まがじなりああちらこちら12 Pocketful of irritations −ポケットは苛だちでいっぱい

ATAK主宰の渋谷慶一郎と、評論家の佐々木敦は、「ゼロ年代の『音響』と『音楽』をめぐって」『InterCommunication』 No.64 Spring 2008(NTT出版)でつぎのように話している。

渋谷――このあいだ、僕も科学未来館で行なわれた大友良英さんのコンサートに行ったんだけど、混沌としていたり揃っていたりというのがコンダクティングによって切り替わる、集団即興/合奏の解体、再構築の中に突然スリー・コードとかが現れると、その素朴さというかある種の美しさと解釈できるものの引力のほうが強いんですよ。ただ、「そういうのが入るからいいよね。聴けるよね」って言う客も多いわけで……。
佐々木――「(引用子中:クリスチャン・フェネスの)『エンドレス・サマー』のサビのメロディがいいよね」って話と同じですね。
渋谷――他方で、さっき言っていてた茂木さん的というか人間主義的な神秘主義って、『エンドレス・サマー』のメロディだけしかないようなものじゃないですか。しかも今の世の中では、それが圧倒的に強い。せいぜい存在しているのは二項対立なんだけれど、僕がやろうとしているのは第三項なわけだから、すごく困難な世の中ですよ(笑)。二項のうちの「気持ちいいほう」だけという状況だから。だからJポップだと、Perfume とかCapsuleみたいな存在が希望だと、常々僕は言ってるわけ(笑)。彼(女)らはメロディがどうとか歌詞がいいとか悪いとかいうレベルでやってない。というか音圧と高域で脳にどうアディクトさせるかということだけにフォーカスして作っている。もちろんこれはポップスの場合、全般的な傾向だけど、例えば彼らが影響受けていると思われるフレンチ・エレクトロなんかと比べても徹底されているのは波形を見れば明らかで、これはもはや音楽として適正な処理とかいう範囲じゃない。好き嫌いは別としてこういう極端さは現象として面白いし、Jポップ全体を見渡すと、コブクロみたいなひらがなで「うた」とか書くような、いわゆる泣けるのがどうのこうのというのが脈々と続いているわけでしょう。情緒最優先主義が。僕は音楽のカッティング・エッジと言われるような領域が、極端に言えばそういう「いいよね」傾向になるのは辛いなと思っているんです。


英米文学者の若島正は、クリストファー・プリースト「戦争読書録」(『SFマガジン』4月号)の解説で、プリーストがウェブ上で発表している書評をつぎにように紹介している。

 ついでに言うと、プリーストのHPにはこの他にもまだまだおもしろい読み物が置かれている。とりわけ、イギリス現代作家たちの小説を書評したページが秀逸で、たとえばイアン・マキューアンの『贖罪』について、「よく書けている」ことを褒めながらも、マキューアンをはじめとしてマーティン・エイミスカズオ・イシグロジュリアン・バーンズなどメインストリームの作家たちは、どうしてこう技量が優れているのに反比例して内容が薄いのか、いま読者にとって歯ごたえのある本当のテーマを扱っているのはSFだけじゃないか、と激烈に噛みついているあたり、プリーストの矜持と鬱屈した感情が読み取れるはずだ。


■写真家でライターの都築響一は、『だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ』(晶文社http://www.shobunsha.co.jp/tsuzuki1.html)のあとがきでつぎのように書いている。

 毎日いちどは本屋に寄らないと気がすまなくて、給料が出るたびに紙袋を持つ指がちぎれるほど買い込んで、一生かかっても読み切れないほどの山を部屋中に築いて。妻子には迷惑がられ、知識は増えても貯金は減るいっぽうで、女にはモテず、視力も精力も減退するばかり……(中略)
 そういう本バカにささえられて、僕は生きている。(中略)それでも売れない本を作り続けていられるのは、1億2000万人のうちの数千人(数万ですらなく)の、僕と同じぐらいバカな人たちが、売れない本を買ってくれるからだ。 


Limited Express(has gone?)のJJは、自身のウェブでつぎのように書いている。

カクバリズムだって、残響レコードだって、めちゃくちゃ音楽好き。だから、盛り上がるんです。

いつまでも、大人の人が、さらにその人の大人、上司や役員に向けて音楽イベント作ったり、アーティストをプレゼンしたりしても仕方ないでしょ。お金持ってるんだから、音楽のセンスさえ良ければ、音楽シーンを変えれるよ。

僕はこの世界にしがみついて生きていく覚悟をしてるから、あえて発言することにした。面白い事しましょう。
面白い事は、2000人の前では起こらない。面白いアイディア、新しいカルチャーというものは、20人〜25人が目撃するものなんだ。

JJ's diary3月6日 http://limited-ex.jugem.jp/


吾妻光良は、3月7日の高円寺次郎吉でのSWINGING BOPPERSワンマンライブで、「俺の家は会社」をつぎのような替え歌で唄ったが、ライブについては機会をあらためてゆっくり。

(ただしくは、<俺の夢は部長 接待でタダ酒盛り場 銀座に神楽坂 ○○○(歌詞聞き取れずカードもない)> )
俺の夢は現場 決算も人事も関係ない 俺の夢はヒラ〜 毎日気楽だぜ(※記憶とともにmixiの吾妻コミュを参照)

もちろん、曲がおわると、会場のあちこちから吾妻さんに向けて、「社長!」というヤジが飛んだことは言うまでもない。それに対して「雇われ(社長)ですから…」と吾妻さんが苦笑した場面がこの日の裏・ハイライトか。