアネスが充溢したこの作品は、 SNSに行けばだれでも読めるが(たぶん)、よりたくさんの目に触れる機会をつくりたく、許諾を得て転載した。


* * *


 牛乳瓶の中身をどれだけ早く飲みほすとか、どれくらい瞬きせずにいられるとか、他人にとってはどうでもいいレベルで戦っていることは分かっているが、これはわたしの問題で、日々考え続け、実験を繰り返し、生みの苦しみを味わい、その結果、天国に到達できんとしても、つまらんことにブルースを感じて手を止められない気持ち、分かるだろうか。耳元で大音量で鳴り続けるものに気付かずにいればこんなに回り道することなく、仕事にやりがいを見つけワーカーホリックになったり、この映画や音楽や本がいいのだとか言いながらゆっくりカフェでお茶を飲んだり、旅行に行って美味いものでも食べたりできるのだろうに、表面だけすくって人生を楽しむということがどうしてもできない。

 わたしは昔、友達から人生の落伍者だと人から言われたことがあるけど、これはちょっと悲しかった。また、これも昔の話だが、芥川賞を取ったばかりのある作家のトークショーに行ったことがあって、彼は受賞したばかりでとても陽気で、マイクに向かって業界の話をうれしそうにしていた。山崎ナオコーラさんがとてもユニークな人だと言っていたような気がする。わたしが厳しい表情でずっとうつむいていたのは、トークショーのはじまる直前、主催者からショーの様子をインターネットに載せたいので記事を書いてくれと頼まれ、他にも適任者いるだろうと思ったわたしは、「何故わたしに頼むのですか?」と問うて、主催者の人が「え? じゃあ他に誰がいるって言うの?」、いやいや、「いるっつぅ〜の?」みたいな感じで、鼻で軽く笑いながらわたしをあしらったからである。確かにわたしは文章を書くのが好きなくせに、賞も何にも取っちゃあいない一般人だが、だからといって文章に愛がないわけはなく、誇りを持っていないわけでもない。頼まれているというよりは命令されているというか、見下されている印象が拭えず、ぶしつけな感じがどうにも堪らん。硬直したままのわたしに気付いた芥川賞作家は、話を中断し「そこの女性の方、大丈夫ですか? 具合でも悪いんですか?」と心配そうにこちらを見ている。会場中の人間がわたしに注目した。わたしは恥ずかしそうに「大丈夫です、大丈夫ですよ、すみません」と、へらへら笑いながら何度も頭を下げた。それで作家は話に戻った。わたしはもうトークショーなんか行かない。

 どうしてもママゴトができない。ママゴトにパンクがあればそれもやる。インナートリップするのもやめる。わたしが言いたいのは、落ちこぼれと言われて悲しかったとか、人から舐められて腹が立ったとか、そういうことではない。そこに流れるものをくみ取ってもらえるようになるには、たくさんのことを犠牲にしなければならない。

 ゆらゆら帝国は三人でやれることはすべてやりきったから解散したのだそうだ。そういうこともあるだろう。先日UFOクラブでオシリペンペンズのワンマンを見たけれど、その時、前座でゆらゆら帝国の人がDJをやっていた。シークレットゲストであるということだった。誰かが「坂本さんだ!」と言ったので、会場がざわめき立った。DJブースの前に人だかりができはじめた。UFOクラブにいる女の子はどれも顔が同じに見えた。
 そのうちの一人が、ペンペンズのライブ中の写真を撮っていいという許可を彼らから取っていた。彼女は高円寺や新宿界隈のライブハウスに出没し、そこいらで活躍するバンドの写真を撮るのが趣味だった。出来上がった写真をバンドの人や友達に見せ「すごくいいよ」と褒められるのがうれしい。やりがいを感じるし、自分は写真に対して愛があり、ここにこそ自分の居場所と役割があると信じ込むことができる。この前なんかは銀杏BOYZの写真を撮った。彼女が峯田さんのことを「ミネタ」と呼び始めたのはこの時だ。彼女のホームページには過去の功績がきらびやかにアップされている。
 ペンペンズの写真を撮っていいと言われた時、彼女はライブハウスに大勢詰め掛けた「お客さん」の一人から「提供者」の一人になった。自分は楽器を演奏しないけれども自分なりの表現手段でこの場所を掴み取ったのだ。舞台の最前列で煙草を吹かし「こちら側」から「向こう側」にいる観衆を眺める。「こちら側」と「向こう側」の距離は短いが、「こちら側」と「向こう側」の意味の違いはとても大きい。
 ライブが始まった。女の子は夢中になってフラッシュを炊き続ける。ライブは大成功だ。仕事を終えた彼女に大きな達成感が訪れ、疲れてクタクタだというのに生命力がみなぎってくるようだった。そして早速、携帯電話で自分のブログにペンペンズのライブで写真を撮ったことを書きつけた。現像するのに今夜は忙しくなる、寝不足になるだろう、とも。
 女の子が写真のデータをペンペンズの人に送ると、ボーカルのモタコさんから「いい写真だと思わないので、インターネットに載せないでください」というメールが返ってきた。女の子はペンペンズ以外が好きになった。