森見登美彦のエッセンス

 これまでの日常を振り返ってみると、自分は大学生活というものをおおかた舞台袖から眺めて暮らしてきたのだという気がした。熱心に部活や勉強に打ち込む連中を横から眺め、大学生らしい馬鹿騒ぎをする連中を横から眺め、恋愛に右往左往する連中を横から眺めて過ごした。私はつねに、何事かに「参加していない」と感じていた。何事かに参加しなくてはならないという義務感に駆られることを、私は漠然と嫌っていたのだが、そういう自分を不思議に思うこともあった。いつの間に私はそんな風になったのだろう。それとも、誰もが似たり寄ったり、同じような感覚を持つのだろうか。自分は充実した生活を送っていないのではないかというような、平凡な悩みだろうか。となりの芝生は青く見えるということだろうか。


「百物語」 森見登美彦『【新釈】走れメロス 他四篇』祥伝社

森見作品ではめずらしいストレートで長い傍白。しかもこの短篇の主人公は「森見君」という。
自意識の不安に悩む若い人を支えるのが、かつての文学の効用の一つだったけれども、今はそうでもない。そんな中で、森見登美彦はかつて文学が担っていたのと同じ役目を果たしている。そこが広く読まれている一因だろう。

向井秀徳のかつてのエッセンス

 みんな輝いとるなー、光に照らされて、がぜんきらきらしまくっている街の若者たち、女たち、少女たち、に、俺はそんなに輝けないのに、と、うらやましがり、疎外感みたいなもんを勝手に感じ過ぎったりしてヨ、違和感を頂いたりな。
 孤独だ…、と、まったくもってしょうもない感傷に浸ってるわけだ。

向井秀徳「DRUNKEN HEARTED」 『HB vol.1 2007年夏号』HB編集部

1997年、<福岡シティーの繁華街>をうろついていた向井の心象風景。短いけれど、手元に置いておいて何度も読み返したいエッセイだ。

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ZAZEN BOYS TOUR MATSURI SESSION 8月30日 於・SHIBUYA-AX

時間より速いスピードで/駆けぬける走りぬける/街を加速する/そして逃げ続け/いつまでも/いつまでも/変わらない僕らです


NUMBER GIRL「SUPER YOUNG」

ZAZEN BOYSは最近リリースがない。バンドがまた何度目かの過渡期にあるからだ。2月に日向秀和向井秀徳の勧告で脱退し、新ベーシストである吉田一郎のデビューライブがやっとこさ6月、日比谷野音で行われた。しかしナンバーガール時代から、リリースがなくともライブばかりやっているという向井秀徳のスタイルは変わらないからヘンな感じはしない。おためごかしのようにシングルを、ぽつ、ぽつ、と出すようなことも向井は昔からやっていない。

ZAZEN BOYSが初めてのライブをやったのは、2003年8月のRISING SUN ROCK FESTIVALだった。もう4年たつ。ナンバーガールが東京に出てきて、下北沢や新宿を中心としたライブハウスで猛烈な他流試合をスタートしたのは1998年3月からで、解散は2002年11月末だからナンバーガールが過ごした円熟の活動期間を、ZAZENの活動期間がもう少しで乗り越えることになる。もう完全に、向井秀徳ナンバーガールのリーダーだった人ではなく、ZAZEN BOYSのフロントマンである。当たり前だけど。いまやZAZENにセンチメンタルなメロディを求める声はなくなったし、踊りづらいリズムの曲でも客はそれぞれの感覚で体を苦もなく揺らしている。当たり前だけど。

8月28日の(一昨年の駒沢大につづき二度目だが)記憶すべき銀杏BOYZとの対バン「君と僕のMATSURI SESSION」於なんばハッチをふくむ西日本でのライブを終えて(ラスト、銀杏も加わって8人で「KIMOCHI」を演奏したそうだが、その模様と心の動きを書いた橋本さんの日記が瑞々しい、久しぶりのSHIBUYA-AXのステージを踏む座禅。しかしチケットは完売なのに、会場はガラガラだ。より正確に書けば、どこからでもスイスイ前列の方に移動できるくらい、人と人の隙間が広かった。また15分遅れて自分が入ってからライブが終わるまでおそらく一度もダイブが起こらなかった。曲調のせいかそれともバンドの活動ペースのせいか? しかし演奏はいつも通りの緊密なものだった。

以下に書くのは、ライブを目撃してきて得た、ある憶測に基づく私見である(つづきをサイトをまたがって読む)。