金縛りTV、そして再起

○おとついの『ボクらの時代』(フジテレビ、毎週日曜7時〜7時30分)は岩井志麻子西原理恵子中瀬ゆかりというbrutalな顔合わせ(全員同い年)。さいしょは見るともなく見ていたが、5分も経つと、どの場面どの場面見ても西原が広末に見えることに気づき、おれの無意識はやがてこれは危険であると防御機制を作動させ、自分の錯乱を笑ってやりすごそうという安全策を講じた。だが暴走する人型兵器のように脳味噌は眼球に眼を逸らすなとそして口蓋には歯を食いしばれと命じて金縛りのようになっておれは徹頭徹尾座椅子から立ち上がれず『時計仕掛けのオレンジ』か悪質業者によるレーシック手術のようにまぶたを押し上げたまま、画面(右上にぼやけた「アナログ」の文字、飛蚊症のように鬱陶しくて)から眼を逸らすことがゆるされない。しかし本統にこれは似ている。どうしたことだ。西原で全然代用が利くぞ、余裕だぞみんな!
ちなみに西原は人生で男がいなかった時期は、現在を除いてなかったらしい。矢鱈口が渇く。

○何度追い払ってみても、過去の荒廃した心象風景の原野に棒杭を打ち込んで対象を固定してその場を離れてみても、頭を無数の最新グラビアアイドルや女優や女子スポーツ選手やMUTEKIなどで4ギガバイトくらいになるほどパンパンにしてみても、亡霊としてのヒロスエ黒澤清『叫』や『LOFT』のように、あるいはアメリカ軍中尉タイローン・スロースロップが女とセックスをした場所につぎつぎとかならず着弾してくるというV2ロケットのように、われわれの人生の過去における消せない傷跡を精確に読み取る作業を行うや、遙か後方から粛然と飛びすがり付いてくる。ときには『CREA』2月号(文藝春秋http://pilotis.jugem.jp/?eid=252となって、またときには映画『おくりびと』となって太平洋を切り裂いて、振り切っても振り切ってもわれわれはヒロスエから逃げおおせることはできない。ヒロスエの呪い、巨大ヒロスエの手のひらの上で踊るダンスを自覚するたびに、自分がまだ何者にもなりおおせていないことに気づき、亡霊から逃げ切ることができないだけなのに、絶望のうちに男は夜を徹す。

○『お願い!マスカット』(テレビ東京、毎週月曜26時〜26時30分)を漫然と見ていたら、ひな壇のAV女優もといセクシータレントにまぎれて、グラビアアイドルのKONANがちょこんと坐っていて、MUTEKIデビューする気かと思った。おれは錯覚エロスとも名づけるべき、新種の爽やかな興奮に包まれた。わかりますか。

松本亀吉『溺死ジャーナル』の分厚い最新号をぱらぱら見ていたら表現というものがしたくなってリハビリ日記をこのように書いているものである。わたしは伝えたいことがあってそのたびに戻ってくるものである。

2008年わたしの最良の書籍20冊

1994年から買った本、読んだ本のリストをつけている。リストには簡単な読後の評価もつけている。
そこで去年、高い評価を与えているもの20冊を選びだした。機械的に上位のものを抜き出して、なかで読んでいるときの高揚感が思い出せるものを残した。刊行年がない上半分は08年に出たもの。順序に意味はあまりないです。

濱野智文『アーキテクチャの生態系 −情報環境はいかに設計されてきたか』(エヌティティ出版
保坂和志『小説、世界の奏でる音楽』(新潮社)
ウラジーミル・ナボコフ 若島正訳『ディフェンス 新装版』(河出書房新社
佐藤幹夫自閉症裁判 レッサーパンダ帽男の「罪と罰」』(朝日文庫
山本精一『ゆん』(河出書房新社
小谷野敦『聖母のいない国―The North American Novel』(河出文庫
小林信彦『<後期高齢者>の生活と意見』(文春文庫)
香山リカ『ポケットは80年代がいっぱい』(バジリコ)
アラスター・グレイ 高橋和久訳『哀れなるものたち』(ハヤカワepiブック・プラネット)

ジョン・クラカワー 佐宗鈴夫訳『荒野へ』(集英社文庫、2007年)
ハーマン・メルヴィル 坂下昇訳『幽霊船 他1篇』(岩波文庫、1979年)
行方昭夫『英語の発想がよくわかる表現50』(岩波ジュニア新書、2005年)
河野一郎『翻訳教室』(講談社現代新書、1982年)
トニ・モリスン 大社淑子訳『青い眼がほしい』(ハヤカワepi文庫、2001年)
谷沢永一『牙ある蟻』(冬樹社、1978年)
三浦俊彦エクリチュール元年』(海越出版社、1998年)
江藤淳アメリカと私』(講談社文庫、1972年)
小島信夫『小説の楽しみ』(水声社、2007年)
大塚英志 大澤信亮『「ジャパニメーション」はなぜ敗れるか』(角川ONEテーマ21、2005年)

