グラビアアイドルという百魔6 グラドルとボディビルダー、『果てなき渇望』を参照しながら

ステージには、五列になって選手たちが並ぶ。
「デカイ!」
「もっと、その大きな胸を見せてくれ!」
「ナイスポーズです!」
「肩だ、肩! 肩をアピールしろ」
「キレてるぞ! 優勝間違いなしだ」
「第1章 コンテスト」増田晶文『果てなき渇望 ボディビルに憑かれた人々』(草思社文庫,2012年)


ボディビルのコンテストには、審査基準が何点かある。

筋量の大きさと厚み(バルクとマスキュラリティ)、筋肉の密度(バスキュラリティ)、一個一個の筋肉のメリハリ(カットにディフィッニション)、そして全体のプロポーション、筋肉発達のバランスなどだ(前掲書)。


はなはだ唐突ですが、ボディビルダーとグラビアアイドルを比べてみたらどうだろうか。巨乳がとにかくデカイ(同語反復)、足が長い、腰がくびれているというパーツパーツの良さ。バルクの大きさとか、密度に相当するか。実際にフィットネスで健康的な腹筋を持っているグラドルも、いる。こういうのはモデルさんのほうが進んでいるかもしれない。顔がかわいい、きれい、というのは、ビルダーさんがリラックスポーズ(そういうのがある。池を泳ぐカモのような)をとった時の、笑顔の素敵さに対比できるかもしれない。

あとは、プロポーション、つまりパーツパーツのバランスの良さ。おっぱいが大きくて、腰がくびれていて、お尻がボン!というような、バランスの良さ(一般常識としてのそれを気持ち脱線、超過したそれ)が、グラビアでもやはり重要視される。尤も、この要素は等閑に付して、身長150センチの小柄で童顔なのにIカップでとにかく巨乳!とか、そういうアンバランスさ、フリークス的なところも、グラビアにおいてはウリになったりする。このあたりはちょっとちがう。このことと近いが、グラドルには人柄、性格と体躯のアンバランスさも、評価のポイントになったりする。吉木りさちゃんのような、セクシーなのにアニメ好き、とか、吉木ちゃんのようにキュートなのに臀部(ケツ)が異常に発達(デカイ)していて、それに比して、臀部を覆う三角形の面積が驚異的に小さい、というような要素もある。さらに、女性の漂わせる色気、あどけなさ、そういうものが複合してグラビアアイドルの評価となるので、ボディビルよりもう少し込み入っているのかもしれない(女性ボディビルダーも、表情の豊かさ、女性らしさは問われるので、反論もあるだろう。でもそこを掘り下げていくのは、丈の高い藪のなかを見渡して、何か探すような困難がある)。

では、ボディビルの基準でグラビアアイドルを評価すると、誰がトップに立つだろう。さきの吉木ちゃんは、プロポーション、カットやディフィニッションで優れているが、とくだん巨乳とか、モデル体型ということもではないと思う。よく、吉木ちゃんに会った取材記者の感想や、編集者がグラビアにつけたキャプションなど読むと、「グラビアではセクシーなのに、撮影現場に現れた彼女は親しみやすい普通の女の子」みたいなことが書かれているが、それは彼女のバルクやマスキュラリティの貧しさについて、遠回しに言っているのではないか。撮影スタジオに冨永愛みたいな人が現れたら、だれもそんなこと言わない。畏友・三ツ野陽介さん(http://blog.ymitsuno.com/)が、不思議と吉木ちゃんについて買ってなかったのは、そのせいもあるのだろう。不気味なことをつらつら書いているが、グラドル世界の基準では吉木ちゃんは依然、トップランカー、将来的にも殿堂入りクラスであることはまちがいない。

規格外のボディ、ということでは、"リアル峰不二子"松本さゆき、真実一郎さんが「2009年グラビアアイドルベスト10」で<尾田栄一郎の漫画みたい>と評した護あさな( http://blog.livedoor.jp/insighter/archives/51721027.html)、ニーナ南(活動は3年くらいだったようだが、最盛期の2006年ころも、ほとんど雑誌グラビアに登場せず、そのはぐれメタルばりの出現率の低さから、真実さんは彼女を裸のラリーズに…ってしつこいか。記憶でここに召還したからやや不正確あるかもしれません http://blog.livedoor.jp/insighter/archives/50951104.html)、あと今月の『サイゾー』で表紙巻頭をやったり、つらい過去も話題(http://alfalfalfa.com/archives/5894488.html)の今野杏南(プロポーションもさりながらおっぱいの丸みが史上最高クラス)を入れておきたい。もちろん、昨年惜しまれながらも9年のグラドルとしてのキャリアを幕引きし引退した滝沢乃南も推薦したいが、長いキャリアのなかで蓄えたバルクのデカさとマスキュラリティは半端ないし、プロポーションも悪くないが、<一個一個の筋肉のメリハリ>、つまり<カットとディフィニッション>で、やや劣った(北極海を悠然とおよぐ地上最大の哺乳類シロナガスクジラのように、バランスがどうかとかそういう路線ではなく、人に夢を与えればそれでよいという体型的世界観)。


* * *


冒頭で引用した『果てなき渇望』は三章立てで、最後が「禁止薬物」というタイトル。最も問題提起的でスリリングだ。なぜならステロイド是認派の異端のビルダーが二人、登場して自説を唱えるから。

