堀江貴文と向井秀徳の自己変革

砂漠の朝を さまよって 無人島にたどりついたんだ
ZAZEN BOYS「The Drifting / I Don't Wanna Be With You」


 初めに断っておくが、僕が本書で定義する「オヤジ」とは、年齢的なものではない。あらゆること−家族との向き合い方や仕事への接し方、服装や体型に至るまで−を、より良き方向へ改善しようとすることを放棄してしまった者たちへの表現だ。
彼らは現状にただ不満を持ち、将来に不安を抱えながらも、そこを打開しようという意思すら奮い起こせない。ただ、誰に向けるともなく不平を口にしているだけだ。それを僕は「思考停止状態」と呼ぶ。


堀江貴文『君がオヤジになる前に』(徳間書店)は、薄い本だが著者の思考、行動原理がはっきり書かれていて面白かった。

 安らぎは、人の思考を止める。
思考を止めれば、成長はしない。
成長しなければ歳をとるのが早まる。


常に思考をつづけること、最新の情報を取りつづけること、本書ではこの二つが繰り返される。メッセージだけ取り出したら、そこらの自己啓発本で言われているのとそう変わらないのだろうけれど、著者が著者だけに説得力があるし、体験に基づいたリアリティでもってぐいぐい読ませる(ビジネスで上に行くと、以前の仲間とは話が合わなくなる、異業種交流会はムダ、口臭の強い人は自己管理が甘いから仕事ができない、資格マニアは履歴書で落としていたなどが印象的)。モバゲーユーザーを<情報リテラシーが高くな>く、<時間が貴重だという認識が薄い>とコトもなく書いてしまうのも痛快。

本書の白眉は、成功者として紹介される日本的企業の経営者や、国民的人気バンドのフロントマンと自身の方法論のちがいについて、率直に戸惑いを表す終盤のくだりだろう。トヨタ奥田硯GLAYTAKUROは、組織内に能力格差があるのに、なぜ部下や仲間を切り捨てず、面倒を見て利益を共有するのか?という問いに、著者は答えを見つけられない。自分の対極にある<不思議な包容力>を持った成功者たちの行動原理について、著者は巻末の福本伸行との対談のなかで、<リスクとプレッシャーの分散>ゆえとひとまず整理・解釈するけれど、ドライなのにどこか人間くさい氏のものの考え方に好感を持った。

唐突だけれど、読み終えて浮かんできたのは、向井秀徳のこの十年の来し方だ。

最新作『KIMONOS』は、LEO今井とのユニット・KIMONOS名義で、『ZAZEN BOYSIII』で着手し、『IV』で完成させた、「ハウスやエレクトロニカを取り入れた、夜の匂いのする打ち込みロック」というアプローチがさらに洗練されている。微苦笑を誘うようなようなまねっこニューウェーブではなく、本物、あるい本物よりもカッコいいサウンドに昇華されていて、自分はぶっ飛んだ。アホな言い方だが、洋楽よりも洋楽っぽいのだ。「soundtrack to murder」や細野晴臣のカバー「スポーツマン」など、抜群の完成度。物まねがいつの間にか本物になっている、その高い適応力に脱帽した。

で、この「微苦笑」から「ぶっ飛び」、物まねから本物へというのは、過去にも経験したことがあると思った。それも何度も。

向井のキャリアを、たえず模倣と成長を繰り返す自己変革のそれと位置付けてみると、萌芽はナンバーガール時代から見られる。eastern youthの企画盤『極東最前線』(2000)に提供した「TOKYO FREEZE」で、向井はヒップホップに挑戦している。クアトロのレコ発ほか、何度か当時、ライブで聴いたが、フロアの反応は総じて、「向井秀徳の悪ふざけ」という解釈に基づいた「失笑」もしくは「冷笑」といったものであったと記憶している。言ってみれば「物まね」だ。自分もこの曲はあまり好きじゃなかった。ショートショート集『厚岸のおかず』(イーストプレス)で存分に発揮されている、ヘンな日本人を妙にリアルに造形してしまう能力がこの曲の詞でもみられるが、かんじんの韻の踏み方は単純であまり面白くない。実際、自分らのアルバムでなく、企画盤への楽曲提供ということから、100%の自信作というよりは、模索的な楽曲だったのだろう。

ナンバーガールにずばりヒップホップ調な楽曲は少なくて、あとは映画『けものがれ、俺らの猿と』のサントラ(2001)に提供した「ZAZENBEATS KEMONOSTYLE」だけ。では向井がヒップホップ的アプローチから得たものはなんだろう。それは 「ロックミュージックにおけるボーカルの解釈の拡張」ということではなかったか。ボーカルとは声とメロディの掛け合わせだけと決めるのでなく、声をパーカッションのように使う、つまりビートをきざむ道具として使うということだ。

