ぼくたちの好きな冒頭15 ナボコフ『カメラ・オブスクーラ』


光文社古典新訳文庫については、ドストエフスキーのブームがあったときに、ネットでもさんざん批判的なブログが書かれた。自分もジョゼフ・コンラッドの『闇の奥』が新訳で出たとき、訳者あとがきの黒原敏行氏の意気軒昂な文章(いかに自分の新訳が正しいものであり、先行訳がおかしなものであるかを縷々と書く)な辟易したことがあった。何せ中野好夫チルドレンですからね、何冊も読んでる訳じゃないけども。

しかしことし、南條竹則氏によるチェスタトン『木曜日だった男 一つの悪夢』を読んで、そのふんわり柔らかくて、構えも大きい感じに惹かれた。言うまでもなくこの寓話的で哲学的な推理小説吉田健一の先行訳があるが(創元推理文庫)、吉田の翻訳のクセと、この小説の伸びやかな感じは合わないという思いがあったので(ヨシケン訳は通読はしてないんですけれども)、ピクニックということばを使ってこの小説を捉えなおした南條訳はとても気に入った。

そんな個人的・古典新訳文庫見直しブームのなかで出てきたのが貝澤哉によるナボコフ『カメラ・オブスクーラ』である。まずAmazonの「遠近法」さんによる紹介を転載する。

 『カメラ・オブスクーラ』(1933)は、ナボコフが33歳のときにロシア語で書いた小説ですが、これまでの邦訳書である川崎竹一訳『マグダ』(1960)はフランス語訳からの重訳、篠田一士訳『マルゴ』(1967)はナボコフ自らが英訳したバージョンからの訳であり、ロシア語版原典の翻訳は本書が初めてということになります。 美しい少女と中年男の関係をめぐって展開される『カメラ・オブスクーラ』は、筋からしナボコフの代表作『ロリータ』を思わせますが、他にも類似点が少なくなく、1955年に発表される『ロリータ』の原型的小説と言えるでしょう。

10年位まえに自分がつくった拙い書誌にも、リンクを貼る。
http://homepage3.nifty.com/loom/nabokov4.htm
これによると、富士川義之氏は『ナボコフ万華鏡』で、<ロシア語版の原題は『暗箱』で、英語版が『暗闇の中の笑い』>と紹介している。暗箱。

河出書房新社の世界文学全集の一冊として刊行された『賜物』につづき、英語版からの和訳は出ていたがロシア語からの和訳がなかったナボコフ小説の、<ロシア語
原点からの初の翻訳!>(帯より)である。貝澤氏は『ナボコフ全短篇』を除けば、ナボコフの長編の翻訳はない。あとがきによれば『賜物』の沼野充義の推薦によるものだったとのこと。

「訳者あとがき」には、英語版からの翻訳があったことは書かれているが、『マルゴ』という書名も、篠田一士の名前もないし、ましてや仏版からの重訳『マグダ』の存在など触れられてもいない。あとがきになくても、巻末かどこかにひとこと書誌データについて触れられていれば良いのだが、それもない。英語版とロシア語版ではまるで別物だという解釈も判るけれども、わが国における翻訳の来歴にまったく触れられていないというのは、「古典新訳文庫」を名乗る文庫にしては乱暴すぎる。何か、いやなユルさを感じる。

ともあれ滑り出しは素敵! 書き出しをご覧ください。

一九二五年頃、かわいらしくて愉快な生き物が世界中を席巻した――今ではもうほとんど思い出されることがないが、当時は、つまり三、四年のあいだは、世界のいたるところであまねくその姿を見ることができたのだ――アラスカからパタゴニア満州からニュージーランドラップランドから喜望峰にいたるまで、ようするに色刷りの絵葉書が届くところならどこにでも――。この流行りの生き物にはかわいい名前があった。チーピーだ。
ナボコフ 貝澤哉訳『カメラ・オブスクーラ』(光文社古典新訳文庫

チーピー!!


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