ヘンな文章が好きだ4 N森さんの新作「ただ坐ることに打ち込む」第二回


●「ただ坐ることに打ち込む」2

 四方八方、自宅から車で五分程度で移動できる範囲が、彼の世界だ。五分ほど走った場所にある工場でブラジル人と汗みずくになって働いて、家に帰って白い飯と大根の菜っ葉と生ブシ(※)さえ食べていれば、彼はそれで仕合せだ。そうした質素な暮らしがこの男を長らく生きながらえさせている。

 百七十センチ弱ある背丈に対し、体重は五十キロにも満たないが、すこぶる元気なこの男は、それでも何年か前のある秋日、持病の蓄膿症をこじらせて、入院しなければならないことがあった。
 耳鼻科の医者が、彼の鼻を切開して溜まった膿を取り出そうとしたところ、鼻腔にキノコが生えているのを見つけた。ピクニックに出かけたらキノコがあった、森の中でキノコ見つけちゃった、お医者さんが手術をしたら、キノコ拾っちゃった、みたいな……麻酔が切れると、鼻を切開された痛みで父は飛び起きた。
 暗闇の病室で父がひとりウンウン唸されていたのは、何も痛みだけではない、生まれて初めての入院だったのだ、いつだって自分の横には妻がいたのに、彼は、夜の個室に一人きりという孤独に、耐えかねていたのだ。いつものように癇癪を起こし、棒切れの足でベッドのスチール脚を蹴ってみた。鈍い音がした。
 一方、彼の妻は、夫の唸り声ひとつ気づかぬまま、やすやすと眠りについた。蓄膿でイビキのうるさい夫が家にいなのをいいことに、ここぞとばかりに安眠を得ていたのだ。子どもたちも一人とて家におらない。娘のひとりである私は、当時の恋人とCoco壱番屋のテーブルに向かい合い、父の鼻からキノコが出てきたという、聞くに新しいニュースをさも自慢げに話してやったが、折りしもその時恋人は、自分のために運ばれてきたカツカレーに、一緒に注文したトッピングの生卵を投入し、カレーライスをぐちゃ混ぜにしているところだったのだ。恋人は苦々しい顔をして、人が食事をしようって時にそんな話をするなと、かっと大声を出し、持っていたスプーンを放り投げた。
「だって、鼻の穴からエノキ茸とか、ナメ茸が、鼻毛みたいににょーんと出てるんだろ? そんな気持ち悪りい話しったらないよ。人が美味いものを食べようとしているときに、そんな話なんかするな、ふざけるな!」
「誰もそんな、にょーんと出たなんて言ってないじゃない。お父さんのキノコは、鼻の奥のほうにあったのよ!」
「手前にしろ奥にしろ、鼻ん中にキノコを自生するなんぞ、人間のなせる業じゃねえよ。気持ち悪いな!」
「じゃあ言わせてもらうけど、あなたの食べ方だって変よ、カレーに黄身をグチャグチャに入れるなんて、そんな食べ方私には馴染みがないわ。豚の飯じゃあるまいし」
「なにいってんだよ、この食べ方が最高に上手いんだぜ。まろやかになるんだぜ。でもお前のキノコの話でもう食べる気失せちゃったよ」
 ふてくされた男は、カレー色の黄色いソファーの背もたれに、デンと背中を押し付けた。色黒の男だったので、何だかカレー・ルーのような顔の色をした男だと思った。もう本当に食べる気がないらしい、私にはカレーを求めるお金がないので、水しか飲めないが、水で空腹は満たせぬのだ。その汚らしい食べ物、いらないなら、ひとつ私に食べさせてもらえないだろうか。

 父の持病は蓄膿以外にもあった。日がなブラジル人との肉体労働は過酷であるに違いはなく、時おり腰が痛いと言い出すこともあった。
 ある日、痛みがどうにもならず、隣町の骨接ぎに行くのだと出かけ、住宅街の真ん中にある病院を目指すどころか、煙突が立ち並ぶ工場地帯が彼を囲んだ。というのも、方向音痴がたたって越県して三重の四日市まで行ってしまった、ということらしかった。とんだ大旅行をやらかして、本人はたいへん戸惑ったが、それでも無事に戻ってこられたのは、彼を心配する家族がいたからだ。迷子の老人(いや、その時彼は四十代)を、慈悲深い家族が引き取りに出向いた。(以下つづく)


#9月23日、三箇所を追記、修正。10月4日も、一部修正した。