声をパーカッシブに使うこと、そんなことは昔からやられています、そう、なのだけれど、向井秀徳のそれは、アプローチがユニークである。ナンバーガールは何枚かのシングル盤はを出しているが、タイトルソング以外の曲はオリジナルアルバムに再収録されなかった(「鉄風」、「Drunken hearted」はタイトルソングだが未収録)。だからなのか、実験的で意欲的な曲が多い。向井がそのとき、何に挑戦しようとしていたかが判る (「URBANGUITAR SAYONARA」や「DESTRUCTION BABY」はタイトルソング自体がアバンギャルドだが…)。

たとえば、『NUM-AMI-DABUTZ』(2002)所収の「FIGHT FIGHT」は、スローテンポなダブ風の演奏で始まるも、テンポアップしたサビで向井が「アイタタ!」という絶叫を繰り返す異様なダンスミュージック、『鉄風 鋭くなって』(2000)の「INAZAWA CHAINSAW」は、ドラムのイナザワが千手観音のように叩く趣向ということもあり、サビでボーカルは叩きつけるようなシャウトを多用している。どちらもボーカルだけじゃなく、曲自体が異様である。でもカッコいい。

これらの楽曲での挑戦の総決算が、2002年の「NUM-AMI-DABUTZ」だろう。装飾を拝したミニマムでミニマルな演奏(延々繰り返すファンク調のベースラインの色気!)に乗ったボーカルは、ラップというよりはアジテーションのよう。初めて聴いたときの、まごうことなき新しい音楽がまさにいま、生成されているのだ、という同時代的な喜びは忘れられない。音楽は自由にする、である。

バンド史の終盤には、旧曲のリアレンジもライブで積極的に行われた。解散後にリリースされたボックス『記録シリーズ1』には、2001年日比谷野音公演が収録されているが、このなかで「桜のダンス」のダブバージョンが聴ける。一時、何か楽しくなってしまったのか、立て続けに持ち曲をダブアレンジ化してライブでやっていた時があって、ほかに「Destrcution Baby」、「鉄風 鋭くなって」(2001年11月のシェルターで披露)がある。ちなみに、2002年の「Destruction Dub」ではマイクから顔を近づけたり遠ざけたりして、人力エコー、人力ダブをやっていた。ブリッツでのこだま和文との共演が印象深い(のめりこみ過ぎ、という気もしたが…)。

ナンバーガールの短い歴史は、まずAメロ、つぎにBメロ、そしてキャッチーな美メロのサビがあって…というような 判りやすいメロディ重視のロックからの逸脱(自己否定)と、緊密なリズムが生み出すグルーヴの探索のプロセスとしてある。その孤独な営為のさなかに、バンドは空中分解してしまう。それはきっと起こるべくして起こった(ストイックなグルーヴの宝探しに、地図はなかった。ただ、船頭は成功を確信していた。そこが共有できていなかったから、規律訓練と化した練習、演奏活動に苛立ちを募らせ、仲間は船を降りた。そういうことではないか)。


 脱皮したければ、自ら苦しい状況に追い込んで、耐え抜かねばならない。
 僕はそうやって、脱皮してきた。
 これからも脱皮するために、自己否定を繰り返すだろう。
 堀江氏前掲書


考えても仕方ないが、中尾憲太郎脱退後も、解散せずにバンド存続、というシナリオもあったはずだ。存続を守り、とするかは異論があるだろうが、それを選ばなかった向井は何を考えていたんだろう。イメージする新しいバンド像があって、そこに近づくためには、バンド自体をぶっ壊し、終わらせてしまったほうが早いと、無意識に感じたのか? 自主流通のスキムづくり、MATSURI STUDIOの運営などもそうだが、向井にはビジネスマンとしての嗅覚と才がある。変化を怖がらないように見える。

経緯はいろいろあったけれども、メロディからの離脱とグルーヴの探求、その大事業を本格的に始めるために結成されたのが"法被を着たツェッペリン"ZAZEN BOYS(2003〜)
。活動開始の直前には、向井秀徳の大いなる助走といった、向井秀徳PANICSMILE菊地成孔(菊地氏が参加しない形態もあり)というユニットでのライブ(2002年10月16日の「タダダー感謝祭」でPANICSMILE feat.向井秀徳 & 菊地成孔として活動スタート。この企画は当初は、ナンバーガールでの出演の予定だった。ユニット名は、2003 年1月の江戸アケミ追悼ライブで初めてクレジットされたと記憶する。 http://www.loft-prj.co.jp/jagatara /pro_jyagatara.html)、「無戒秀徳」名義での弾き語りのスタートなど、重要な活動があるが、ここでは触れない。

