□先月の『本の雑誌』の永江朗氏や、三茶→渋谷という生活導線に旭屋が組み込まれていた坪内祐三氏ほか、渋谷旭屋書店の閉店を惜しむ声は多く聞かれるが、晩年に改装してからはあんまピンとこない本屋に落ち込んでいた気がする。ただ藪から棒にみすず書房が強かった。あと晶文社のコーナーも、なんかありましたよね、いちばん奥に。そういう部分が面白かった。渋谷のど真ん中の地下で、訳わかんないエネルギーを放射していた。

でも個人的には旭屋より四ツ谷駅前の飲み屋横町にあった文鳥堂の閉店を惜しむ。もしかしたら改装かもしらんけど。ある日突然何も言わずに去っていった恋人のようであったよ、その別れは。ある日を境に閉じたまま開かなくなったシャッター、今日はどうかな今日はどうかなと通う自分は忠犬みたいでとてもさびしかった。(実は)書籍文化果つる街・四ツ谷でその立ち居振る舞いは凛として果敢であった。レジスタンスみたいだった。実際、並べてる本もギンギンに左翼がかっててレジスタンスだった。四ツ谷という場所でそういう本を要求している人はあんましいないだろうに、それでもレジスタンスで、スガさんであったりアガンベンであったり『読書人』や『図書新聞』であったり、詩論であったり現代思想社会学であったりという感じが微笑ましくも頼もしかった。揃っていたからけっこう文芸誌も買ったし雑誌『nobody』なんかもたびたびあそこで買った。あそこの平台は大して広くはなかったが神保町の出張所みたいな感じで、鮮度や評価基準は中央市場と一緒なので信頼できたのだ。あそこをこまめに見ておけば、いざ久方ぶりに神保町に出かけた時もあっぷあっぷしないで済んだもんだ。

たいていレジ番してたあのちょっと神経質そうなおじちゃんはどこ行った。そもそも文鳥堂っていえばチェーンのはずなのに、なんであんな棚作りができてたんだろう。四ツ谷文鳥堂、あの小さなレジスタンス、また戻ってきてくれねえかな。