おれエンジョイをエンジョイしきれずあろうことかうつらうつらす

※ネタバレではありませんが、これから観劇される方はご覧にならない方がよいと思います。

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チェルフィッチュの新作「エンジョイ」を、初台新国立劇場の小劇場THE LOFTで見た。もろもろの影響か満員で、子供からお年寄りまで年齢層も実に幅広かった。

一昨年fairaさんに誘っていただいて、queequegさん(id:queequeg)が主役を張る「労苦の終わり」をSTスポットで見たのが初めてのチェルフィッチュ体験で、その時は咀嚼しきれなかったが、横浜の小劇場で静かに起こっている刺激的な事件におれは興奮した。以来、1月にNHKの芸術劇場で「目的地」で見て、この春はスーパーデラックスで「三月の5日間」の再演と、ショートパフォーマンス「ティッシュ」を見て、自分なりにチェルフィッチュを消化してきた。主宰者の岡田利規の小説はまだきちんと読んでいない。

また小説に喩えてしまうが、チェルフィッチュの革新性とは、奇抜な文体(<超リアルな日本語>を使って再現する日常会話、日ごろ人と話しているときに何気なく取ってしまう妙な体の動きの拡大解釈)と、時代をヴィヴィッドに反映する物語(フリーターの日常生活)の両輪がかみ合ったところにある、ということは、よく言われている。ほかにおれは、舞台で喋っている役者が一つの役割を演じきらず、たえず他のキャラクターが一人の役者の体を入れ替わっていくところや、噂や伝聞が複雑に折り重なって生まれる、プラトンの論文のような、豊かな語りの位相の変化の気持ちよさを好んでいる。

「エンジョイ」では、文体も物語もこれまでの方法論、テーマを踏襲しており、特に新機軸はなかった。変わったのはテーマを扱う姿勢だ。自分が見てきたところ、今まで岡田氏は、わりとガッチリ正面からは「フリーター問題」を扱ってこなかったように記憶しているが、本作は正面からがっぷり四つだ。全四幕のうち後半で扱われるのは、「フリーターが幼なじみのサラリーマンにバイト先で偶会し、言いようもない不安にとらわれる」「フリーターの恋愛を通じて想像させる彼らの将来」といった内容。

映像も、フランスのサルコジ法案反対デモを本編中で流したりして、日本のフリーター問題とデモを、同時多発的な現象として提示しようと言う意図は分かるが、ストレートすぎる。そのきまじめさが悪いとは思わないが、物語を扱う文体に変化が見られないから、すこし退屈なものに映ってしまう。また<ジーザス系>と呼ばれる野宿者が、将来への不安の象徴のように出てくるところ、西新宿地下の野宿者排除のためのオブジェみたいなデッパリを映像で流すところところなどは、安直さすら感じた。ちなみに300円全12ページのパンフレットには、『フリーターによって「自由」とは何か』の杉田俊介氏が文章を寄せている。それら一つ一つは悪いことではないが、全体的にあそびが少なく、性急さを感じた。

もちろん、あの役者の一見ゆるんだ、しかしきちんと管理された体の動きは興味深かったし、客演の岩本えりの踊るような動きと唄うような台詞回しには魅了された。また、チェルフィッチュ流の恋人同士のじゃれ合いの動きは面白かったし、役者の演技はいずれも、通常の芝居の文法とはことなる強靱さを持っていた。しかし、何か食い足りないのだ。大きな舞台に立ち、万人に向けた構えの大きな芝居をという意識が影響したのだろうか。