新宿でおれはそれを見たよ

新年早々オークションでペケ付けられてへこんでいるところですが(おれが悪いから仕方がないのだが)今年はもう少し更新するので引き続き宜しくお願いします。あと本体(http://lot49.lolipop.jp/mt/)も半日前に更新しました。

新宿で初売りと暇つぶしを目当てにした群衆が横殴りですれ違い、あるいはぶつかってくる中おれはなにも今日じゃなくてもいいのに、いつも通りのスタイルで買い物をした。ルミネのブックファーストで岩田康成『社長になる人のための決算書の読み方』(日経ビジネス人文庫→amazon榊原正幸の株本を読んでいて、榊原本のサブテキストおよび会計学方面の入門書として役に立つかと勝手に思って買った。『さおだけ』でも良いんだけどね(追記:さすがに『さおだけ』ではよくない)。架空の対談形式で財務諸表を判りやすく解説していてこれはたぶん良書だと思うけど、日経ビジネス人文庫ほど玉石混淆の文庫はないんじゃねえか。わりとよく揃っているルミネの棚から思うに任せて抜き出しているうちにその確信は強まっていった。

久しぶりの『FADER』11は買ったが『nobody』20は今回は立ち読みだけ。54-71のインタビューで、ボーカルを封じてキーボードに行ったのは、ビンゴが英語の歌が上達しないことを苦にしたため、という発言をしていて、発音とか滑舌とかを超越したボーカルスタイルに痺れていた自分には意外だった。最近、ASPARAGUSとかthe band apartとか、日本人離れした巧みな発音で英語詞を唄うロックバンドはけっこういる。一方でそうでない人たちもたくさんいて、たとえば「そこにダンスグルーヴがあれば、英語詞の発音なんてカタカナ読みでいいでしょう」的な開き直りを見せ(ているかどうかは知らないがおれには絶対そうだと思え)DOPING PANDAとかには不快を感じるが(発音が良ければカッコいいのにと思っているだけに)、54においてはそもそも、発音上どうこうなんてことを考えて聴いたこともなかった。長尾謙一郎おしゃれ手帖』(小学館→amazonは何巻まで買ったかもう思い出せないので8を。8巻ということで、たくさんいるキャラクターの個性と物語がそれぞれ適度に深まってしまい、一応の主人公の小石川セツ子を除けば、どの人物も危機的状態に足を突っ込み始めている。だから不条理でもバカでもどんなページにもそこはかとなく哀愁と破滅の予感が漂っている。さらに演出やデザイン面で、横尾・田名網的サイケ世界に足を突っ込んでいて、いよいよやばい感じだ。笑えない。これは笑えない世界に入りつつある。

あと買いそびれないように『テレビブロスムネカタさん<相変わらずいい感じにサブカルな誌面で、いつも一緒にいたいほどではないけれど友達ではいたいというぐらいの親近感>という評言には笑って頷いた)、「本屋さんを遊ぶ!」特集の『散歩の達人』。その他めぼしいやつはガンガンに脳にインプットして出た。

タワレコではスマーフ男組 山本精一 アブラハムクロス『カンマナイトライブ』→amazon(05年4月23日ロフトのライブ盤)口ロロ『ファンファーレ』を買ったが、いちばん衝撃がでかかったのは無料配布『風とロック』1月号の銀杏BOYZ峯田和伸特集だ。表紙の半目を開けて恍惚の表情で唄う峯田のポートレートも強烈だが、特集も終始この勢い。大半は、12月のラフォーレの広告サミットでの弾き語りライブの写真。見開きでリリックととも掲載されている。最後が風とロック箭内道彦との対談。全体の2/3が峯田特集だ。しかしおれはこれを変人峯田にまつわるトリビアルなネタとして紹介しているのではない。誌面の峯田からは、ライブを見た人も多分そうでない人も手に取ったらなんかジンと来てしまうような無垢な真摯さが伝わってくる。そして雑誌を作っている側にもそれを伝えたいという熱意を感じる。無料配布雑誌にここまで熱くなったことは過去、『ビッグイシュー』でも『R-25』でも『早稲田文学』でもなかった。無垢であるということは素っ裸ってことだ。素っ裸ってことは相当傷つきやすいということである。また傷だらけの峯田を見に銀杏BOYZのライブに行きたくなった。

