久田将義『トラブルなう』(ミリオン出版、2011年)


噂の真相』は2004年4月号をもって休刊した。今では年に何回も、好きだった雑誌の休刊のニュースに接しているから、いちいちにそう悲しい思いもしないが、この時は本当に寂しかった。休刊まえの何号かは、表紙で休刊までのカウントダウンをやっていたが、それも悲しかった。ほかに取り替えがきかない雑誌だったし、学校のような雑誌だったからだ。

その後、衣鉢を継ぐ雑誌はないか、いろいろ探した。ジャーナリズムがどうなろうが、ゴシップや事件は起こる。指針や情報が必要だ。しかし跡継ぎはどうだったろう。『週刊文春』は好きだが、ウワシンと比較すると食い足りないし、上品すぎる(そのころから女性向けの誌面づくりに舵を切っていったはずだ)。『週刊現代』や『週刊新潮』は根本的な部分で信用ができない(というのは今の考えで、当時は少しちがっていたかも)。『サイゾー』はすでに小林弘人編集長ではなかったはずだが、今ほどゴシップ、タブー破りのジャーナリズム色はなかった(今でも、企業関係やデジタル、芸能系には強いが、それ以外にはあえて手を染めてない印象もある)。困った…。

そうした嘆くべきスカスカ状況で、当時俄かに台頭してきたネオ実話系雑誌(と、いうのですか、アマゾンにあった)にのめり込んで行った雑誌読みは多いのではないか。自分も似たような雑誌を探しては読んでみたが、後述する理由でハマれなかった。ただ、それら雑誌群のなかで、『噂の真相』にちかい感触の雑誌が二つだけあった(と記憶する)。『ダークサイドJAPAN』と『ノンフィックスナックルズ』(どちらもミリオン出版)だった。
自分がボサッとして実話ド真ン中(ナックルズ本誌とか)を読んでこなかったせいか、短命だったせいか判らないが、この二誌が両方とも久田将義氏の仕事だとは、最近まで気づかなかった(ちなみに『ダークサイド』は、2000年〜2001年までの刊行だから、『噂の真相』刊行中に出ていた、バリバリのライバル雑誌だったのだな。記憶ちがいだらけだ)。『ダークサイド』は、松沢呉一氏による『創』批判記事や、故・朝倉喬司立花隆批判連載や赤田祐一インタビュー、「私が出会ったダメ編集者列伝」など、活字ずきが喜ぶような記事も多くあった。つまり、実話系のネタもありつつ、ウワシン読者ごのみのネタもありと、バランスがよかった。

回顧が長くなった。今や本業よりもしかすると「ゲーセワニュースの人」として広く知られる久田氏の初の著書『トラブルなう』は、雑誌人としての回想という体裁をあえて取らなかったところがポイントで、過去のクレーム処理の方法を追いながら、書ける範囲での回想、という形式になっている。回想主体で一冊成立させるにはちょっと、いろいろ問題が多い出版渡世だったろうから、その擬態としてのクレーム処理本、ということなのだろう。これなら、エピソードを年代順に細かく書き込まなくても、ある程度個別のまとまりがあれば大丈夫だし、アトランダムに過去の事例を取り出すから、故意に書くのを避けた事件のせいで、勘ぐられたり、構成上のつまずきができたりということもない。

ほかに、クレーム処理本にしたおかげで、久田氏の<筋を通す>職業姿勢と、まじめな人間性が鮮明になったのはよかった。<近距離接近型モビルスーツ>と自称するようにとにかく詫びるときも、議論するときも、対面で解決しようとする姿勢は、時々凶暴に映るが、短期ではないし、無頼でも不良でもない。スチャラカでもない。部下の尻拭いをし、会社に迷惑をかけまいとする勤勉な雑誌人の姿が随所で見られる。性格はぜんぜんちがうのだろうが、岡留氏や末井昭氏のような、面白い雑誌作りに愚直で、昔かたぎの泥くさく、魅力的な人柄を感じた(エロとか犯罪とか反骨とか、そういう場所には、そういう人が集まりやすいのか、発生しやすいのか?)。チラチラと出てくるゴールデン街の話も印象的。

だから久田氏のまわりにはたくさんの協力者が集まってくる。ノンフィクション作家・上原善広氏(『日本の路地を旅する』)の逸話も興味深いが、98年ごろかのライターズデン公開討論の顛末が味わい深い。移転したばかりのロフトプラスワンを舞台に、ステージには中森明夫氏(この方の、ツイッターにのめり込んでからの躁っぷりと自己啓発オヤジ化には、悲しいものがある)、藤井良樹氏、討論を申し込まれた金井覚氏(と著者)、客席のポット出版高須基仁氏、松沢呉一氏の面々など、まさに90年代おわりの活字サブカル世界の様子を活写したこのくだりは、どこか恥ずかしくも、懐かしい。客席の二人は、ライターズデンに客席から批判を浴びせ、それも影響して、主催者が途中退席してしまう結末が紹介されているが(あったあった)、思想や立場のちがいを超えて、久田氏が築き上げた人脈と情報のネットワークは、岡留氏がリタイアしたいま、ジャーナリズム界でも屈指のものだろう。その点で、巻末の岡留氏との対談は、当人は首を振るだろうが、先人と後継者の対話、というようにも読める。ちなみに久田氏はこの本で何度か、朝倉を<心の師>と読んでいる。

岡留氏のウワシンだけでなく、赤田祐一氏の『クイックジャパン』(96年くらいまでのバックナンバーの面白さは異常)、花田紀凱氏の『編集会議』(恥ずかしい過去ですが面白かったんだ。『メンズ・ウォーカー』もわりと好きだった)、小林弘人氏の『サイゾー』、目黒孝二氏の『本の雑誌』、矢野優氏の『新潮』、市川真人氏の『早稲田文学』、四人の責任編集と壱岐真也編集人が精妙な(笑)やりとりをして作った『en-taxi』、直近では直井卓俊氏の『SPOTTED701』など、後追いのものもリアルタイムのものも、自分がガツンと来た雑誌にはたいてい名(物)編集長がいた(『SPA!』『タイトル』『鳩よ!』『ミュージックマガジン』『週刊読書人』など、ほかにも印象深い愛読誌はあるけれど、これらは編集長の人物像にまで興味は移らなかった)。雑誌への好みはやがて、編集者の人間への興味へ移り、網の目のようにそれは外へ外へ拡がっていく。久田氏のジャーナリズム寄りの雑誌に触れていながらも(単に呪うべき己のサブカル気質から、ヤクザや殺人や歌舞伎町や彫り物とか売買され中毒してしまうものとしての麻薬といったものにあまり関心がもてなかったせいだと思うが)、実話系コンビニ雑誌を読みふけることがなかった自分は、久田氏と読者が過ごしたこの十年を思い、ちょっと嫉妬した。

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