electraglide presents Warp20(Tokyo)でみるみるコンクリートに体温をすいとられる

breaststroking2009-11-21



朝は10時に起きて移動。新幹線で家に戻って、洗濯物をやっつけてすぐ出る。2ヶ月ぶりのフットサル。45分だけど(遅れて行ったから)しんどい。みんなで軽く飲んで飯食って3人で新宿に流れてそこでまた1時間、少し飲み、2人が麻雀へ消えたのを見送って、自分は東京駅まで出て海浜幕張まで。「electraglide presents Warp20(Tokyo)」を見に幕張メッセ。4年ぶりのエレグラということだが、Paris,NY,London,Sheffield(1989ワープレコード生誕の地)を回ってきたWarpの20周年記念ワールドツアーに乗っかった形のようだ。エレグラは2002年にkraftwerkが出たときも何かあったかで見に行かなかったので初めて。クラブイベントも久しぶり。

http://www.electraglide.info/

フットサル経由・居酒屋がえりのおにいさんはもっとクラバー的なかっこうをしてくればよかったと思ったよ。カッコいい黒っぽい服を着た若い人がたくさんいてちょっとだけちぢこまっちゃった。レコード屋もつぶれ、大学卒の就職率も7割を切る(http://www.asahi.com/job/syuukatu/news/OSK200909180024.html)というなか、会場は1万円のチケットを持って参集したクラブミュージックファン(と目立たない数のロックファン)でいっぱい。

!!!は黒人女性ボーカルも加えた7人編成。ライブで見るのは初めて。ジャキジャキ細かく刻むギター、骨太のリズム隊が躍らせる。トーキングヘッズやNO WAVEっぽいといえばぽい。エレクトロニカ的な要素はない。だいたい、WarpとTouch and goに同時に契約した、という出自がユニークで面白い。こんにち的である。長身のボーカルのダイナミックにステージを移動する動きや道化のようなダンスが楽しい。キーボードの二人がパーカッションをやったり、かと思えば同時に前線に歩み出てきてホーンを吹き鳴らしたり、芸がこまかい。

しかし後半、興味深い場面があったのをおれは見ていたよ。このバンド、たぶんボーカルがイニシアチブを執っているのだと思うが、演奏中に、加藤茶のはげおじさんに似た赤いシャツのkbの人にちかよって何か耳打ちした。そうしたらはげおじさん的な人がにわかに激昂してシンセか何か、機材を両手で掴むと、ぐわっと振り上げて卓に叩き降ろし、そのまま上手に一度退場、しかし気を取り直したのか1分くらいで戻り、再度演奏に加わる、というなんとも緊迫感のある一幕があり、おれは前のほうで見ていたから、はらはらしてしまった。しかしこの間、バンドはたゆみなく演奏をつづけているし、そもそもステージではだれも赤シャツを見てもいない。観客もおれの周りでは何の反応もしてなかった。あれはなんだったんだ、ジダンはなんて言われたんだ(ガットゥーゾに)、まあシュールな光景であった。バンドは春に再来日するそう。

会場で会ったN森さんにも愚痴ったが、幕張メッセは殺伐としていて、会場として魅力がなく、立っているだけで疲れる。今回は人も多く、ゴミ箱がとにかく見当たらない。時間が深まると、吸殻捨て放題、ゴミも放置し放題で、大変環境が悪かった。また休息を得るためのスペースが皆無で、人が往来するコンクリートのフロア上に横たわるしかない。このコンクリが体温をじゃんじゃん吸収していくため、体がコチコチに痛くなる以上に、風邪引きそうで心配になる。

ライジングサンや朝霧などキャンプベースのフェスは例外として、大規模なフェスティバルは、お客さんがいかに快適に、リラックスして長丁場を過ごせるかという視点で見ると圧倒的に工夫が足りていないと思う。特に屋内のイベントはそうだ。メガ級の規模ゆえに最初から放棄しているのかもしれないけれど。それはインディペンデントなロックフェスと比較すると顕著に分かる。今年も、オールナイトではないけれど「東京BOREDOM!」(http://www4.atword.jp/tokyoboredom/)の東大でやったやつとか、会場が狭かろうが融通が利かなかろうが、最低限の客の逃げ場をきちんと考慮して、用意している。出演者がどんなに派手で面白いパフォーマンスをしようと、長時間オーディエンスがよい体調、よい精神状態をキープできなければイベントには意味がない。

…ちょっと熱くなってしまった。でも今回の会場で唯一"あそび"のスペースとなっている、映画上映広場みたいなところがあって、そこで休憩しながら見た映画、面白かったな。「This is England」という、四歳のこどもが極右のあつまりに巻き込まれてしまう作品。20分も見なかったが。

