Catune(http://www.catune.com/)の宣伝文曰く、<サンフランシスコのポリティカルポストロックモンスター>であるところのFROM MONUMENT TO MASSES来日公演を見にO-NESTへ。ロッカーが1階エレベーター前から、バースペースに移っていた。

大学のイベントで初めて見たサンガツをきっかけに、TOE、TRISTEZA、ALBUM LEAF、mono、MOGWAI、NINEDAYS WONDER、the mercury program、pele、界、(あと54とか、こないだ見たクラムボンの変形ユニットcjambonも、入ることは入るのか)など、これまで飽きもせず、いつも新鮮な気持ちで「ポストロック」と紹介されるバンドのライブを見てきた。それで生意気を承知で云わせてもらえば、雰囲気と形式だけのポストロックバンドならそんなものは不毛である。様式をなぞりながらも常にその輪郭から踏み出していく発想と運動、おれはそれを見たくて会場に足を運ぶのである。

そういう意味ではこれまでフライヤーなどを通じて名前を知りながら、見ることができなかったsequence pulseと、たぶん1年ぶりくらいに見るtoeという、ともにCatuneに所属する二組のバンドは興味ぶかいほどに対照的だった。

両バンドは、ツインギター、ベース、ドラムの4人という、編成の上でも共通点を持っている。しかしながらこの差はなんだろう。
頑なにポストロックの定型を守り、優等生的な演奏(たとえば、茫洋とした音像とノスタルジックな音色の、二本のギターの予定調和的な絡み合い)に徹するsequence pulse。それに対しこの手のバンドにしては異常に手数の多いドラム、予想のつかない曲の展開、佳境で足を攣るベースなど、常に様式という輪郭から外れては戻りのダイナミックな往還運動を繰り返すtoe。トリのFROM MONUMENT TO MASSESのギターが、各バンドに感謝を表す丁寧なMCの最後に言った、「toeスゲエ、スゲエ」という言葉が、今日のライブを端的に言い表している。一ヵ月後、同じ場所で行われる、新生BEAT CRUSADERSとのライブが楽しみだ。

FROM MONUMENT TO MASSESは、ラジオやテレビやライブなどからサンプリングした人間の声を曲のあちらこちらに使っているのが特徴的。そのメッセージ性をもって政治的であると紹介されているのだろうか。Catuneのメールニュースに掲載された来日直前のインタビューから、生活と音楽活動についての、面白い発言があった。インタビューイーはギターのMatthew Solberg。一部意味の通りにくい文章があるが、そのまま引用してある。

6、生活とかどうしてんの?音楽との兼ね合いとか。
M :コーヒーショップで働いているよ。最低な。でもツアーにいつでも出る事が出来るから。オレが思うになぜかたくさんのもがいているミュージシャンが外食産業に引っ張られて傾いていくよ。フランシスはフィルムのMFAをゲットして勉強している。仕事はベイエリア周辺でたくさんのフィルムとビデオを取っているよ。セルジオは高校教師だよ。オレたち3人はベイエリアの行動主義としてオーガナイジングコミュニティーの中でもがいてたくさんの仕事をしているよ。
ほとんどの時間、金を稼ぐ仕事ではなく完全な仕事として。オレたちがどうやってコントロールしているかって?Fugaziの"Long
Distance Runner"って曲。オレのお気に入りのフガジの曲ではないけど言葉はアメージングだ。

音楽が好きで仕方が無いから、仕事をしながら音楽をやっている、という人間がいて、その中には毎日の生活がどうしようもなく最低だから、そのゴミ溜めのような状態の中で生き延びていくために音楽をやっているという人がいくらかいる。FROM MONUMENT TO MASSESはどっちだろう。音楽活動と生活との関係をひとつのテーマにした『シンキョウ』というミニコミを発行していたthere is a light that never goes outはまちがいなく後者だ。北海道で本業を続けながら、1年に1、2回仕事を休んで東京にツアーに出ていたカウパーズも同じだろう。そういえばイルリメは、ムードマン、ECD安田謙一など、仕事と音楽を両立させている人間が好きだと語ったことがあったらしい(http://www.jetsetrecords.net/interview/07.html)。「ただ、なんとなく」の兼業バンドマンも悪くはない。しかし鬱屈した状況に歯のこぼれた楔を打ち続け、週末にマイクを握り、楽器を鳴らしながら自問自答を繰り返す人たちのことばに、自分は耳をすましている。彼らが何を考えつづけているかに、自分は興味を持っている。