漫然と話をさせてくれ。今日は。筋書きのない与太話を。

やっぱ新聞は便利だな(先週末からまた取り始めた)朝日新聞の出版広告でちくま文庫の復刊フェアが今月あることを知る。しかしちくま文庫が復刊するのか。おれいま咄嗟に何かのバンドの復活に喩えようかと思ったが真っ先に浮かんだのがジッタリンジンSHOW-YAだったのでおれは黙考を放棄して前進する。紙面によれば今回は種村季弘の二巻分冊のあのアンソロジーほかが蘇るらしいが(種村氏は初期ちくま文庫のコアとなる書き手の一人で、1985年の創刊時のラインナップにも『食物漫遊記』→amazonで開幕スタメン入りしているのだが、創刊の際のオビ裏に書いてある<文庫に知性が帰ってきた 教養新時代宣言!>というコピーはその後の同文庫の展開を考えると明らかに合っていないが、当時この文庫が担わされていた役どころが推し量れる。「新教養」なんて言葉、85年にも流通してたんですね)、この報に慌てふためいている古書好きがけっこういるんじゃないか。自分もうれしい反面、あれは眠らせておいてくれ、ってのがけっこうある。それはそうとあなたがいちばん好きな文庫はなんですか。おれはそれが気になる。ここで言っているのは個々のタイトルでなくて新潮とか角川とか、書肆のレーベルのことです。

その人がおれにとって親しみを感じる読書家なら二つがあると思うな。つまり、本当に好きな文庫(a)と、それを口に出して言うのが憚られるので照れ隠しで言ってしまうカムフラージュな文庫(b)が。あと何年代のどれどれ、というのも大いにありだと思う。おれの場合ころころ変わるだろうけど基本的にaは中公文庫。でもそんなに古くなくてもいい。10年くらい前まではけっこうまだまだ現役で魅力的だった。そんなだから、同人誌sumusが2003年に出した『sumus 別冊 まるごと中公文庫』は折に触れてつまみ読む宝物になってる。三冊くらい買ッときゃ良かったよ、てめえで読む用と気に入った誰かにボンとあげる用と古本屋に連れ出したり線引いたりの使い倒し用で。あと偏見だし口が悪いようだけど、(a)に当たるのがもう断然ちくま文庫、即決、と言う人はおれなんだか信用ができない。微妙なニュアンスだけどね、微妙なニュアンス。でおれにとっての(b)はけっきょく新潮文庫だ。尤も、規模も歴史もでか過ぎるから、こういう特徴があるゆえ、というのは言えない。余談だけど最近はいしいしんじブローティガン三浦しをん糸井重里なんかのソフトな書物の取り込み方が巧すぎてちょっとイメージが変わってきてますね。藤本和子氏がどれかのブローティガン本の訳者あとがきで、ブロ本の復刊の動きを、新しい読者が発言権を社会で持ち始めているためだと類推していたけど、編集部に今月のユリイカに出てきそうなすごい文系乙女がゴロッゴロいるのかしら。で、同文庫でこの一冊と言ったら、2005年のおれは胸張ってきちっと答えるね。品切れになってたところを最近元気な光文社知恵の森文庫に改題(『面白い小説を見つけるために』2004年→amazonされて持ってゆかれてしまったけど、小林信彦『小説世界のロビンソン』→amazonだな。この本はほんとにすごいですよ、それはもう。品切れだけど。雑学的なというか雑書学的なポイントは、知恵の森文庫版では終わりの2章程度がカットされているということでしょうか。自身の最新作に言及している口振りがあんまりジャーナリスティックにすぎるからでしょうか。だからまあ、新潮文庫で読んだ方が良いかもしれないですね。表紙は吉田秋生