wwwでOL killerを見た。

※[music]wwwでOL killerを見た。

wwwでツーマンでグループイノウが出るというので、散髪かオーディトリウムで大根仁第二監督作『恋の渦』か、高いけどリキッドのゴッドスピードユー!ブラックエンペラーかそれともイノウか迷ったが、イノウ久しく見ていないし、去年出た『DAY』の「クライシス」という曲がドシャメシャでワイザツで、久々にグッと来たのでイノウにした。
会場はややスカスカ。七分の入り。wwwっていつも好企画で超満員の印象だったのでこういう日もあるのだなと。
イノウはimaiが太ったな? 相変わらず愛らしい二人組。やっぱりクエストが段違いにカッコいい。ファミコンの映像ぽいVJも、初めて見たが面白かった。4月7日の「カオスフェス」での、初めて野音での演奏に触れて、「なんかずーっとかかってこいよーと言ってる奴が(客席に)いてね」とcp。久しぶりのアウェイ感だったよう。今月来月に亘るZAZEN BOYSほかを招いた「TWOMAN」というツアーのただ中だが、「ツーマンガいいじゃん、あこがれがあるじゃん」とimai。ツーマンでもスリーマンでも、イノウは据わりがいい。下克上、じゃじゃ馬、でもキュート。久々に見た感想はいろいろあるが、いちばんには、イノウ終わりにすごい美人がずらずらとフロアから出てきてびっくりした。
主催のOLkillerは、初めて。wwwへの道すがらちょいと検索して、DJユニットなんだなと浅く事前理解し、イノウ後、バースペースでごちょごちょして、OLさん始まってしばらくしてステージに戻ったら、岡村靖幸そっくりの人が、DJなのかダンサーなのか、とにかくブースの横で舞いを舞っていた。への字に曲げたような口元、さまようような誘うような目つき、そして何よりその舞い、立ち居振る舞いがとても岡村靖幸らしかった。しかしこういうユニットで、特に紹介もされず厚遇もされず延々舞いを舞ったり客席やVJの写真を撮ったりしていたので、これは年長のメンバーか友達のダンサーだろう、まさかまさかと疑いが渦を巻いた。ライブ演奏は佳境の不意の機材停止で終わり、別な紳士服姿のDJの生真面目なMCがあり、そこでも舞いを舞った人はとくべつ厚遇もされず、単に「DJトイプードル」と紹介され、その後三人と二人のVJが退場し、ライブは終わった。ただ、舞いを舞い切ったトイプードル氏の退場時には歓声がぱらぱら上がった。
wwwにはフリーWi-Fiが飛ぶが、これはフロアまでは届かないので出てすぐに検索した。なんと、結成したのが岡村で、役割は覆面DJ。覆面ではなかったが、、。びっくりしたけど客層も若いし曲調もノンストップのテクノ、ハウスだし、フロアは満員とはとても言えなかったしほかの二人は紳士服にネクタイという衣装で若いし、これはなんなんだ? 去年のサマーソニックでチャングンソクのトランスユニットに偶然出くわしたような、キツネにつままれた気分で龍の髭でビールを飲んでる。

ナボコフみたいな冨田勲


このごろ急に読んだふり、観たフリ、聴いたフリをしてきたものに挑戦している。大島渚の追悼特集上映も、ヴェーラと新文芸座に(自分にしては)繁く通ったし、相米慎二の特集もちょこちょこ行きました。いま読んでるのはホーガンの『星を継ぐもの』と竹中労だし、パーラメントファンカデリックのアルバムも借りて聴き始めてる…。いやはや、恥ずかしいね、でもきっと、そんなお年頃! 実はさっき、外付けハードディスクを高いところから落として(床に置けないから高いところに置いていた)昇天させてしまって、戻らないデータはどれなのか、あとiTunesやら何やら、どう整理したら不便がなくなるか、リッピングをしながら、ひどい作業を続けている。そんないまのBGMは、これも聴いていなかった、冨田勲の『月の光』だ!オリジナルは1974年、ドビュッシーをぜんぶモーグで演奏しているやつです。これは買わないとダメだ。レンタルではダメだ…。

