ぼくたちの好きな冒頭2

読み終えたばかりの吉田健一『絵空ごと・百鬼の会』(講談社文芸文庫)から「絵空ごと」の冒頭を引く。吉田健一を新かな遣いで引用するというのは野暮天もいいところだが、『絵空ごと』の単行本版(昭和46年 河出書房)はなかなか見ないのでお許し願いたい。
また、以下の部分だけを読めば、吉田は戦後の東京の風景を憎み、まだ街にそれぞれの顔があった戦前への郷愁を謳っているように見えるかも知れないが、そう単純なものではないことは解説で高橋英夫も書いている。

 この頃の東京は東京でないと言ってしまえば簡単である。併しそれで東京に住んでいるものはどうすればいいのか。尤もその場合も色々と分けなければならないに違いなくて、そこに住むものの多くが今日では自分がどこにいようと全く無頓着な人種である時に東京がどんなであっても少しも構わない訳であるが、それが東京にとって別に喜ぶべきことなのではない。どこの町でもそこが他所でも構わない人種というのは有り難くないものでそういう人間の数が殖えるに従って町が町らしくなくなる。これは全く妙なものである。又そんな風に町が町でないのがやり切れないものも別にいて、そこが曾てはその町だったことを知っているものにとってはなお更である。それでどこでもそこに地着きのものがいなければならないということになるのであるが、ここでもとの話に戻って、それならば東京に長年住み馴れて今でも東京にいるものはどうすればいいのか。