ヘンな文章が好きだ1 N森さんの「錆鼠」

ヘンな文章が好きだ。それも、頭のネジがふっとぶくらい(マルシーBREAKfASTの森本雑感氏)のヘンな文章が。だから中途半端じゃ納得できない。「怪力の文芸編集者」はゲラゲラ笑えるくらいのマスターピースだと思っても、ほかの中原昌也の小説は中途半端に感じてほとんど笑えないし、いぜん高橋源一郎が猫田道子の『うわさのベーコン』(太田出版,2000)をいろいろなところで繰り返し褒めたときも、あれくらいのアウトサイダーな文章いくらでもあるワ、耄碌してんナァと「タカハシさん」に失望した(振り返るとあの辺が「ゲンちゃん」から自分が冷めてしまった端緒だった)。一方で、町田康は、ヘンな文章の世界の金字塔『くっすん大黒』(文春文庫?)からもう10年以上、燃料切れにならず立派にヘンなことを書き続けている(これはすごいことだ。本統のパンクスだ)からたいへん尊敬しているし、都築響一の『夜露死苦現代詩』(新潮社)は出てすぐに買ってコロコロ笑いながら読んだし、ブレット・イーストン・エリスが『レス・ザン・ゼロ』(中公文庫)や『アメリカンサイコ』(角川文庫)でむかし書いたような、視点となる人物がラリってて強迫観念に陥っているときの精神病者、じゃない、精神描写はたいへん好きだ。けっこうワンパターンなんだけど、服や食い物などのブランド名を延々と連続させたり、異常に細部に神経質になったり、監視されたり付けられたりしていると思い込んだり疑心暗鬼になったりするやつです。あとフローベールの『ブヴァールとペキュシェ』(岩波文庫。おととし重版したから、今のうちに買っておいて)みたいに、カノンと呼ばれている作品のなかにも、ひょっこり異常でかわいいものが紛れ込んでいるから、小説の世界は油断ならないし、たまらない。だから好きだ。

なぜヘンな文章が好きなのかというと、完全に相手の手筋が読めないからだろう。自分の感情や思考のパターンがあって、それを基準にして相手の出方を予想する。それが手筋をよむということだ。しかしぶっ飛んでる文章の書き手はつぎに何を提出してくるか、まったく読めない。

その人がいい気分ですごい文章を連発してくると、そこにはすさまじいトランス空間が生まれてくる。文章の大伽藍がひろがってくる。驚くべきことに、ROVOでもLimited Express(has gone?)でもにせんねんもんだいでもZAZEN BOYSでもV∞REDOMSでもBATTLESでもnontroppoでもgroup_inouでもkirihitoでもstruggle for prideでも、優れたライブバンドならなんでもいいけど、ヘンな文章を読んでいるときのこの感じは、ライブ音楽を浴びているときの感じと似ている。というか、ほとんど相似(このことは別にまた、書きたい。そのときはぜひまた大好きな、『小説世界のロビンソン』や『書きあぐねている人のための小説入門』から文章を引用したい)。それでそういう文章に遭遇すると、ただただ文章を追っていくことだけが楽しみになって、もう他のことはどうなってもいいくらいの気分になってくる(飲み屋で友達と駄弁ってるのと似ている)。生んでくれた母親に感謝したくなってくる。酒が飲みたくなってくる。

ここでは私かちゃくちゃが出会ったその季節折々の異常な文章、面白い文章、もしくは異常で面白い文章をご紹介していきたい。ちなみに、いま私は先ごろリリースされた山本精一の『ゆん』(河出書房新社)を読んでいて、それで完全にノックアウトされて、電車のなかでも行を追うたび大爆笑、へいぜいの目つきも変わってきて、心身ともに、だいぶ影響されてしまっている。それは仕方のないことだ。文体がそっくりになってしまうのも、だから仕方ないことだ。そしてこの項目を始めることができたのは、『ゆん』のおかげです。

まずたまたまネットで文章を見かけて頭を殴られるような衝撃を受けた名古屋のN森さんを紹介したい。この人はネットで文章を見かけて惚れ込んでしまって友達になった。自分とこの人はこの1年というもの、不思議な関係にあり、それは例えるなら通信講座のような関係である。まずN森さんは読書好きなのだが、それまでの人生で系統だった読書というものをしてこなかった。そういう環境やトライブにいなかった。一人の作家の本をまとめて読むとか、この人があの人から影響を受けてるとか同時代だとか、もしくはこのジャンルでおさえておくべき(イヤな言い方だが仕方ない)はこれだとか、そういう世界から完全に外れており、無関係だった。N森さんは地方の大型ブックオフの、100円コーナーにうずもれていたのである。これは比喩ではない。

私どものやりとりというものはだいたい次のようなものです。まず自分がN森さんに読んでほしい本を列挙して携帯にメールで送る。するとN森さんが近所の図書館でガツガツまとめて借りてきて(その小さな図書館でN森さんはすでに軽い有名人になっているそうだ。学生でも老人でもないのにマシーンのように本を借りまくっている様が浮かんでおかしい)、この人は仕事がとても閑なので、何冊でも、一挙に読んでしまう。それで感想をメールや電話で言ってくる(この人は異常記憶の持ち主なので小説の復元力と描出力がすばらしく、かつ過去の雑談の内容なども異常に完璧に記憶しているので時々不気味である)。それでまた、つぎはこれを読んでみるように、というメールをじゃんじゃん出す。その繰り返しがもう一年弱つづいている。

しかしこれだけならよくある本好きの友達づきあい(?)だが、この人がすごいのは読むたびにそれを肥やしにして書くものの水準を上げていくところである。後藤明生の千円札文学論を地で行くひとが、こんな近くにいたのか。そもそもネットで文章を見たときから面白かったが、異常に漢字が多いしやたら回りくどい言い方をする、なんだかダッサイ文章だった。しかし課題図書を消化するごとに、文章は洗練され、しかし、反対に、各種エピソードの異常さ、温かく易しい文体に潜む狂気というものは強烈になってきて、どんどん面白いことになってくるのだ。おれは間近で、このひそやかな人体実験と化学反応に立ち会えて、毎日興奮しているのだ。それで、この人が友達と限定28部のみ製作した小さな文芸同人誌『ホーン』に去年11月、おれとid:erohenは寄稿したが(おれは吾妻光良&THE SWINGING BOPPERS鶯谷キネマ倶楽部ツーデイズのことを書いた)、ここに載った「錆鼠」(さびねず)という短編小説は、文章修養に明け暮れる2007年のN森さんが放った奇跡のようなスマッシュヒットです。20枚ちょっとあるが許可を得てすべて転載する。お楽しみください。

http://lot49.lolipop.jp/mt/archives/2008/04/n.html