冨田氏のことばはナボコフみたいで面白い。

もともとぼくは以前より音を変調するエフェクター類に興味を持っていた。当時はなかなか手に入らなかったイギリスのボックス製のファズやフェンダーギブソンギターアンプについているトーンコントロールなどだが、ひときわ興味を引いたのは日本製のエーストーンの二重ボリュームによるトーンコントロールで、二つのボリュームどうしの兼ね合いで、モーグで作った鋼鉄線のようなイメージの音を通すと、異様な輝きを放つ瞬間を偶然見つけることができた。それは双方ともボリュームのわずか0.3ミリぐらいの微妙な幅のところ(アナログなので探すには容易ではない)に存在し、時間が経つとわずかな温度差の抵抗値の変化でどこかへ消えてしまうので、輝く瞬間を見つけたら、すぐに、ご機嫌の変わらないうちに「月の光」のメロディーの盛り上がる部分に使用した。

ぼくは、映像は存在しなくても、脳の視覚のエリアにも及ぶ描き方ができるモーグの威力を感じた。
上ふたつはいずれも『月の光』アルティメイトエディション2012年のブックレットより。


冨田氏は40年前、共感覚に似た感覚をつかって、1000万もかけて個人輸入した大きなハコと格闘しながら、『月の光』を彫塑していったのではないか。音にも色彩があり、においがあり、形がある。当時の冨田氏の孤独な格闘と、氏の脳みそで起こっていた創造の閃きを想像し、ロマンを感じながらパソコンを直してます。

片岡義男『日本語と英語 その違いを楽しむ』(NHK出版新書)読書メモ

読書人マストの本、というのがある。所属している趣味や専門の分化を超えて、これはマスト、というのが。片岡義男が97年、99年に相次いでドロップした、日本語の外へ、日本語で生きるとは、の二冊は、突然のリリースだったし、著者の作風を、それ自体読まずにそれまでなんとなく理解した風でいた人には、当時たいそうおどろかれた。と同時に、そういう広範囲にひろう読書人の間では、即座にマスト本となった。しかし、自分はそれを、15年、読まずに部屋で塩漬けにしてきた。
たぶんそこで出てきた著者の考えが、この手元の新書では熟成されている。流れ星は何千年前の光だと、市井の天文学者柳下毅一郎さんはこの前自分に、岬の防波堤で、教えてくれたっけ。昔の本を読む機会を逸したまま積んでおいて、上澄みをすくったような新書で浚うパターンは、いまやよくある。しかしこの新書版はたぶん、上澄みなんかじゃないのだ。徹頭徹尾濃縮版なのだ。しかも、進化した考えが発展系となりかつ、平易に著されているのだ。積ん読が部屋のどこのあたりにあるかぐらいしか、判ってない自分にも、それはわかる。それくらい、凄みのある新書だ。ここに繰り返し、片岡氏が手元のインデックスカードをつれづれに引き出すというカジュアルな形式で書かれているのは、きっと一つのことだ。言語が人間の思考や国民性を規定する、ということだ。こんな残酷なことはあるだろうか? 若いときに、批評空間や講談社学術文庫などで柄谷行人に傾倒した人や、批評や先端の脳科学や、シンプルな哲学が好きな人なら、何事もなく読み進めてしまうかもしれない。しかしそうでない、感受性の高い人は、この本を読んだときに天と地がひっくり返るような衝撃を受けるかもしれない。そしてそのときからその人は、批評の世界の入り口に立つ。若くない自分は、新書版一冊で自分の中身がグラグラするようなインパクトを感じられるということに喜びを感じるし、そこでぜんぶを終わらせてはいけないという、それも若いときに感じていたグラグラを思い出して、うれしくなる。

