久世光彦氏逝去の件、その後人づてに聞いたことには、亡くなったことは、森繁氏の体調を配慮して、親族および関係者は事実を伝えない方針だという。「大遺言書」の連載に関しては、久世氏が体調不良にありしばらく取材に来られなくなったと説明するというのだ。

まるでトゥルーマンショーみたいだ、日常に出来したブンガクだとおれは思った。年をとると身体的能力が低下して体力が落ちるとか目が悪くなるとかいろいろあるけれども、身体の問題以上に、情報にアクセスできなくなるということがある。90代にでもなれば、外の情報を手に入れることが相当ハードになるだろうし、第一、どうでも良くなってしまうのかもしれない。おれは久世氏の死をきっかけに出来したこの情報隔離というべき事態を、不謹慎かもしれないが興味深く思った。

…と思ったら、いかに92歳の老人に対してであってもそんなことは隠しおおせるはずもなく、一両日中に訃報が伝えられるということをさっきニュースで見た。やっぱそうだよな。
http://news.goo.ne.jp/news/sanspo/geino/20060304/120060304007.html?C=S

これは単なる思い付きだが、テレビ業界から文学に接近したほぼ同世代の人に小林信彦がいるけれど、久世氏は一生をかけて、文学を掴まえることができたんだろうか。かつてT内先生とそんなことを雑談した記憶があるが、久世氏が自身の文学活動をどう捉え、総括したかが気になってる。氏は本物の文学の姿かたちを知りながら、ついにそこまで到達できなかったと思っているんじゃないか。そんな甚だ無礼な仮説を持っているからだ。『卑弥呼』『女神(じょしん)』は今年中に読みたい。