高田馬場大古書市

高田馬場BIG BOXで開かれる「大古書市」の初日に出かけた。会場は9階の催事場。玄関口でやっている古書市には数え切れないぐらい通ってきたが、このイベントは初めてだ。

会場はホテルでパーティーなどやるようなスペースだがうす暗くて埃っぽく、あまり良い雰囲気ではない。絨毯の上の棚と無数の古本、そして行き交う客の様子が醸し出す鄙び感は、なんだかグインサーガイシュトヴァーン率いるモンゴールに一瞬で潰されたユラニアの宮殿を思い起こさせた。これならいつもの市の方が好きだ。偶然おなじ日、自分とほぼすれちがいで足を運んだというH崎くんは、会場についてこんな風にメールで書いてきた。

なんか、むかしのひとがかんがえる
納涼ってかんじで、ふしぎにうすくらく、
ゆうなぎでかぜもやみました。さて本でも
よみましょう。そんな演出だったねぇ・・・

なんとなく判るような、判らないような感じで笑った。

風通しの悪さから埃が滞留しているのか入室するなり鼻がむずむずしてきて、鼻をこすりこすりの80分、丹念に棚を見て回るものの期待していたほどではなく、谷沢永一『紙上の嵐』(昭和56年,潮出版社)、『初心忘るべからず』(昭和57年,潮出版社)、あと朝日出版社の「LECTURE BOOK」シリーズの武者利光冨田勲『電子のゆらぎが宇宙を囁く 1/fゆらぎ講義』の3冊を買っておしまい。

この古本市では、本棚に隙間ができると、棚の足元、床の上に並んだ本を店員が補充するのだが、この足元のベンチリザーブにも細かく視線を注ぎ、その甲斐あって谷沢地帯とでもいうような一画を発見した。潮出版社に移る以前の読書人シリーズを中心に、70年代後半から80年代頭の本がゴロゴロしていた。レクチャーブックスシリーズも、6、7冊まとまって並んでいる地帯があり、興奮したが見慣れたものしかない。後藤明生プラトン講義はいつ手に入るのだろう。

それにしても古本屋のおやじって、普段は本に囲まれた店の奥で、静かに客の様子を見るでもなく、本を読んでいるでもなく座っている印象があるけれど、あれは飽くまで連中の仮の姿だ、だまされてはならない*1

それが証拠に、古本市に各地のおやじどもが結集すると、けっこうタチが悪い。でかい声で他のおやじをからかったり、無駄話をしたり、げらげら笑ったり、これがへいぜい店の奥にちぢこまっていた人々だとは思えないくらいエネルギッシュだ。野蛮ですらある。普段単体で押し込められているから、ハレの場として血がたぎっているのだろうか。それにしても今日のおやじどもは威勢が良すぎた。軽い口論すらしていた。

ちかい将来、集団になると危険性を発揮する種族として、老人と古本屋がマスコミの注目をあびるであろう(適当)。

ちなみにビッグボックスを目指す途中で、若松町ブックオフ西早稲田ルネサンスに寄り道した。

前者ではあんまり良い買い物をした記憶がない。今回も100円本を一冊。ルネサンスは3、4ヶ月おきぐらいに訪れると丁度良い本屋。今回は丸谷才一『横しぐれ』(講談社文芸文庫)、筒井康隆選『実験小説名作選』(集英社文庫)を買う。『実験小説』は、id:fairaさん(http://isweb24.infoseek.co.jp/diary/kantank/index.htm)の日記で数日前に見て印象に残っていたので。横しぐれは講談社文庫版で見つけたいと思っていたものの、探し始めて1週間も経たずに入手できたのでうれしい。

*1:古本屋の一般的イメージはそんなものだが、田村治芳彷書月刊編集長』、内堀弘石神井書林日録』、高橋徹『古本屋 月の輪書林』など、晶文社中川六平が編んだ古本屋店主のシリーズを読めば、それがいかに貧しいものであるかが判るだろう。おまけに、上の三人が参加した山口昌男内田魯庵山脈』刊行記念鼎談のレポート