 ミッションズに告知が出ていた

http://blog.goo.ne.jp/k-missions/e/aaab5dca6ff9c10916648afde2c3ecf3

金曜日の企画は、開演が21時30分、わたしどもの出演が22時50分からになりました。なので訂正して再掲させてください。

Impulsus friday vol.4

日程  9月28日(金) 
開演  21時30分 ※オールナイトイベント
共演  東京タイガース / タカユキと牛  【DJ】duncam / cogolo / jintatsuno / silicone cats / yoshi
場所  高円寺クラブミッションズ(03-5888-5605)
料金  \2.000 with 2drink
行き方 JR高円寺駅北口を右折(新宿・中野方面)
    ↓
    線路沿いを300mくらい歩く
    ↓
    右手に高円寺Club Mission's

http://www.live-missions.com/


あと、企画の告知がミッションズのサイトに出ていた。こんなこと書かなくてもいいことだけど、前回の年越し企画はあまりうまくいかなかった。なのにまた呼んでもらってありがたいことです。きょうも移動時間で準備をしたが、過去やった既存曲でも、唱えるテーマを完全に変更してやるものもあります。おとといの日記じゃないですが。振り返ると、ステージに出て行くときまでに、自分が逃げてない、弾んでる、そういう時にはハズさないので、どんなものが出てくるか、自分でも愉しみであります。

【Description】LIVE HOUSEの旧態然とした状況を喝破すべく新風を吹き入れることをテーマに発足したAtisa-Kuokに続き、更なる広域拡散を狙ってついにダンスシー ンとライブシーンの合体を図る実験的イベントImpulsus friday今回は高円寺のnight lifeに息づきはじめた創始からのDJ人を中心にお送りする。当イベントのオーガナイザーにしてミッションズの店長、高円寺に深夜の音楽文化を浸透させ ようとする第一人者でありデトロイトtechnoを中心にタイトなプレイを魅せるjintatsuno。渋谷、六本木シーンで既に活躍し各界への太いパイ プを持つyoshi。その異端の才能で90年代よりTechno界に潜伏し続けその独特のプレイスタイルは旧DISO界隈では絶大な支持を持つ silicone cats。ダンスミュージック全体への長年の造詣を持つだけでなくk-pop界では黎明期よりリミキサーとしても名を馳せたduncam。多くの大バコス タッフを経験しつつその中で常に前衛的なプレイスタイルを我がものにしてきたyuya.y。DJデビュー僅かにしてその才能を多くの人間に認められつつあ る才気あふれるニューカマーcogolo。LIVEには高円寺、台湾などで人気絶頂の多火油機団のタカユキによる別プロジェクト、タカユキと牛。同じく多 火油機団ギタリスト太雅によるダビーな3ピース東京タイガース。独特のラップスタイルでミッションズ界隈から人気の呼び声が高いryuto taonと抱擁家族。その美貌で多くの会場を沸かせてきたバーレスクダンサーCoCo。ageHaをはじめ多くのtechnoVJをこなしらいr品具ス タッフしては(ママ)定評のあるVJ MOR!マンネリ化した日常に新しいライフスタイルの刺激と遊びの場を提供する。リピート必至の一夜!!


 告知とは人生なのか?


吉田豪の『サブカルスーパースター鬱伝』(徳間書店)は冒頭のリリー・フランキーのインタビューからシビれた。この本は、サブカルで名を成した男性は、40前後で鬱になる。著者も、これからそこに差し掛かってくるので、先輩にエピソードを聞いて、原因と対策を考えようという主題を持っている。リリー氏は吉田氏の師匠的な存在であるが、その師匠が本人をまえに、とつとつと吉田豪論を語るのだ。そこにまず、シビれた。

