若島正を読んで背筋のてっぺんがぞくぞくっとする感じを味わう

2月から珍しくSFばかり読んでいるのだが、ジーン・ウルフ 柳下毅一郎訳『デス博士の島その他の島』(国書刊行会)を読んで、そろそろちがう雰囲気のものに行こうと思ってもいきなり国産純文学に行く気分にもなれず、これが一ジャンルにどっぷり浸か(って抜けだせなくな)るということなのかしらとモードの切り替えにくさを感じ、次の一手を決めかねてのセットアップと言うのは大変失礼なのだが、若島正『乱視読者の新冒険』(04年・研究社)を読んだ。93年に「読書の冒険シリーズ」の第3巻として自由国民社から刊行された『乱視読者の冒険』の新版だが、収録されている文章は大幅に入れ替わっているのでほとんど異なる作品になっている。特にナボコフに関する以下の重要な論文二篇が削除されているので注意が必要だ。

一つは、『ロリータ』でロリータの母親シャーロット・ヘイズが自身の死後も亡霊となってハンバート・ハンバートのテキストに取り憑いていることを明らかにする「シャーロットの亡霊 ロリータ論II」。もう一つは、『翻訳の世界』誌上での大津栄一郎訳の『賜物』の誤訳指摘を端緒とする『賜物』論争の、若島氏の総括でありとどめの一撃となる「ナボコフと翻訳」。後者は、ナボコフの組み上げた言葉の大伽藍を粗暴な手つきで訳して廻った大津氏への厳しい批判であるが、ナボコフがいかに細部への配慮を大切にした書き手であるかが判る文章でもある。

『新冒険』にも読むべきものはたくさんある。『乱視読者の冒険』にも収録されていた「虹を架ける−『フィネガンズ・ウェイク』と『ロリータ』」と、新しく追加された「電子テキストと『ロリータ』」は、長い文章でもないのにナボコフを読む喜びとは何なのかをこの上なく明瞭に伝えてくれるすばらしい文章。ナボコフが小説の中に隠した無数の賜物を、再読に再読を重ねることで発見し、掘り返していく行為を実践する。ナボコフの巡らせた仕掛けを嗅ぎ取ったときの、<背筋のてっぺんがぞくぞくっとする>ような感覚を、この作家を未読の方でも味わうことができるだろう。