ぼくたちの好きな冒頭11

 これは私のお話ではなく、彼女のお話である。
 役者に満ちたこの世界において、誰もが主役を張ろうと小狡く立ち廻るが、まったく意図せざるうちに彼女はその夜の主役であった。そのことに当の本人は気づかなかった。今もまだ気づいていまい。
 これは彼女が酒精に浸った夜の旅路を威風堂々歩き抜いた記録であり、また、ついに主役の座を手にできずに路傍の石ころに甘んじた私の苦渋の記録でもある。


森見登美彦id:Tomio)『きつねのはなし』(新潮社)→amazonは読みたい路線とはすこしちがうと思ってまだ買ってなかったが、矢継ぎ早に直後に刊行された『夜は短し歩けよ乙女』(角川書店→amazonは、なんの逡巡もなく購入した。あ、でも正確に言えばちがう。初めて見付けた書店では荷物になると思って買わず、よし買うかと思って入った二軒目の銀座旭屋書店では見あたらず、店員曰く「売り切れです」。それで三軒目の新宿ルミネのブックファーストで、残り3冊のうちの1冊を手に入れた。

逡巡がないのは、アジアンカンフージェネレーションのジャケットイラストを一貫して描いている人(中村佑介というようだ)によるきれいな装画がこの上なく森見ワールドとマッチしていたし(しかもこの表紙画は、作品の内容をきちんとふまえている。さらにこの装画、カバーをめくった先、つまり書籍本体にもデザインされている!)、オビに躍る手書き風の<天然キャラの女子に萌える男子の純情!キュートで奇抜な恋愛小説in京都>という惹句に、恥ずかしいほど気分を高揚させられたからだ。これはおれが求める森見作品だと確信させる本作り、その手際の良さは見事というほかない。

内容は、おれの人生ベストテン(国内小説部門)に入っている『四畳半神話大系』(太田出版)と同じ世界を舞台にしており懐かしい人物と再会できる。また、『四畳半』と同様、文章の技法上でも面白い取り組みがなされている(それがきちんと作用して、物語を面白くしているからすばらしい)。

ここも『四畳半』と同様、本書は4つの短編からなる連作短編で、まだはじめの一つを読み終えたばかりだが簡潔に感想を記したい。この作品にはおれがグッとくる作家の影法師がちらちらと見える。まず謎の組織や存在が出てきたり伏線を巧妙に張るところなどはピンチョンを感じる。さらに、晦渋だがテンポのよい日本語を繰り出していく一人称は佐藤亜紀を思い出させる。佐藤氏の書く語り手よりも森見作品のそれは数段純朴だが。そして酒を飲む場面は、この人は若い作家なのに吉田健一ばりの融通無碍な桃源郷の境地を描き出す。語り手の一人である酒豪の女子学生が「偽電気ブラン」なる酒を初めて飲む場面を書いた以下の文章を見て下さい。

本来、味と香りは根を同じくするものかと思っていましたが、このお酒に限ってはそうではないのです。口に含むたびに花が咲き、それは何ら余計な味を残さずにお腹の中へ滑ってゆき、小さな温かみに変わります。それがじつに可愛らしく、まるでお腹の中が花畑になっていくようなのです。飲んでいるうちにお腹の底から幸せになってくるのです。飲み比べをしているというのに、私と李白さんがにこにこ笑いながら飲んでいたのは、そういうわけであるのです。
 ああ、いいなあ、いいなあ。こんな風にずうっと飲んでいたいなあ。

このくだり、吉田健一の『絵空ごと』や『東京の昔』などを思い出させると言ったら言い過ぎか?おれにはそうは思えないのだ。

あとは筒井康隆の影が見えるときもあるが、そこまでいくと強引すぎるからよそう。それにしてもこの人は読み手それぞれの学生時代の記憶を刺激するのに関して、当代随一の名手ではないか。おれはぼんやりとした孤独や負け犬気分、しかし裏腹な自由さといった過去の記憶とそれが持つ匂いを蘇らせた。


#あれ、発売は先月末だったのか。またおれは恥ずかしい日記を書いたか?版元のサイトで特別ページが展開されている。書籍広告のページには見えない!
http://www.kadokawa.co.jp/sp/200611-07/
http://www.1101.com/editor/2006-12-08.html