でもこの本でいちばん忘れられないのは、意外にも(?)唐沢俊一のインタビューで、手元になくて引用できないが、そこには来るべき死のイメージが立ち込めていた。40を過ぎると、本を買っても一生で読める量がどれほどか、計算がついてしまう。目も悪くなる。体力も、記憶も劣ってくる…。そんな話。ほかの人たちが体力の減少や運動不足、私生活での女性問題のこじれなどを挙げるなか、最も静的で、対応不能なものを前にしているという感じがした(BGMはドローン音かリンチのサントラ的なもの)。

都築響一氏の『だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ』(晶文社http://www.shobunsha.co.jp/tsuzuki1.html)のあとがきの文章が、おれの後ろのほうから聞こえてきた。

 毎日いちどは本屋に寄らないと気がすまなくて、給料が出るたびに紙袋を持つ指がちぎれるほど買い込んで、一生かかっても読み切れないほどの山を部屋中に築いて。妻子には迷惑がられ、知識は増えても貯金は減るいっぽうで、女にはモテず、視力も精力も減退するばかり……(中略)
 そういう本バカにささえられて、僕は生きている。(中略)それでも売れない本を作り続けていられるのは、1億2000万人のうちの数千人(数万ですらなく)の、僕と同じぐらいバカな人たちが、売れない本を買ってくれるからだ。 


都築さんはポジティブな文脈で書いているが、裏から読めば暗い話である。ちなみに『鬱伝』は、『週刊プレイボーイ』や『テレビブロス』で特集が組まれたが、そこではさっき書いた、運動不足や私生活での女性問題のこじれなどが目立って紹介されていた気がする。これは現物を買い損ねたので、印象ですが。

自分はもちろん文化人でも、その周辺で生計を立てている者でもないが、読書を好む者ではあるし、第一、同じ男として、他人ごとではないところもある。だいたい、救いがないではないか(特に唐沢氏の話)。そんな中、買ってきたばかりの根本敬『タバントーク』(青林工藝社)に、ある文章を見つけた。清水おさむ『美しい人生』(同社,2004)の解説文である(根本氏のサイトでも読めます http://www011.upp.so-net.ne.jp/TOKUSYUMANGA/text/genre114.htm)。

 才能と身の丈に合った処世術さえあれば、二十代から三十代前半ぐらいまでは、はっきり言って深く考えなくても、それこそ勢いだけでできるんだな。自分のことを振り返ってもそう思う。でも三十代後半あたりからまず自分自身の体の変化っていうかさ、それこそ見た目若かったりすると自分を誤魔化してきたのが、もうさすがに誤魔化しは利かなくなってくるんだ。で、四十代になると、否が応でも(ママ)人間年をとって死ぬんだな、って意識が実感として頭の中というか体全体に入ってくるんだよ。で、ちょうどそういう時期にさ、自分自身のマンネリ感じゃないけど、そういうものを強く感じることと重なってくるんだよな。(中略)で、ここからがキツくなってくるから、その人の真意を問われるのはある程度キャリアを持ってからのことなんだよな。
「清水さんは奇跡のマンガ家」


ではどうすればよいか? ここで根本氏は遠藤賢司を出してくる。エンケンは弾き語りをずっと続けてきたが、あるときエレキギターを持ってバンドを結成する。それはエンケンが42歳の時のことだった。

多分、四十を過ぎてそれこそ男の更年期的心理に入るそんな状況の時にさ、このままじゃ駄目になる。そんな危機感を感じたんだろうな。
 エンケンさんはああいう性格だから、それを跳ねのけるためには、ってトリオの形を取ったんだと思うよ。それも自分がリードギターというポジションをとってね。それまではリードギターのパートはそれこそ他のギター上手い奴に任せればよかったんだけど、それをいきなり自分がエレキ持ってトリオをやるんだから、うっかり手なんか抜けないわけだよ。自分を極限まで追いつめてどこまでやれるか、という挑戦を。そういうことだったんだろうな、って思うよな、自分も当時のエンケンさんの歳を通過してみて。
 やっぱりどこかで自分を突き詰めて、自分に決着を付けなきゃ前に進めない、って時期があるんだよ。それは勢いだけで乗り越えられる若い時期とは違う、もっとキツイ決着なんだよな。
(同前)