あれ、19冊っきゃないや。行方昭夫と河野一郎の英語本は何冊か読んで充実したので、では二人の翻訳本のいずれかを。

石田徹也展でわたしは


石田徹也 −僕たちの自画像」展を見るために練馬区立美術館に行ったのは、文学フリマを出たその足で行ったわけだから11月のはじめか。

http://www.tetsuyaishida.jp/announce/nerima/index.html

現代の東京とか大都市のことをよく否定的にいうときに、「地面がぜんぶコンクリートで被われている」から異常だということがあってそれも本当だと思う。外界の刺激に対して、神経がある程度鈍磨していないと生きていくこと自体がしんどい、ということはある。シャッターを閉めるみたいに、マスクをして外を出歩くみたいに、感情や感覚を鈍らせて生きていくこと。無意識にそういうことをやっている節は、確実にある。そういうことができないとどうなるのか。決め付けてはいけないが、石田徹也はコンクリートに被われた地面にあるしんどさを感じた人なのだろうし、彼に社会はおそらく、彼が描くような絵に見えた。いや、そのまま見えたのでなく、色川武大が『狂人日記』(福武文庫)に活写した無数の幻覚のように、心を鈍磨させることなしに行き着く先、見える視界はどのようなものか、想像しながら描くことができた、そういうことなのではないか。自分らが無視してやり過ごしそうとしているものを顕在化させるから石田の絵はちょっと居心地が悪いが、反対の、そうだよく言ってくれたというような気持ちよさもある。それらの根っこはつながっている。

石田の絵はサブカルごのみの作風だと解釈して「そういうのは、いいや(もうゼロ年代もおわりだし、20世紀なんか知らないし)」と通り過ぎてしまうことは、自分が社会に対して無意識に装備している防御機制、フルメタルジャケットを見えないものとして扱ってしまうことで、そうしたアティテュードには「鉄面皮」といったことばが心底似合うと思うのである。発狂している人と、発狂しないでいる人のちがいは何か? 特に無い、はずだ。

くどくど書きながら、石田の作品を肉眼で見るのは初めてのことだった。展示は画集以上のインパクトをもたらさなかった。残念ながら。ただ展示室と別のところに、資料コーナーのようなものがあり、ガラスケースに創作ノートが飾ってあった。そこに書かれたメモが興味深かったので、わざわざ3ヶ月前のことをこうして書いているのだ。学芸員に注意されながら、そのブーメラン運動の眼をぬすんで必死でメモったというのに……ウェブ上のあちこちに載っている……舐めやがって!舐めやがって!

http://www.spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/_archive/tearoom/amaryllis/no87_5_j.html

「僕の求めている(今)ものは、苦悩の表現だったりするのだが、それが自己れんびんに終わるような、暗いものではなくて、他人の目を意識した(他人に見られて、理解されることで存在するような)ものだ。自分と他人の間のかべを意識することは、説明過剰を生みだすが、そのテーマなり、メッセージが、肉声として表現されているならば、直情的にたたきつけた絵画よりも、ニュアンスにとんだコミュニケーションがとれるはずだ。僕の求めているのは、悩んでいる自分をみせびらかすことでなく、それを笑いとばす、ユーモアのようなものなのだ。ナンセンスへと近づくことだ。他人の中にある自分という存在を意識すれば、自分自身によって計られた重さは、意味がなくなる。そうだ、僕は他人にとって、10万人や20万人という多数の中の一人でしかないのだ。そのときに落たんするのではく、軽さを感じ取ること。それがユーモアだ」

腹立たしいからまるごとコピペしてきてやった!しかし自分でメモったのと、ところどころ細部がちがっているようだが…まあ、いい! おれが思ったのは、大槻ケンヂ、雨宮かりん、鶴見済的な、サブカルサイドからのストレートな生きづらさの表明、そして表現への昇華、といった類型にこの人もあるのだと思っていたが、実は変化球を投げるような、ゴーゴリ後藤明生的なユーモアの意思をもって、この人が創作に取り組んでいたということです!これはおどろきました。なぜなら、石田の絵からおれは一ミリのユーモアも、感じなかったからです! パッと見て、まあ面白いは面白い。デフォルメされているし、拡大されているものもある。だがどの作品も、笑いのまえに、いやな感じがするじゃないか。その先に、解放感のようなものがあっても。この作品が何かを<笑い飛ばす、ユーモアのようなもの>があるとは思えない。そこの行き違いが面白いと思ったのです。

画一された現代社会における窮屈さ、ただ生きていくこと自体につきまとう苦しさ。収奪された自由。
そういう題材をまっすぐに書くことは「青臭い」と言われる。石田徹也は、ありふれたこうした素材を、独自の縮尺、拡大の方式で書いた。彼が追及したテーマはみんながずーっと受け継いでいくものである。おれは見田宗介が70年ごろに永山則夫事件を素材に書いた論文集の新版、『まなざしの地獄』(河出書房新社、2008年)を読みながら石田徹也の絵を思い出し、ここまで書いた。おれ自身は、自分のことで精一杯で、感覚を象のヒフみたいにしながら生きているタイプの手合いである。



#次回は答えを知りながら怠惰で3ヶ月放置したサタミシュウ問題にケリをつけ(もう知ってる?)、ryuto taonと抱擁家族の新曲をお送りする。