石田徹也展でわたしは


石田徹也 −僕たちの自画像」展を見るために練馬区立美術館に行ったのは、文学フリマを出たその足で行ったわけだから11月のはじめか。

http://www.tetsuyaishida.jp/announce/nerima/index.html

現代の東京とか大都市のことをよく否定的にいうときに、「地面がぜんぶコンクリートで被われている」から異常だということがあってそれも本当だと思う。外界の刺激に対して、神経がある程度鈍磨していないと生きていくこと自体がしんどい、ということはある。シャッターを閉めるみたいに、マスクをして外を出歩くみたいに、感情や感覚を鈍らせて生きていくこと。無意識にそういうことをやっている節は、確実にある。そういうことができないとどうなるのか。決め付けてはいけないが、石田徹也はコンクリートに被われた地面にあるしんどさを感じた人なのだろうし、彼に社会はおそらく、彼が描くような絵に見えた。いや、そのまま見えたのでなく、色川武大が『狂人日記』(福武文庫)に活写した無数の幻覚のように、心を鈍磨させることなしに行き着く先、見える視界はどのようなものか、想像しながら描くことができた、そういうことなのではないか。自分らが無視してやり過ごしそうとしているものを顕在化させるから石田の絵はちょっと居心地が悪いが、反対の、そうだよく言ってくれたというような気持ちよさもある。それらの根っこはつながっている。

石田の絵はサブカルごのみの作風だと解釈して「そういうのは、いいや(もうゼロ年代もおわりだし、20世紀なんか知らないし)」と通り過ぎてしまうことは、自分が社会に対して無意識に装備している防御機制、フルメタルジャケットを見えないものとして扱ってしまうことで、そうしたアティテュードには「鉄面皮」といったことばが心底似合うと思うのである。発狂している人と、発狂しないでいる人のちがいは何か? 特に無い、はずだ。

くどくど書きながら、石田の作品を肉眼で見るのは初めてのことだった。展示は画集以上のインパクトをもたらさなかった。残念ながら。ただ展示室と別のところに、資料コーナーのようなものがあり、ガラスケースに創作ノートが飾ってあった。そこに書かれたメモが興味深かったので、わざわざ3ヶ月前のことをこうして書いているのだ。学芸員に注意されながら、そのブーメラン運動の眼をぬすんで必死でメモったというのに……ウェブ上のあちこちに載っている……舐めやがって!舐めやがって!

http://www.spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/_archive/tearoom/amaryllis/no87_5_j.html

「僕の求めている(今)ものは、苦悩の表現だったりするのだが、それが自己れんびんに終わるような、暗いものではなくて、他人の目を意識した(他人に見られて、理解されることで存在するような)ものだ。自分と他人の間のかべを意識することは、説明過剰を生みだすが、そのテーマなり、メッセージが、肉声として表現されているならば、直情的にたたきつけた絵画よりも、ニュアンスにとんだコミュニケーションがとれるはずだ。僕の求めているのは、悩んでいる自分をみせびらかすことでなく、それを笑いとばす、ユーモアのようなものなのだ。ナンセンスへと近づくことだ。他人の中にある自分という存在を意識すれば、自分自身によって計られた重さは、意味がなくなる。そうだ、僕は他人にとって、10万人や20万人という多数の中の一人でしかないのだ。そのときに落たんするのではく、軽さを感じ取ること。それがユーモアだ」

腹立たしいからまるごとコピペしてきてやった!しかし自分でメモったのと、ところどころ細部がちがっているようだが…まあ、いい! おれが思ったのは、大槻ケンヂ、雨宮かりん、鶴見済的な、サブカルサイドからのストレートな生きづらさの表明、そして表現への昇華、といった類型にこの人もあるのだと思っていたが、実は変化球を投げるような、ゴーゴリ後藤明生的なユーモアの意思をもって、この人が創作に取り組んでいたということです!これはおどろきました。なぜなら、石田の絵からおれは一ミリのユーモアも、感じなかったからです! パッと見て、まあ面白いは面白い。デフォルメされているし、拡大されているものもある。だがどの作品も、笑いのまえに、いやな感じがするじゃないか。その先に、解放感のようなものがあっても。この作品が何かを<笑い飛ばす、ユーモアのようなもの>があるとは思えない。そこの行き違いが面白いと思ったのです。

画一された現代社会における窮屈さ、ただ生きていくこと自体につきまとう苦しさ。収奪された自由。
そういう題材をまっすぐに書くことは「青臭い」と言われる。石田徹也は、ありふれたこうした素材を、独自の縮尺、拡大の方式で書いた。彼が追及したテーマはみんながずーっと受け継いでいくものである。おれは見田宗介が70年ごろに永山則夫事件を素材に書いた論文集の新版、『まなざしの地獄』(河出書房新社、2008年)を読みながら石田徹也の絵を思い出し、ここまで書いた。おれ自身は、自分のことで精一杯で、感覚を象のヒフみたいにしながら生きているタイプの手合いである。



#次回は答えを知りながら怠惰で3ヶ月放置したサタミシュウ問題にケリをつけ(もう知ってる?)、ryuto taonと抱擁家族の新曲をお送りする。