自分は熱狂的な根本ファンだなんて言ったら、ほんとのファンの方から怒られると恐れる程度の根本ファンだけど、そんな自分であっても、ここに、あるシンクロニシティを、つまり一つの答え、いや、真理を読み取ったのである。


* * *


今月、ZAZEN BOYSの4年ぶり5枚目のアルバム『すとーりーず』が出た。向井秀徳の面白いところも、似ている。常にストイックな挑戦をしている。それを高い緊張度のなかで、長い期間に亘って続けている。何かを聴いて刺激を受けてはセッションし、着想の断片を拾いながら、飽きずセッションする。熱量を保つためには、大事なものをぶっ壊し、解体し、ゼロから組み直す、そういうことも、平気でやる。その結果、バンドはあたらしい達成を刻むことができる。

おれが言っているのは、音楽性でなく、精神論ではないか? ”イチローに学ぶ○○”みたいな、成功哲学のたぐいではないか? そんな風に言われてしまうだろうか。考えすぎか? ともあれ、そういう本人の姿勢と信条が滲み出してくるから、向井さんの書くもの、話す言葉に、注目するのである。

ザゼンボーイズは今年に入って早々、新作に向けて本格的な制作を開始した。 毎度のことであるが、リフを中心に形を作って行くセッションを幾度も重ね、アレンジの試行錯誤を繰り返し、アンサンブルを強化するための反復を行った。
我々の自負とするトコロの真骨頂である、リフの音塊とバンド・アンサンブルにこだわり、コード、リズム、旋律がバラバラでありながら、整然、一体化している音像を目指した。
オーネット・コールマンが提唱した『ハーモロディック理論』を勝手に解釈し、「よく分からんが、つまりこういうコトやろ。オレにとって、とてつもなくポッ プな音ということや。オレにとって、というのが非常に大事なトコロなわけだが」と挑み、結果、ロック・バンド、ザゼンボーイズの極めを見せた!
オノレの歌詞については、これまで以上に奇妙かつシンプルになっている気配がする。たとえば『ポテトサラダ』はポテサラが食いたい、というだけの歌であり、『天狗』は、いつか見た風景、妄想、そして今眼前にある事実現実をマゼマゼにしている歌である。
基本は変わっていまい。変わる変わらんは、どうであれ、どうだっていい。
※今回の新譜の販売にあたっての向井氏のコメント。


週刊文春』には向井秀徳の熱心なファンがいるんだろう。リリースのタイミングでかならず本人を登場させる。9月6日号の「この人のスケジュール帳」にも三人目で登場していた。

「(前略)前作『ZAZEN BOYS4』にはコンピューターの打ち込みで作った楽曲が多かったのですが、そういった曲もバンドとして演奏し続けるうちに、どんどん肉体的なものになっていった。今なら、目標としているバンドサウンド―一見楽器がバラバラに鳴っているようでまとまりがあるロックを実現できると思い、今作の製作を始めました」
「歌詞は思いつきに近いんです(笑)。言葉の意味を重要視するよりも、耳に残るフレーズを繰り返すことで、リスナーの想像力に訴えかけたい。加えて、一瞬一瞬の錯綜した感情や衝動をそのまま音楽にすることにこだわりました」