ZAZEN BOYS、当初は固定メンバーは向井とイナザワだけで、あとは流動的とする、不定形のユニットというふれこみだった。結成直後から新宿リキッドルームのサプライズライブ、福岡市庁舎まえでのフェスなど、できる限り足を運んだが、まだこのバンドでしかできなことは何か、よく判らなかった。凄みはあるが、しっくりこない。芸達者のギター、ファンク味のあるベースの加入で演奏に迫力が増したのは判るが、楽曲に華がないしステージもちょっと殺風景で、ナンバーガールは終わってしまったのだ、と改めて思った。結成当初は、「Delayed Brain」、「六階の少女」、「SASU-YOU」、「INSTANT RADICAL」などの旧曲もやっていた(「六階」は他者へ提供した楽曲、「INSTANT」は特典レコード限定の楽曲で当時はインストだった)。「SI・GE・KI」、「USODARAKE」など、リズム、グルーヴに革命的な発見があり、興奮させられた曲もあったが、全体として心底夢中になることはなかった。

ただ、いま思えば、そこでも以前と同じことが行われていたのだ。ファンクが、ヒップホップが、ボーカルにおけるファルセットやシャウトが、貪欲に吸収され、再解釈されていたのだ。実験と練習の繰り返し、その中間報告がこのアルバムやつづく『2』だった。この二枚はいま聴いてもほんとにゴチャゴチャしてる。

雰囲気が変わってきたのは、ドラムが交代し、キーボード、打ち込みを取りいれた『III』。さらに、シングル『I don't wanna be with you』(2007)で「何かこれからすごいことが起ころうとしている!」という期待感を煽りながら、マイペースにさらなるエレクトロロックミュージックの探求を展開、その達成が『IV』(2008)で、新しいファンやライターなど、広い層から評価されたのは記憶に新しい。打ち込みの長尺ハウス、変拍子ファンク、オッドナンバーのファンク、浪曲みたいなの、さまざまな表情をした曲が集められているが、不思議な調和がある。なにより、「微苦笑」を誘ってしまうような、借り物っぽさがない、フェイクっぽさがないのがすばらしい。インプットしたもの全部を、自家薬籠中のものにしてしまう向井の特性が、最高の形で反映された。同時に、ナンバーガールの解散で中絶したものがやっと再開されたような気持ちにもなった。なぜだろう? このブログ(http://okazaki5.blog95.fc2.com /blog-entry-383.html)の解釈がすとんと納得できた。

そう、このアルバムがこれまでのザゼンと決定的に違うのは、非情に感情的で感覚的なことである。センチメンタルな感情を排して演奏技巧を極めんとしていたかつてのザゼンを通り越して、翻弄されながらも都市と格闘を続けたナンバガの精神性がここにはある。


向井の音楽性における自己変革を駆け足で見てきたが、向井が非オヤジ的とする理由は、それだけではない。

同じ仲間とばかり繋がっていたら、世界は広がらないんじゃないのか?
10年以上も仲良くしている友達から、新しい情報を得られるわけがない。古い友人は人生を停滞させる、ある種の障害物だろう。

だが、同じ高みに到達していない仲間に、時間と才能を分け与える見返りとは、いったい何なのか? 誰か僕にわかるように説明してほしいのだ。
僕は人生において、人間関係をたびたびリセットしてきた。
大学に入る時と、会社をつくった時と、会社を離れる時。それまで仲良くしていた仲間と、ひとり残らず連絡を断って、新たな人間関係を築き続けた。そうすることで、僕は成長できたのだ。

引用は堀江前掲書。向井はキャリアの中でこれまで、2人のバンドメンバーを切ってきている。バンドとビジネスは同一のものではないが、最高のパフォーマンスのために組織はあるのであって、友達ごっこではないという意味では、向井の姿勢と共通するものがあるがありはしないか。アヒト脱退(2004)のときは賛否両論を呼んだが、2007年の日向秀和脱退に関しては、向井がきちんとリスナーに説明を行ったことと、メンバーチェンジによるバンドの成長効果をファンが体感していたこともあり、否定意見はあまり出なかった記憶がある(何だかまるで社長と株主の関係みたい)。

向井秀徳はひとところに安住しない。築いてきたスタイルや人間関係に依存せずに、パッと手放してしまったり、豪快にぶっ壊してしまったりする。その姿勢は、思考停止に陥らず、自己否定を繰り返しつづけよという、堀江氏が提唱する「非オヤジ的」なものに、やっぱり似ている。「向井、またヘンなことやってんな〜」とフロアの客が笑う時、そこではすでに、遠大で野心的な実験作業が始まっているのだ。