<妙に良かった>といえば、中森明夫の哀愁あふれる金井美恵子『目白雑録』書評を紹介していなかった。

生活の美学者としての作家、卓抜な人性批評家モラリストが日常の内にひらりと鋭い批評眼を光らせる。その真髄がファミレスとコンビニ食とB級アイドル映画を主食とする新人類アガリのオタク・ライターに味わえようはずがない(私の住む新宿から目白まで、たった三駅なのに?)

「悪口」の精度に椅子から転げ落ちる「永遠の天才少女」の批評眼の恐ろしさ『週刊朝日』8月27日号)


『東京トンガリキッズ→amazonのあとがきに書かれていた、彼がかつて住んでいた老朽した木造アパートの一室のたたずまいを引用したいが本が見当たらない。『東京おとなクラブ』、『東京トンガリキッズ』で新人類として80年代を突っ走り、『噂の眞相(「月刊ナカモリ効果」)や『SPA!』での連載(「中森文化新聞」「ニュースな女たち」。「文化新聞」は97年にはすでに精彩を欠いていたという感想があった)、藤井良樹のライターズ・デン〜宮台真司とのコギャル論争での共闘などで、90年代を黒幕、プロデューサーと自己規定し、次第に厳しくなる持久戦を戦い続けた中森明夫。宮台との出会いは94年の暮れ、日本ジャーナリスト専門学校(藤井氏のフェラチオ体験授業事件とか、糸圭秀実の授業とか、90年代サブカルチャーに彩りを添えたジャナ専、最近はすっかり静かになってしまったと思っていたら、予定されていながら突然の閉店のために中吊り状態だった青山ブックセンター本店での吉田喜重のイベントは、上野昂志の裁量によって後日ジャナ専で行われたという)だ。藤井氏、宮台氏との出会いをきっかけにスタートしたシリーズ「ライターズ・デン・ブックス」は、結局二冊目の『これが答えだ!』(飛鳥新社(今日並べている本は、時代性を知る意味で単行本で読んだ方が面白い)で打ち止めだったんだっけ。ライターズデンブックスの一発目となる宮台氏藤井氏との鼎談本『新世紀のリアル』(飛鳥新社→amazonのあとがき「世紀末の句点(モラル)から新世紀の読点(リアル)へ!」で、中森氏は自分が形にしたものに対してか、時代と共振している自分に対してか、昂揚感に満ちた文章を書いている。

 80年代のある日のことだった。渋谷の街角に貼られた「おいしい生活。」のポスター。そこに一人の少女がつかつかと歩み寄り、手にしたペンで何ごとかを書き込んでいる。最後の「。」を「、」と書き換え、さらに「高くつく」と続けた。「おいしい生活、高くつく」
 ……いっぺんに風景が変わったように見えた。あの瞬間の鮮やかな印象はいまだに忘れられない。


 宮台真司藤井良樹の両氏と言葉を交わしていると、いつもあの瞬間のことを思い出していた。それは「時代のリアル」に触れているという実感だ。今さらながら自分には才能があるのだと思う。文章を書く才能でもなければ、時代を読む才能でもない。そう、出逢いの才能である。

私は本より雑誌が好きだ。本は完成しているが雑誌は連続する運動だから。私は作家よりライターが好きだ。作家は完結した作品で評価されるが、ライターは書くという現在進行形の運動だから、その意味でライターズ・デンが一つの運動体である。ピリオドからコンマへ。ハルマゲドンから終わりなき日常へ。……
 ライターズ・デン・ブックスは始まる!


それから先のことは多くの人の記憶にあるだろうから書かない。

冒頭の『週刊朝日』の引用は、すこし意地悪く見えたかもしれない。そういう気分があるのも否定しないが、一方で中森氏が自分の胸の内を、オヤジ向け週刊誌のしかも書評という場所でかくもストレートに吐露してしまったということに寂しさをおぼえたというのが大きい。結局は近藤正高さん(id:d-sakamata)が書いている(http://d.hatena.ne.jp/d-sakamata/20040303#p2)のと同じで、自分は仲俣暁生氏(id:solar)のようには中森氏を突き放して観察することができない。毀誉褒貶のサブカルチャーの撹乱者として、氏は90年代を走った。まだ終わっちゃいない。あなたのやってきたことは無駄じゃない。そんな風に頭ン中で呟いた。


#いろいろたどっていたらこんなページが。