ぼく(たち)の好きな冒頭4

 『吉野太夫』という題で小説を書いてみようと思う。といっても、誰もがよく知っているあの吉野太夫のことではない。京都島原(本当は六条だということらしいが)の名妓吉野のことではなく、同じ江戸期でも、中山道追分宿の遊女だったという吉野太夫のことなのである。しかし、結果はどういうことになるのか、皆目わからない。
 第一にわたしは、いわゆる稗史小説なるものの筆法をよく知らない。まるで知らないといった方がよいかも知れない。したがって、おそらくそういう小説にはならないだろうと思う。また、何が何でもそうしなければとも思っていない。なにしろわたしは、この吉野太夫の話が果して小説になるのかどうか、それさえいまはよくわからないのである。


後藤明生吉野太夫』(中公文庫)