ヘンな文章が好きだ10 N森さんの「ゆらゆらゆら帝国帝国」


ブックオフの100円棚に棲息し、野外フェスで按摩師をつとめ、血族と労働の問題に頭をかかえる。そんな生きづらさを抱えた不遇で運のないN森さんがA知から東京に越してきたのが7月。以来、病気がちな彼女は、東京と親密な関係を取り結ぶべく、さまざまに奔走しているが、如何せん不器用で体調も優れないから、その苦闘は一向に実を結ばない。生活は滑り出しそうにない。自分は付かず離れず、彼女のSTRUGGLEを見守っていた(いや、正直にいえば見守るというより、観察ということばが自分に正直だろう)。

失意と混乱のなかにある彼女が、不意にあるSNSに掲載した文章が以下の「ゆらゆらゆら帝国帝国」と題された文章である。小説とも、実際の人物観察手記とも判断のつかないスタイルは相変わらずで、不気味であるが、ユーモアがある。彼女がへいぜい書くものよりも、主題となる人生の焦慮というべきものが剥き出しになっていて、完璧な短編とは言えないが、小島信夫西村賢太の影響を感じさせる佳作とおれは真顔で言おう。黒いピュアネスが充溢したこの作品は、 SNSに行けばだれでも読めるが(たぶん)、よりたくさんの目に触れる機会をつくりたく、許諾を得て転載した。


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 牛乳瓶の中身をどれだけ早く飲みほすとか、どれくらい瞬きせずにいられるとか、他人にとってはどうでもいいレベルで戦っていることは分かっているが、これはわたしの問題で、日々考え続け、実験を繰り返し、生みの苦しみを味わい、その結果、天国に到達できんとしても、つまらんことにブルースを感じて手を止められない気持ち、分かるだろうか。耳元で大音量で鳴り続けるものに気付かずにいればこんなに回り道することなく、仕事にやりがいを見つけワーカーホリックになったり、この映画や音楽や本がいいのだとか言いながらゆっくりカフェでお茶を飲んだり、旅行に行って美味いものでも食べたりできるのだろうに、表面だけすくって人生を楽しむということがどうしてもできない。

 わたしは昔、友達から人生の落伍者だと人から言われたことがあるけど、これはちょっと悲しかった。また、これも昔の話だが、芥川賞を取ったばかりのある作家のトークショーに行ったことがあって、彼は受賞したばかりでとても陽気で、マイクに向かって業界の話をうれしそうにしていた。山崎ナオコーラさんがとてもユニークな人だと言っていたような気がする。わたしが厳しい表情でずっとうつむいていたのは、トークショーのはじまる直前、主催者からショーの様子をインターネットに載せたいので記事を書いてくれと頼まれ、他にも適任者いるだろうと思ったわたしは、「何故わたしに頼むのですか?」と問うて、主催者の人が「え? じゃあ他に誰がいるって言うの?」、いやいや、「いるっつぅ〜の?」みたいな感じで、鼻で軽く笑いながらわたしをあしらったからである。確かにわたしは文章を書くのが好きなくせに、賞も何にも取っちゃあいない一般人だが、だからといって文章に愛がないわけはなく、誇りを持っていないわけでもない。頼まれているというよりは命令されているというか、見下されている印象が拭えず、ぶしつけな感じがどうにも堪らん。硬直したままのわたしに気付いた芥川賞作家は、話を中断し「そこの女性の方、大丈夫ですか? 具合でも悪いんですか?」と心配そうにこちらを見ている。会場中の人間がわたしに注目した。わたしは恥ずかしそうに「大丈夫です、大丈夫ですよ、すみません」と、へらへら笑いながら何度も頭を下げた。それで作家は話に戻った。わたしはもうトークショーなんか行かない。

 どうしてもママゴトができない。ママゴトにパンクがあればそれもやる。インナートリップするのもやめる。わたしが言いたいのは、落ちこぼれと言われて悲しかったとか、人から舐められて腹が立ったとか、そういうことではない。そこに流れるものをくみ取ってもらえるようになるには、たくさんのことを犠牲にしなければならない。

 ゆらゆら帝国は三人でやれることはすべてやりきったから解散したのだそうだ。そういうこともあるだろう。先日UFOクラブでオシリペンペンズのワンマンを見たけれど、その時、前座でゆらゆら帝国の人がDJをやっていた。シークレットゲストであるということだった。誰かが「坂本さんだ!」と言ったので、会場がざわめき立った。DJブースの前に人だかりができはじめた。UFOクラブにいる女の子はどれも顔が同じに見えた。
 そのうちの一人が、ペンペンズのライブ中の写真を撮っていいという許可を彼らから取っていた。彼女は高円寺や新宿界隈のライブハウスに出没し、そこいらで活躍するバンドの写真を撮るのが趣味だった。出来上がった写真をバンドの人や友達に見せ「すごくいいよ」と褒められるのがうれしい。やりがいを感じるし、自分は写真に対して愛があり、ここにこそ自分の居場所と役割があると信じ込むことができる。この前なんかは銀杏BOYZの写真を撮った。彼女が峯田さんのことを「ミネタ」と呼び始めたのはこの時だ。彼女のホームページには過去の功績がきらびやかにアップされている。
 ペンペンズの写真を撮っていいと言われた時、彼女はライブハウスに大勢詰め掛けた「お客さん」の一人から「提供者」の一人になった。自分は楽器を演奏しないけれども自分なりの表現手段でこの場所を掴み取ったのだ。舞台の最前列で煙草を吹かし「こちら側」から「向こう側」にいる観衆を眺める。「こちら側」と「向こう側」の距離は短いが、「こちら側」と「向こう側」の意味の違いはとても大きい。
 ライブが始まった。女の子は夢中になってフラッシュを炊き続ける。ライブは大成功だ。仕事を終えた彼女に大きな達成感が訪れ、疲れてクタクタだというのに生命力がみなぎってくるようだった。そして早速、携帯電話で自分のブログにペンペンズのライブで写真を撮ったことを書きつけた。現像するのに今夜は忙しくなる、寝不足になるだろう、とも。
 女の子が写真のデータをペンペンズの人に送ると、ボーカルのモタコさんから「いい写真だと思わないので、インターネットに載せないでください」というメールが返ってきた。女の子はペンペンズ以外が好きになった。