amazonのレビューでは、ふわふわ男という方の文章(「ZAZENなう」)が好きだ。いま言ったようなことをふまえている。

先だって公開されていたポテトサラダを聴いた時から、良い意味での?があったのだが、このアルバムを通して聴くことで、向井さんが、ZAZEN BOYSが今こういうところにいるのだな、というのが一貫してガッツリ感じられ、とても痺れる。
今までの作品のどの要素を抽出して引っ張りあげた、とかいうことではなく、「3」での脱構築的なバンドサウンドや「4」の打ち込みサウンドを経過しての、今のZAZENの純度100%の音塊。
ZAZEN BOYSのバンドとしてのポテンシャルが最大に引き出されているのはもちろんのこと、録音物として一番ZAZENの“生”感を感じられるアルバムだと思う。
もう圧倒的にビート、ビート、ビートで畳みかけられる故、前作のasobiやsabakuでのスキマの心地よさというか、浮遊感というか、音に漂っていたセンチメンタルというか、そういった要素はあまり今作では見受けられないかもしれないが、もうただ脳内を掻き毟ってくれる感覚があまりに突出しているので、この骨太一直線のサウンドの中にどのような淡いがあるのか、聴き手はそれをむしろ探すようになるのかもしれない。

サウンドと同時に言葉にも変化が見受けられ、それはもう歌詞というより、単語レベルにまで感情のインプットを推し進めたような、暗号に近い言葉の羅列(俳句のような)である。アブラゼミがミンミンミンと鳴く商店街や、電線にぶらさがった紫色の天狗などは、なるほど向井さんの世界観として聴き手はすんなり入っていけるだろうが、ポテトサラダやあるまじろ、電球、ハリネズミやサンドペーパーといった半ば放り投げられたような単語に、われわれは何を思うのか?? 
しかし不思議なもので、こういう詩情をほとんど感じさせない言葉も、このビートにのせられ反復されると、何だろう??とこちらの無意識を焚きつけてくる。

凄いなぁと同時に何だろう??というのが結局のところ素直な今の感想だが、この違和感があの快感への入り口なんだろうなぁというのは、今までのZAZENを聴き続けた経験からくる、絶対的な期待である


あした、リキッドルームで見てくる。想像を超える演奏に、慌てて宇都宮や水戸のチケットも、申し込んでしまったりして。


* * *


ここで紹介するような、無数の声や音楽に励まされて、私どもも私どもなりの生活や、表現というものを追求するものである。たえず過去に拘泥しながら自分を更新するバンド、ryuto taonと抱擁家族の久しぶりのライブが金曜日に行われます。

Impulsus friday vol.4
日程  9月28日(金) 
開演  22時(予定) ※オールナイトイベント
共演  東京タイガース / タカユキと牛  【DJ】duncam / cogolo / jintatsuno / silicone cats / yoshi
場所  高円寺クラブミッションズ(03-5888-5605)
料金  \2.000 with 2drink
行き方 JR高円寺駅北口を右折(新宿・中野方面)
    ↓
    線路沿いを300mくらい歩く
    ↓
    右手に高円寺Club Mission's
http://www.live-missions.com/


私どもの出演は23時から。バンドの一組目です。オールナイトイベントですが、少ししんどいという方は、みじかい時間だけでもぜひご参集ください。
今回は、いままでの即興の中から作ってきた歌詞をある程度ベースにしつつ、そこから即興で逸脱していく、新しい方法でやってみます。つまりこれが我々の、「でもやるんだよ!」である。

おまけ iOS6の印象

不具合で後悔しないか心配したが、思い切って4SのOSを6.0にした。事前情報通り、グーグルマップがapple製の地図になり、メカっぽい見た目から、柔らかくなった。これは慣れてないだけか、ちょっと残念。地図の中の情報量は比較検討しないといけないが、全体的に、よく似てる。地図を拡大したときの撮影地ピンの動きも一緒。訴えられないのだろか。
電話帳にある人のFBやツイッターのアカウントを手当たり次第さがす機能は恐怖です。設定ひとつ間違うだけで検索発見され放題となり、実社会の人付き合いから、隠れネット生活のレイヤーがダダ漏れ、丸見えになって、心が折れたり、人間関係に支障が起きたりすることでしょう。こういう心の機微が、appleさんには判らない!? あと写真を見るとき、フォトストリームのタブがでるのは鬱陶しい。いくら売り込まれても5ギガまでのiCloudを使うつもりはない。同期に間違って消さないとも言い切れないし。カメラのパノラマ写真というのは楽しい。豚小屋をぐるっと一回転して撮りました!