まじなりあ・あちらこちら11 きれぎれ文学考察4 『覆面作家「芥川龍」を追い詰める』という企画のはずだったが


前回(id:breaststroking:20071224#p3)から早数日。芥川龍のトピック、早く書かなきゃと思っていたら29日の夜、id:erohenからメールが来た。

サイゾーのウェブ見たか?/芥川龍柳美里説。>

うわ、抜かれた。記事(http://www.cyzo.com/2007/12/post_224.html#more)によると、<柳美里が自分のブログ日記『今日のできごと』の中で、『週刊現代の連載のため、アナウンサーを取材』など、週刊現代で仕事をしていることを堂々と書き込みをしているから(笑)。ちなみに、今、柳美里名義の連載は同誌には掲載されていません」(某出版関係者)>ということで、別に裏も取っているみたいだ。

ブログはこれ:http://www.yu-miri.net/diary/mailbbs.php?。ここで触れられているエントリは、何しろ一日に十回以上エントリを立てている更新魔の柳なので、すでに消えてしまっていて見られなかった。ただ、今見られる過去ログのぎりぎりのところである11月9日分に、<やっとこさ1回目のプリントアウトまで漕ぎ着けました。これから、徹底的に手を入れて、直しを打ち込んで、ふたたびプリントアウトして手を入れてファックスするので……う〜ん……日付が変わる前には送信できると思うんですが……>という記述があり、時期的にもここで出てくる小説が「オン エア」である可能性は相当高い。

完全に抜かれた格好で情けないが、芥川龍サイゾーが言うように、柳氏(116回)でまちがいない。といっても、おれの事前予想が当たっていた訳ではない。おれは平野啓一郎(120回)という大胆予想を立てていた。おれは記事を確認してから急いで再検証に当たり、柳氏でまちがいないと言っているのだ。

元のおれの推測の根拠は以下。以下5点を満たしている人物が犯人であると考えた。

1. 作中での「穿く」「訊く」(第1回)「棄てる」(第2回)という特徴的な漢字の使用法
2. 三点リーダーの過剰な使用頻度
3. (性交中の)視点は女性側にあるにもかかわらず、男性が書くようなAV的性描写
4. 覆面を脱いだ瞬間、「この人が芥川龍!」とファンもすれっからしもある程度おどろくような話題性があること
5. 著者自身が、この作品で新たな読者と作風を獲得できると感じられる境遇にあること

1.についてはエロ編も書いているが、本編の大半が、性交中の女子アナの意識で書かれている文章の中で、「訊こう」とか「穿きながら」という漢字づかいが出てくるのはそれだけで目立つ。覆面を被っても、文体という体臭までは消せないのだ(なんちゃって、ハズしてるくせに偉そうだ。ハー…)。

「穿く」「棄てる」は置いておいて、いちばん目立つ「訊く」を探してみた。平野氏の『葬送』(新潮文庫)は、ショパンが主人公なだけあって、「聴く」「聞く」「訊く」と、状況によって厳密に使い分けているが、第二部の上巻120ページで「訊く」が出てきます(<それは彼女に訊けば>)(ちなみに、「オン エア」には出てこないが、『日蝕』で出てきたときにも話題になったが、平野氏には彼流のいかめしい漢字使いがあり、「固より(もとより)」「這入る」「宛われた」「頓(ひたすら)」などは、読者には目になじんだものだろうし、一般読者には「ん?」と立ち止まるものだろう)。

だがしかし。柳氏の軍艦のような『柳美里不幸全記録』(新潮社)にも、290ページ<待たせておいたタクシーの運転手に訊いて>ときちんと出てくる。しかも、柳氏の漢字使いは、小説のドロドロした外部のイメージと異なり、かなり平易で一般的。思わず立ち止まってしまうようなものは無い。

2.の三点リーダー対決だが、ここだけはおれも互角に戦ったと思っている。平野氏は『日蝕』からもう、あらゆる会話文を三点リーダーで挟み込む執着がある。

「うん、……」そう言うと、ショパンは暫く黙っていた。(中略)「そういえば、……赤ん坊のことばかり話して肝心の母親のことを話すのを忘れてたな。……」と呟いた。
(中略)
「……いや、……悪いけれど、代わりに行ってくれないかい?それで、ソランジュも赤ん坊も元気だと伝えて来て欲しいんだ。……」
「ああ、……勿論僕は構わないけれど、……君はそれでいいのかい?」

