ぼく(たち)の好きな冒頭 3

それで吉田健一の『時間』でも気取って引こうかと思ったのだがなぜか見あたらないので唐突に山本夏彦の『無想庵物語』(文藝春秋)の書き出しを引く。

 無想庵武林盛一は私の父露葉山本三郎の友で、武林は明治十三年生れ父は十二年生れの同時代人である。武林はながくフランスにいて昭和五年帰って久々で父を訪ねたら、父はすでに昭和三年に死んでいて、そこに中学三年になった少年の私がいた。見れば死んだ友と瓜二つである。友の子は友だと数え五十一になる無想庵と数え十六になる中学生は友になったのである。そのころ私は死ぬことばかり考えて、むっとして口をきかぬ気心の知れぬ少年だった。
 二人はむろん本当の友ではない。友に似たものだが、この世に真の友がないとすれば似たものでもいいと無想庵はそれからというもの、私をさそってまず東京見物の案内をさせた。無想庵は震災前の東京しか知らない。