整形の良さについて力説するグラビアアイドルは史上これまでいなかったように思う。

2010年か、その前の年からか、熊田曜子ほしのあきが嚆矢だと思うが、バラエティ番組で整形疑惑を追及され、「してませんよ〜!」と否定してウケを取る、という「整形疑惑イジられグラドル」というのが登場した。この流れを初めて、テレビ東京テレビ朝日の深夜番組で見たとき、自分はマジかよとかなり驚いた。整形は不問に付すもの、新興宗教の問題と同程度に、電波ではタブーと思っていた。それを逆手にとって、ネタにするという新しさ。もちろんこれは、先々週の「テベ・コンヒーロ」の企画で、無線で指令を受けた枡田絵理奈アナ(もうすぐ卒業! http://tbs-blog.com/erina-m/20415/)が通行人をつかまえて、「お兄さん、童貞ですか?」と聞くような下品な笑いで、斬新さというものはない。実際すぐに飽きた(し、熊田さんが整形しているかは自分は判りません)。が、この「整形疑惑イジられグラドル」、後につづいたのが、杉原杏璃手島優だからまたちょっと、驚かされた。というのも、二人とも整形疑惑どころか、クロ必定の二人だったからだ。初期のDVDなり写真集なりを検索すれば判る。彼女たちはまっクロなのに、そして周囲の人間も「おまえらは整形だろうよ」と思っているのに、そんな内面と空気を無視して「整形じゃないですよ〜!」と今日も明るく否定するのだ。この倒錯は、ちょっと斬新だった。しかも杉原の内面は、適度な上昇志向を主成分とするわりとシンプルなものだと思うが、手島という人はけっこう複雑で、面白い。自分はryuto taonと抱擁家族で一時期、手島をモデルにした曲をやっていた(flowers are red)。

 ボディビルは狭い世界だ。有名ビルダーの動向は、いくつかの尾鰭を伴ってすぐに斯界を駆け巡る。(中略)とりわけドーピング疑惑に関する話題には敏感だ。ステロイドを使っているヤツは乳首が立っている、いや背中に吹き出物があるからすぐわかるといった調子で、最後は声を落として、だから○○は怪しい、となる。(中略)急成長したビルダーやチャンピオンたちなら、一度はドーピングの風評を立てられたことがあるはずだ。だが、そこには非難の口調だけでなく、羨望や嫉妬も見え隠れしている。
「第3章」前掲書


効果があるとは判っているが手を出さない、そういう共通点を、禁止薬物(ステロイド)と整形が、どちらも持っていたとして、その他共通点とちがいは、どんなものだろうか。

『果てなき渇望』によれば日本は、世界一といっていいほど、アナボリックステロイドなどのドーピングに厳しい国で、抜き打ち検査もやるし、陽性なら、もう国内大会には出られなくなる。追放だ。
ステロイドは、肝臓周辺がボロボロになる、ホルモンバランスが狂う、しかも、服用を中止した後も、など、深刻な副作用を持っている。しかし、それ以上に、日本では、ナチュラルに自らの努力で鍛錬された身体の美しさを競う、という価値観が重視されているということのようだ。だがそれでもステロイドに手を出す日本人ビルダーはいる。海外でプロになるにはステロイドがなければ話にならないと考える人もいる。

グラビアアイドルは、そもそも日本にしかない固有文化だから海外でプロになるということはない。AVのように、蒼井そら小澤マリアがアジアで異常な大人気!ということもない(グラビア雑誌もないし、だいたいコンビニに雑誌コーナーがない)。整形のリスク、副作用は、手術の規模にもよるが、ステロイドと比較すると低そうだ。ボトックス注射や糸を使った二重まぶた、シワ伸ばしのように、施術しても、放っておけば短時間でもとに戻ってしまうというところはステロイドと似ている。『果てなき』には、禁止薬物に手を出した選手は、ナチュラルなビルダーと体躯の大きさがあまりにもちがうので、すぐに噂される、後ろ指を指される、とある。つまり、ステロイドを服用した身体は、「ステロイド身体」とでもいったものになる。グラビアアイドルの整形も似たものがある。よく指摘されるように、整形手術を経た彼女たちのおっぱいは、あおむけで寝転んでみても重力を受けて下方に垂れたりせず、一律同様に上を向いてモスクの塔のようにプリンとしている。顔も、どんな顔がだれによって執刀されても、整形顔というのは不思議と一律、似てくる(以下は、ソウルの地下鉄駅で掲出されていた美容外科の広告)。

鼻筋は通り、目は大きくなる。唇は大きすぎず小さすぎず…と、いくつかのルールをふまえてリフォームされた顔は、アジア人ばなれした、最近のラブドールのような、あるいは3Gキャラのような顔になる。これを自分は「ファイナルファンタジー顔」と呼んでいる。地球上のどこかにいそうで、どこにもいない顔。有史以来天文学的な回数繰り広げられ作られた整形顔をすべてスキャンして、その平均値を出し、画面に描出してみたとする。さまざまな人種や国籍のちがいを超えて現出したそのイメージを目指して、きょうもクリニックには女性が足を向けるし、執刀医は切磋琢磨する(この項ここまで。加筆するかもしれません)。



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