『葬送』第二部上巻(新潮文庫)133ページ

これは文庫本1ページの半分ちょいの分量だが、これだけ…が並んでいると、どれだけ煮え切らない会話なんだ!と突っ込みを入れたくなるが、これは二人の人物がためらいがちに会話している訳ではなくて、『日蝕』のときから平野氏が書く会話文というのは、とにかく通常の用法とことなって使用される三点リーダーが多かったのだ。正確には、『日蝕』では、会話よりも字の文で使われることが多かったが、『葬送』の会話では多様ぶりが爆発している。

サイゾー」の記事を見る前に、1と2を引っ張ってきたおれは、ここで既に「どうだ!」という気分でいたのだが……

 あなたはベッドに寝ている。わたしはベッドの前に佇んでいる。まだ夜は訪れていないはずなのに、寝室は暗く、あなたの顔があなただとわかる程度にしか見えない。
 なんか食べたほうがいいよ。
 ……なんにも食べられないよ。
 お願いだから、なんか食べてよ。
 ……うーん……。
 これだったら食べられそうってもの、ないの?
 ……レモンジュース……かな?
 じゃあ、買ってくる。

どうすか。引用したのは「オン エア」のこんど出る第三回原稿ではないよ。これは『全不幸』391ページ、2003年に柳氏が見た、故東由多加氏が出てくる夢である。おれサイゾーを見てから後追いで部屋に積んであった『全不幸』をパラ読みして、簡単にこの文を見つけて敗北感に打ちひしがれた。文体や技法がどうとかそういうレベルじゃなく、まんまじゃねえか!

そうだよな。おれの後追いの脳味噌が後追いならではの高速でカラカラ回っていく。柳氏の大河マラソン小説『8月の果て』(新潮文庫 http://www.yu-miri.net/kaiken0408/)は、多用される「すーはー」という走行中の息継ぎの音が、そのまま作中に多用される小説だったが、そこでも三点リーダーはあちこちで存在感を主張していたではないか(文庫が手元に無いので記憶ですが)。しかも、走行中のランナーの意識を呼吸音を挿入しながらリアルに書いたという柳氏の手法は、「オン エア」ではそのまま、「マラソン→セックス」にオートマティックに置換されて継続使用されているではないか。三点リーダーと、新たに「タララララ〜ン」という写メ撮影音を用心棒のように引き連れて。『8月の果て』と「オン エア」は、まちがいなく同じ血が流れている。三点リーダーがどうしたとか、そういう虫観的な末節とはレベルがちがう。

見苦しいから、あとは簡単に続けよう。今からすれば3からもう誤っていたのだ。性描写がAV的だと言ったって、だから男性が作者だと即断することはできない。
また、3年間、鬱病を煩っていたため経済的に困窮しており、かつ自己プロデュースという細かいことにかまけない柳氏であれば、5など別に、どうでもいいことだろう。一人一人追い詰めていくといいながら、おれ最初っから視野狭窄だった。4に関しては作者というより編集部に問題で、「柳美里が女子アナポルノ小説って、意外か〜?」と言いたいがこんなこと言っても負け犬が吼えているようなもんだよねえ。一方、平野氏だったら、話題になっただろうけれど、それは好事家連の界隈でだけだろう。また、平野氏にとっても、AVでいえば、ビデ倫女優がセルに転向したようなもので、長い眼で見て、キャリアにプラスに作用にするような仕事ではない。

ちなみに、平野氏説を補強する論証(の、ようなもの)を言い訳がましく一つ。
怪童・西村賢太(いま売りの『en-taxi』の坪内祐三によるポルトレが、最高に良かった)を発見し、『どうで死ぬ身の一踊り』を手がけた、元『群像』編集長の金髪文芸編集者・石坂秀之氏が、平野氏の講談社での二冊同時リリースの新刊『ディアローグ』『モノローグ』の担当編集者のうちの一人であることをおれは三冊のあとがきで発見し、仮説に過ぎないが、ナボコフの『青白い炎』(ちくま文庫)で、テキストの裏を掻い潜るようにターゲットに接近してくる、妄想上の暗殺者グレイダスのイメージと重ね合わせ、この人は絶対に仕掛けてくる、たとい『週刊現代』編集部でなくとも、フィクサー的に仕掛けてくる!と、まさに妄想的に直感してしまったのだ。