本を読んでいるとたまにある、忘れがたいあとがきの結びのところ、三つ

このようなむしろ論理的な細部の構築と、必然の線に沿った徹底的な磨き上げと、装飾的・敷衍的要素の排除とは、謙虚なチェーホフの晩年の世界へと私たちを導いてくれる。それは抒情でも諦めでも「明るい未来への確信」でもない、そのような言葉よりは遥かに広々として自由な、強い力で私たちに迫って来る世界―直覚的な真実の世界なのである。
小笠原豊樹「あとがき」チェーホフ著、小笠原訳『かわいい女・犬を連れた奥さん』新潮文庫

 たとえば若き日の夢と希望に溢れていた頃のスナップ写真が、重大な人生上の決断を迫られる壮年になった時、あるいは孤独な老境に至った時、その人をきっと元気づけるように、この文章のスナップもまた未来の僕や誰かになんらかの力を与えるものになれば良いと思う。
武田徹「日記的批評行為(あとがきにかえて)」『ジャーナリストは「日常」をどう切り取ればいいのか」勁草書房

 さて、本書はタイトルが決まらないまま編集作業を行なっていた。〇八年は何かいいタイトルはないか考えながら日々を過ごしていた。そして〇九年一月の某日、爆笑問題の所属事務所、タイタンの新年会でのこと。所属タレントさんや各局の関係者の皆さんが集まった中、スピーチの順番が私にまわってきた。ひと笑いほしいと思った私は、「私事ですが今年は私の本が出ます。タイトルは『オールバックの放送作家』にしようと、今思いつきました」と挨拶したのだった。笑いは<中笑い>だったが、これはいいタイトルかもしれないと感じた。
 こうして、あとがきを書いている今も私はオールバック。時間は午前三時。本書のタイトルに偽りのない生活を送っている。そしてもちろん、これからも。
 ありがとうございました。
高橋洋二「あとがき」『オールバックの放送作家 −その生活と意見−』国書刊行会