それでまだそんな時間でもなかったので、西荻総理に新年の挨拶でもと思って早稲田へ。総理は携帯をもたねえから、待ち合わせ場所は当然駅横のブックオフだ。当たり前だ。でまた鶴巻の秘密基地でワインをいただきながらいろいろ本を見せて貰った(というか無理矢理徘徊・睥睨・窃視など繰り返した)。何しろ日本中から彼の基地に本が届(いては瞬く間に別んところに飛んでい)く。2006年は総理もFさんも大きな勝負に出るみたいだ。雇用の話とか、ヨシケンの「絵空ごと」みたいな構想とかを聞く。大きく出る人の話は非常にワクワクし、こちらも励みになる。大貫妙子や陽水が大きな音で鳴り、ワインと日本酒が交互にコップを満たすようになると、いつも通り談論風発となり酒に酔ったおれは彼らの新計画について大見得を切って無責任な提案を連発した。円タクで帰る。

丁々発止の価額交渉(という名の「友人価格」の押しつけ)の末に以下の本を買った。

林富士馬 富士正晴『苛烈な夢 伊東静雄の詩の世界と生涯』(現代教養文庫)、永井龍男『三百六十五日』(潮文庫)、吉行淳之介 丸谷才一 野坂昭如 和田誠『大人の絵本 ああ人生日記』(新潮社)、丸谷才一選『花柳小説名作選』(集英社文庫)、武田泰淳『わが子キリスト』(講談社文庫)、永井荷風『腕くらべ』(岩波文庫)、河盛好蔵編『アンドレ・ジィド』(要書房)。

本棚も本の再読と一緒で、一度眺めて通り過ぎるだけじゃなくて、ここだと思ったら二度三度睨め付けてみるといろいろな発見があるものだ。そうしたら主人がぐえっと唸るような本が出てきて面白かった。『アンドレ・ジィド』は、言うまでもなくかつて戦前戦中戦後の文学青年を魅了した人物であり、石川淳小林信彦もあの人もこの人もみんな夢中になった。いま手元になくて見つからないが近藤健児の『絶版文庫交響楽』(青弓社→amazonによれば、ジッドの本は新潮文庫で30タイトルくらい出ていて、一つの出版社からこれだけたくさんの作品を出した海外作家はジッドをおいて他にいないだろうというような記述があった。つまり20世紀の20年か30年くらい、日本人はジッドというハシカにかかっていた。今じゃ2冊くらいしか、簡単に文庫で手に入れることはできないけれど。で、『アンドレ・ジィド』。タイトルからして堂々としている。ジッド論でもジッドについてのなんとかでもない。本丸ズドンの構え。要選書はもって回ったやり方を好まない。それで、中で複数人の書き手がジッド論を寄せている。今で言うなら河出書房の文藝夢ムックみたいなもんだ。しかしそういうのとは段違いのスゴ玉が集まっている。これはもう目次自体が文学していると言うほかない。思わず総理の事業所で、音読してしまった。

I 
ジィドとその時代……中島健蔵
ジィドの古典性……中村光夫
ジィドと文藝批評の問題……加藤周一
ジィドの「ドストエフスキー論」……生島遼一
ジィド……小林秀雄
II
ジィド逝く……辰野隆
ジィドの死をきいて……桑原武夫
ジィドの死……佐藤某(字が出せない)
パリで見たジィドの死……村松嘉津
III
作品解題……川口篤
年譜……渡邉一夫 河盛好蔵
あとがき

各章でジィドジィドの大唱和だが、書き手の名前がそれ自体文学史。死について一つの章をまるまる割いているところや、一章でみんないろいろなタイトルを付けているのに小林秀雄が最後に来てひとこと「ジィド。」でおいしいところ上手に持ってっちゃってるところ、あと最後に年譜という渋い場所で渡邉、河盛のツープラトンで最後まで油断ならない目次。内容に踏み込む前に、満腹になっちゃったよ(いつものことだけど)