25時15分からBATTLES。登場前、天空にそびえるクラッシュシンバルをふくむドラムセットが中央に配され、その時点から興奮が高まる。2005年の渋谷、2007年の恵比寿、FRFと3回見てきたが、豊かな発想と高い技術にいつもワクワクさせられる。音響が巨大クラブの限界なのか、演奏は終始潰れ気味だったが、パンクな風味でそこまで気にはならない。序盤の「Tonto」で頭が真っ白になる。

今回注意して見ていたのは、低音のギターを弾くデイヴ・コノプカ。中央奥ドラムうしろで客に背中を向けて演奏したりアンプやサンプラーをいじったりする3番目のギタリストは、バトルズの技法上のポイントである、オーケストレイテッド・ループ、つまりギターリフやボーカルをリアルタイムでサンプリングしてループさせ、それを繰り返して演奏を次第に膨らませていく作業の発起部分をたびたび仕掛けてくる。つまりコノプカが自分で弾いたリフをサンプラーに読み込ませる曲頭の作業が、BATTLESの不思議な曲構成のカナメなのだが、今回2度ほど、一度演奏→入力したやつを消して、もう一回録音させてくれ、とタイヨンダイにお願いする場面があり、鉄人バンドの人間的な一面を見た気がしてなごんだ(?)。ドラマーのスタニアーはフランケンシュタインのようなドラミングをするくせに、いつもスタイリッシュな純白長袖のボタンシャツで、退場時に礼儀正しいのもかわいらしい。タイヨンダイはエフェクタを噛ませているとはいえ、特徴的で良い声をしてる。

BATTLESの音楽について語るときに、ハードコアとかダンスミュージックとかの混交が指摘されるが、さっきのオーケストレイテッドループの手法は、手入力でダンスミュージックが仕上げられていくのを見ているようだ。1トラックのミニマルとして産み落とされたフレーズが、追加された肉付けに加勢されて巨大なうねりへと発展していく。以下のインタビューでの発言も、その生成のイメージを言っているようで面白い。共感覚的な創作の世界。

デイヴ ああ。俺達の場合、ひとつひとつの曲に色や数字を付けてるんだ。で、そういった色や数字が黒いベールで覆われてても、それが何だかイメージできるような感じっていうのを意識して曲作りをしてるよ。

ジョン どの曲にも、まるで漫画みたいに色やイメージがあるんだ。
2007年『OOPS!』でのインタビュー(http://a.oops-music.com/interview/battles.php?page=all


アンコールを含め90分のBATTLESの演奏がおわると、すぐにO.N.OのDJが始まる。このイベント、演奏後の転換の速さはさすがプロフェッショナルの仕事、すばらしかった。完璧にオンタイム進行。パフォーマーがはけると、両端からワッと十数人のスタッフが機材へ駆け寄ってきて撤収作業を開始するのだ。

O.N.Oは左右にタッチパッド的なデジタルサンプラーを配して、呪術的な動きでリアルタイムにパーカッションのようなノイズ発生装置のような使い方をしていて、kirihitoの早川さんみたいでカッコよかった。5人の日本人勢(ほかにミト、rei harakami田中フミヤ、DJヨーグルト)のなかでも目立っていたのでは。

30分エントランスのベンチで寝て(ここだけ唯一人間的に休める場所)、クリス・カニンガムのライブ。カニンガムのDJブース後ろ、ステージ背面に並んだ3面の巨大スクリーンに、バラバラに映像が映される。映像、音楽は同期しておりカニンガムによって統御されている。DJブースは真っ暗でよく見えない。とにかく、映像と音楽に集中してくれということだろう。

後半30分しか見ていないが、きょういちばんの衝撃。攻撃的なエレクトロニカとともに、美しくショッキングな映像が奔流のように畳みかける。スターウォーズジェダイとの戦闘からとったものもあったが、大部分は自作だと思う。延々と殴り合う全裸の男女、どこかバランスを失調した奇形的な表情で何かを滔々とこっちに話しつづける女性、そしてエイフェックスの音楽をつかい、地下室で分裂踊りをおどって遊ぶホムンクルスを描いたオリジナル作品「ラバー・ジョニー」などがつなぎ合わされる。気分が悪くなっちゃった人もいただろう。視覚聴覚をつうじて胸をえぐってくるような刺激に満ちたパフォーマンスで、まちがいなく当代一のアーティスト。出口へ進むオーディエンスの口からは賛嘆と驚愕がまざった声が聴かれるも、そろって口数すくな。

1時間、rei harakamiを子守唄に、コンクリに体温を吸収されながら眠り、LFOに備えたかったが体力の限界。LFOの極限まで装飾を削った、ピュンピュンピュンピュンミサイルの発射音の連続みたいな終末的ハードミニマルを聴きながら、まだ日も明けない幕張を出た。超乱暴に総括すると、全体をつうじてほとんどのパフォーマンスにポジティブな多幸感はなくって、ヒリヒリする冷たい鋭さを感じた。そこがいまの新しさを描出していると思った。