神保町で『芸術新潮』10月号、『別冊宝島885 教科書が書かないJポップ批評30 YMO&アーリー80's大全』、『彷書月刊』、『波』、『一冊の本』、『en-taxi』3号、『BUBKA』、付箋二つを買い、ジャニスで羅針盤の新しいミニアルバム、ニール・ヤングの『ZUMA』ほかを借りた。

コンビニ雑誌の新しい号が一斉に出ていたのでまとめて立ち読みした。『PENTHOUSE』の「加藤i」(表紙に書かれたiの書体が、i-modeのそれと同じもので、笑った)入浴動画を収めたというCDロムにおどろいたけれど、買うには到らない。『BUBKA』は白黒ページの白石一文のインタビューが面白かったので久しぶりに(でもないか)購入した(聞き手は高屋敷サップ)

この人は『僕のなかの壊れていない部分』、『一瞬の光』などが売れている小説家だが、今年7月に退社するまで、文藝春秋の編集者だったそう。文春は出版社のなかでも、作家や文筆業を兼業する社員が多い会社だが、この人のことは知らなかった。父親が作家の白石一郎、双子の弟が作家で元テレビディレクターの白石文郎という家族構成も変わっている。なんでも文春の入社試験では、兄弟揃って最終選考まで残って、最終面接で文郎氏が<「自分を落として、兄を採用してくれ」>と懇願したという。入社時のエピソードを引用する。

<役員たちは悩んだらしいよ。立派な弟を通すか、その立派な弟が押す(ママ)兄を採るか。……結局入れて、一番最初に入った編集部が週刊文春だった。4月1日から名古屋へ出張。連続殺人犯・勝田清孝が逮捕されたから取材するってベテランの記者に連れられて。もうつらいなんてもんじゃないですよね。そもそも人と会って話をするのが何より苦手だったんだから(笑)。>

<現場に来てみると、取材先のインターフォン押すまでに、三周とか四周とかぐるぐる回って。帰れないわけでしょ、取材しないと! ピンポーンって押して断られて。それで僕、名古屋の某ホテル……今でもよく覚えているけど、そこ泊まった夜に辞表書いた。>

こうしたくだりだけ読むと、白石氏が編集者的適性のない、ひきこもりタイプの人間のように見えるが、高屋敷氏の文春社員へのリサーチによれば、編集者としても雑誌記者としても優秀な人間だったという。その評価について白石氏は、自分が仕事相手の作家から、<同じ作家村の人間>として認識されていたためではないかと言う。

<父親が売れない物書きだったからね。僕は作家の生活のことをいつも考えてた。骨身に沁みて食えない!っていうのを分かってるんですよ。どこそこに原稿を何枚書いた。本出して重版しても一万二千部。……どう考えてもカツカツなんですよ。家なんかよほどにならないと、とても持てないし。連載から単行本、そして文庫本までと、先々のことを考えてあげなければいけない。物書きの生活を知ってるからドライには絶対になれなかった。>