森見登美彦のエッセンス

 これまでの日常を振り返ってみると、自分は大学生活というものをおおかた舞台袖から眺めて暮らしてきたのだという気がした。熱心に部活や勉強に打ち込む連中を横から眺め、大学生らしい馬鹿騒ぎをする連中を横から眺め、恋愛に右往左往する連中を横から眺めて過ごした。私はつねに、何事かに「参加していない」と感じていた。何事かに参加しなくてはならないという義務感に駆られることを、私は漠然と嫌っていたのだが、そういう自分を不思議に思うこともあった。いつの間に私はそんな風になったのだろう。それとも、誰もが似たり寄ったり、同じような感覚を持つのだろうか。自分は充実した生活を送っていないのではないかというような、平凡な悩みだろうか。となりの芝生は青く見えるということだろうか。


「百物語」 森見登美彦『【新釈】走れメロス 他四篇』祥伝社

森見作品ではめずらしいストレートで長い傍白。しかもこの短篇の主人公は「森見君」という。
自意識の不安に悩む若い人を支えるのが、かつての文学の効用の一つだったけれども、今はそうでもない。そんな中で、森見登美彦はかつて文学が担っていたのと同じ役目を果たしている。そこが広く読まれている一因だろう。