ディック雑考

日付が変わるごろまで近所のデニーズに蟄居して『「麻原死刑」でOKか?』(ユビキタススタジオ)とP・K・ディック著 浅倉久志訳『ユービック』(ハヤカワ文庫SF)を交互に読んでいた。いま気づいたがどちらも「ユビキタス」繋がりだ。そしていま思ったが、内容はまるで異なるけれど、ディックも『デスノート』も似ている。読み出すと止まらないところが。予想の付かない展開に、つぎはどうなるんだ?と脇目もふらずにページをめくり捲ってしまう中毒性が。そして、どちらもわりと深遠なテーマを持っているにも関わらず、読み終えしまうとけろりと内容を忘れて、後に引きずられないところも似ている。要はエンターテイメントなのだ。

ディックは今年、『暗闇のスキャナー』、『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』、『ユービック』と続けて読んできた(この順序を取ったのは、『暗闇のスキャナー』解説で山形浩生が後ろの二作に関して、<できれば社会参加を避けたいと願う高校生から大学生たちによって、今後も支持されるだろう。>と書いていて、取っつき易そうだと思ったのと、ヴォネガットみたいな感じなのかなという推察したためだ)。そして不遜なことを言うようだけれど一応どんなもんだか掴めてきた。問題作『ヴァリス』など、神秘主義的傾向のある作品を読んでいないから断言はできないが、山形氏が言うようにやはり『暗闇のスキャナー』は傑出していて、あとは面白いけれども似たり寄ったりという感じなのではないだろうか。それくらい、『スキャナー』とあとの二作は毛色が異なっている。もちろん、『パーマー・エルドリッチ』と『ユービック』は読み物としての面白さから言えば大変魅力のある小説だけれども、読み終えるとけろっとしてしまう(『パーマー・エルドリッチ』は一読では内容が把握しきれなかったので、その点はすっきりしなかったが)。『スキャナー』は得体の知れない感じが残る。いつまでも治りきらない傷跡みたいに、読者の心の深いところまで痕跡を残す。

ディックは大変多作な作家で、テーマ、ストーリー、道具立てが似通った作品がとても多く、同じことを執拗に繰り返して書く作家だと多くの人が書いている。ほんの何作かしか読んでいない自分にもそれは判る。面白いのは、その似通り方だ。未来予測者とか、現実と非現実が曖昧になることとか、そういった設定やデカいテーマが使い回されるのはいいんだけれど、たとえばこういうのがある。『ユービック』ではパトリシアという女性の超能力者が、その能力を測定されるために、主人公のチップの部屋に連れられてくる。チップはグレン・ランシターが社主を勤めるランシター合作社という企業に超能力の測定のプロとして働いている。この会社は多数の超能力者を抱えている。チップの部屋でパトリシアは、初対面にも拘わらず、シャワーを浴びるために目の前で裸になるのだが、読んでいて強い既視感を覚えた。『パーマー・エルドリッチ』でも似たようなシーンがあるからで、冒頭、主人公の一人であるメイヤスンは、知らない女とどこかの部屋で寝ているのに気づく。フューゲイトという女は、メイヤスンと同じ予知能力者で、彼の助手になることが決まっているという。メイヤスンはレオ・ビュレロという改造人間みたいな社長がいるPPレイアウト社という企業で、特殊能力を活かした流行予測の仕事に従事している。

ここで書いたことだけでも、いくつかの類似点を見ることができるが、面白いのは会ったばかりの女がいきなり裸になるところで、この二つのシーンは、それぞれ作品の中でちょっと浮き上がって見えるし、唐突なのだけれど、なぜか似た形で両作に出てくる。こういった、説明のつかない必然性のない相似(使い回しというのでなく、刷り込まれているイメージというか)が、ふっと出てくるのが面白い。小説を組み合わせで作るような感じがして、好色そうとかそういう意味でなしに、この作家にどこか変人くささを感じる。