されど仲よき

一つの大きな仕事を終えたとんびのからあげさんと『坂本龍一80年代映像作品集』→amazonを見ながら拙宅で酒盛りをしていた際に武者小路実篤の話になり、都築響一夜露死苦現代詩』(新潮社)のファンであるおれに、やはり同書の愛読者である氏は、実篤のアナーキーな画文集が今年ひっそりとリリースされていたことを教えてくれたのだった。

それで翌日、二日酔いで繰り出した池袋。ジュンク堂の静謐な画集フロアでヒヒヒとキモい笑い声あげるおれらは浮いていた。『武者小路実篤画文集 人生は楽ではない。そこが面白いとしておく』(求龍堂)買う(ちなみにその日はとんから氏とともにジュンクタワレコ、ユニオンをぐるっと回って坂本龍一『Sweet Revenge』、高橋幸宏『A RAY OF HOPE』、そして鈴木慶一『火の玉ボーイとコモンマン』新宿書房という、昨晩の会に露骨に影響された恥ずかしい買い物をユニオンでした)。あと画文集と一緒にジュンク9階で買った『石田徹也遺作集』→amazonは、石田徹也という衝撃的な画家の存在とその作品、そして彼が夭折したことを一度におれに教えてくれたのだった(相当有名な人なのかな、おれが知らないだけか。この本もけっこう増刷してる。作品がいくつか見られます→ http://www.cre-8.jp/snap/390/index.html)。しかしこの求龍堂のコンボ、二冊で6000円はじわじわ効いた。

それで画文集を見ていたら、イてもタってもいられなくなり、翌日の日曜、おれは武者小路実篤記念館へ向かった。つつじヶ丘で降りて、のどかな住宅街を記念館めざし歩く。

記念館は小さな建物だったが一周してブッ飛んだ。展示では実篤と直接関係ある作品やモノがほっとんど置かれていない。ちょろちょろと生原稿、初版本があって、あと宮崎の新しき村ジオラマがあるくらい。あとはルオーの小さな絵とか屏風とか掛け軸とか、実篤が所蔵していた美術品骨董品の類が陳列されているばかり。なんなんだここは。入り口に走って戻って、刷り物を確認したら、現在の企画は、「実篤愛蔵の逸品」展だった。だからか。だから実篤の魂を感じさせる遺物がほとんど展示されていないのか。

しかしそれが判った上でもおれはブッ飛んだ。実篤とあんまり関係ない実篤記念館にブッ飛んだ。けれど一瞬ののちに、おれは思い直した。ある種、そのピントの外れっぷり、ボケッぷりもきわめて実篤的ではないか。細かいことに頓着しない実篤的宇宙がここに間違いなく現前しているのだ。おれは満足して、売店で「君は君 我は我也 されど仲よき」という文字とカボチャの絵が並んだ野菜図(複製色紙。写真参照)を1200円で購入した。

ちなみに展示スペースよりやや狭いくらいの休憩所・資料室があり、そこに収蔵された小学館から出た全18巻からなる全集をチェックしたところ、第11巻に全ての詩が収められていることが判った。高橋源一郎が『文学なんてこわくない』(朝日新聞社)と『一億三千万人のための小説教室』(岩波新書)で引用した、おれとあなたがたお気に入りのアレ(というよりもはやブツ)も、ここから転載してきたのだろう。

ここの資料室は決してたくさんの本を置いているわけではないのだが、「実篤ウィルス」という微妙な造語で実篤の宇宙を紹介した高橋氏の『文学なんて』も、かなり辛辣に実篤の詩について撫で切りした荒川洋治の『詩論のバリエーション』(學藝書林)も、ビニールカバーに包んで、きちんと置いてあった。なかなか度量がある。さすが実篤の記念館といったところである。

記念館の庭にはトンネルが掘ってあり、それをくぐっていくと、裏にある記念公園に出る。記念公園は池などあってなかなか趣がある。丘の上には実篤が暮らした一軒家がいまもそのままに残されている。


参考: http://d.hatena.ne.jp/yinamoto/20060829#p1