2004、コンビニ雑誌からエロ本へ

『Time24』という雑誌をコンビニで見つけて度肝を抜かれた。これはコンビニ雑誌ではない。マンガもないしカルチャー欄もないし水着グラビアもない。単なるエロ本である。しかしだからなんだというんだ。表紙一面に風呂場でビキニ姿で笑う女性の写真を取り囲むような展開された文字を見ていけ。おれはもう吹っ切れている。

<物欲ギャルは酎ハイ一杯で一発ッ>
<ホテルまでついて来て何をいまさら!?>
<えっ、嘘ッ!!モデルってエッチな雑誌の?>
<まァ安酒でもオゴりゃ無理とかいってHな写真もOKだね。最近の素人サンは裸に抵抗感ないし><イジリ過ぎて汚れ過ぎたのでギャルが脱ぎ捨てていった愛の記憶パンプレ 濡れ下着はパックでお届け(ハート)>


これらがさまざまな級数、フォントで表紙を牛耳っている。ここにはバフチンの言うポリフォニックな空間が顕在している。雑誌の中身で勝負をし続けてきた編集者の前傾姿勢・偽装された劣情は、雑誌の中身を内破して怒涛のように表紙に競りあがってきたのだ。それはエロ本業界小口止め自主規制の起こった7.1への必然的な反発であり、非常に有効な、そして危険を厭わない抵抗手段である。

さまざまな語り手の錯綜する思い、言葉が響きあうポリフォニックな空間。まるでバービーボーイズの杏子とKONTAの丁々発止のやりとりを見ているようだ。一枚の紙ッぺらだけで物語を展開する馬鹿力。誕生日プレゼントを誕プレ、全員プレゼントを全プレと、段階を踏んで新語をマスターしてきた我々のリテラシーを嘲弄するかのように突如なんの説明もなく突きつけられる<パンプレ>なる略語。コンビニ雑誌の台頭によって忘れかけていた言葉の喚起力、根源的な猥雑さにおれは気づかされた。小岩のコンビニの雑誌コーナーで気づかされた。

ちなみに『Time24』、中身も同様のテンションである。壮大な日本語の実験場である。